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クエリ検索: "岡嶋正義"
5件中 1-5の結果を表示しています
  • 因府年表を中心として
    *谷岡 能史
    日本地理学会発表要旨集
    2016年 2016a 巻 619
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/11/09
    会議録・要旨集 フリー
    1 はじめに
    日本には『日本書紀』に始まる豊富な史料があり,これを素材に多くの古気候研究がなされてきた.発表者も大学時代は研究に明け暮れた(谷岡,2010;2011).その後,発表者は公共施設等に勤務し,幅広い見識を積むことができた一方で,就職活動等により研究は停滞することとなった..2014年には生活拠点が大都市圏外に移って情報収集・発信も難しくなり、正規の職に就いた現在も研究再開の見通しが立っていない.
    今回の発表は簡単な史料紹介とともに,こうした状況を打開するための糸口を探ることを目的とする.

    2 因府年表について
    今回発表する史料は『因府年表』である.同書については既往の古気候研究でも取り上げられてきたが,詳細な分析等がなされてこなかった.
    『因府年表』は鳥取藩の歴史書であり,藩士の
    岡嶋正義
    が編纂した.同書は1630年(寛政7)~1841年(天保12)について書かれたものであり,『因府年表』(1630~1747年)と,その続編である『鳥府厳秘録』(1748~1807年)・『化政厳秘録』(1808~1830年)・『天保厳秘録』(1831~1841年)の4つからなる.後2者は草稿的なものとされるが,今回はこれらすべてを合わせて「因府年表」と呼ぶ.
    因府年表は大正時代に活字化された.しかし,これは底本が明らかでなく,編者(岡嶋)の記述文を省略するなどしているため,著者の自筆本を底本としたものがのちに出された(日置ほか校註,1976).なお,後述の方法で大正時代の活字本と鳥取県史とを比較すると,後者の記載箇所が前者よりも多かった.

    3 集計方法・結果
    集計は,長雨・大雨・干ばつ・大雪等を,谷岡(2010;2011)にほぼ準拠し,直接的/間接的記載等に分けながら行った.
    鳥取県史を用いた結果,(1) 寒候期(11~3月)について,以下のことが分かった.
    (1)-① 1730~1750年代,1820年代前半,1830年代後半は少雪の記載が相対的に多い.
    (2)-② 1700~1710年代,1760~1780年代,1800年代後半~1810年代,1820年代末~1830年代前半は多雪の記載が多い.

    (2) 暖候期(5~10月)については明瞭な傾向に乏しいが,以下の傾向があった.
    (2)-① 1740~1760年代,1790~1810年代に干ばつの記載が多い.
    (2)-② 1770~1780年代に長雨の記載が多い.

    また,年代が下り史料が詳細さを増すにつれて,多雪と少雪,干ばつと長雨の両方が記載されている年も多いことが分かったため,史料の詳細さをどう引き出していくのかも課題として残った.

    今後もこうした成果を発表することで,関係各位の批判を乞いつつ,研究を再開していきたい.

    参考文献
    谷岡能史 2010.近畿地方の文献史料から見た7~10世紀の暖候期における気候.地理学評論 83: 44-59.
    谷岡能史 2011.『考古遺跡で検出された洪水痕跡と古気候の関係』 広島大学大学院文学研究科博士論文.
    日置粂左衛門・浜崎洋三・徳永職男(校註) 1976.鳥取県史第7巻 近世資料.鳥取県.

  • 古家 祐之介
    農業土木学会誌
    1984年 52 巻 8 号 743-747
    発行日: 1984/08/01
    公開日: 2011/08/11
    ジャーナル フリー
  • 中林 保
    人文地理
    1974年 26 巻 4 号 432-448
    発行日: 1974/08/28
    公開日: 2009/04/28
    ジャーナル フリー
  • 谷岡 能史
    地学雑誌
    2018年 127 巻 4 号 553-564
    発行日: 2018/08/25
    公開日: 2018/10/05
    ジャーナル フリー

    Inpu-Nenpyo is compared to weather diaries. Inpu-Nenpyo, an official historical document from Tottori, northwest coast of Japan, was compiled from 1630 to 1841, and consists of four books. The density of mentions, for example, of “heavy snow” and “drought”, in the document is higher in the second half of the period than in the first. By comparison, many mentions of “heavy snow” are made in the 1810s, and many mentions of “little snow” are made from the late 1720s to the 1750s and in the late 1830s. On the other hand, “drought” is mentioned often in July from the late 1800s to the early 1810s. Comparing the documents and the diaries, it is found that years of “heavy snow” in the Inpu-Nenpyo are consistent with years with many days of snowfall in the diaries and that “drought” correlates with many sunny days; the former are thought to be cold and the latter hot in some cases. However, it is difficult to clarify their relations and to draw conclusions. One reason may be a lack of other historical documents and diaries. Therefore, local public bodies, which often keep them in museums and archives should be encouraged to collate them and make them more accessible to the public.

  • 浅野 弦一, 矢野 孝雄, 平尾 和幸, 田中 優一
    地球科学
    2012年 66 巻 1 号 5-16
    発行日: 2012/01/25
    公開日: 2017/05/16
    ジャーナル オープンアクセス
    鳥取市国府町宮下の西黒沢海進期堆積物からは,保存のよい浅海性魚類化石が多産する.この化石群集は,多種類の魚類を含むという点ではアジアでも群を抜いた存在であり,日本の新第三紀以降の魚類相の進化を考える上で重要であるとされる.宮下産浅海性魚類化石のタフォノミーをおもに堆積学的側面から解明するために,まず本論では,宮下周辺域に分布する下部-中部中新統鳥取層群の層序と地質構造を明らかにした.その結果は,次の3点にまとめられる.1)宮下周辺には,先新第三紀基盤岩類,下部〜中部中新統,鮮新統,および第四系が分布し,それぞれ不整合関係にある.下部〜中部中新統の鳥取層群は,下位から,郡家礫岩層・河原火山岩層,これらを不整合におおう円通寺礫岩砂岩泥岩層・生山砂岩泥岩層・普含寺泥岩砂岩層・栃本頁岩層に区分される.2)先鮮新統の地質構造は褶曲・断層・撓曲などで構成され,変形は全体的には緩やかで,部分的に中程度である.もっとも主要な構造は,中央部をNNE-SSW方向にのびる向斜構造である.さらに,WNW-ESEおよびNE-SWの2系統の断層・撓曲が,褶曲構造を複雑にブロック化させている.3)鳥取層群の泥質岩相は普含寺泥岩砂岩層(陸成相)と栃本頁岩層(海成相)に区分され,両層は整合関係にある.宮下の魚類化石産出層は旧地すべり地塊に包含されるが,移動地塊が岩相層序を良く保持している.旧地すべり地塊中に含まれる魚類化石産出層は栃本頁岩層の基底層準に位置し,その堆積年代は前期中新世末(16.5〜16Ma)と推論される.
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