詳細検索結果
以下の条件での結果を表示する: 検索条件を変更
クエリ検索: "市村高男"
150件中 1-20の結果を表示しています
  • *先山 徹
    日本地質学会学術大会講演要旨
    2021年 2021 巻 T5-O-5
    発行日: 2021年
    公開日: 2022/05/31
    会議録・要旨集 フリー

    六甲山地に分布する花崗岩(六甲花崗岩)はかつて御影の浜(現兵庫県神戸市御影)から各地に積み出されたため,御影石と呼ばれるようになった.このことは江戸時代の名所図会に記述されている.そして現在は,花崗岩類石材全般を御影石と呼ぶようになっている.このことは六甲花崗岩が全国的に広く流通していたことを物語っている.六甲花崗岩は淡紅色のカリ長石を特徴的に含むことや瀬戸内海沿岸地域の他の花崗岩と比べて高い帯磁率を有することなどから,比較的容易に産地の同定が可能であり,中世(鎌倉~室町時代)から西日本を中心に広域的に流通していたことが知られている(市村,2013;先山,2013).一方瀬戸内海沿岸地域には花崗岩が広く分布し,大坂城築城の際には多くので石材が供給された.それらの石材産地と比べた時,六甲山地は活断層が多く大きな石材が得られにくいこと,急峻な山地のため搬出が難しいことなど,良好な産地であるとは言いづらい.それにもかかわらず,六甲花崗岩のみが広域に流通したのはなぜだろうか.本発表では,その要因として六甲山麓で頻繁に発生した土石流の可能性を名所図会の記述と六甲山麓の地形・地質との関係から検討する.

     江戸時代の名所図会で御影石を記述したものとしては日本山海名産図会(1799年)と摂津名所図会(1796年)がある.日本山海名産図会の説明文では,(1)御影の浜から各地に搬出していたため御影石と呼ばれたが, (2)海岸線が海側に移動して遠くなり, (3)山地入り口付近のものは取りつくされてしまい, (4)現在は山地奥で採石して御影まで運んでいることが記されている.図会では山地の崖から石を切り出す様子が描かれているが,この記述によると以前は山麓の岩塊を採石していたことが想定される.

     現在,六甲花崗岩を採石している場所はなく,1カ所で住吉川河床の岩塊を採取しているのみである.下図に示した2万分の1仮製地形図神戸及び六甲山(兵庫県立人と自然の博物館所蔵)では,住吉川上流の山中の2ヶ所で採石場が記されているのみで,大量に出回っている六甲花崗岩全体から見ると少ない.六甲山地の花崗岩は徳川大坂城築城に際して大量の石材が供給されたとされ,その残石は大名の刻印を記された「刻印石」や石割の過程を示す「矢穴石」として現地に多く存在するが,その大半は東方の芦屋川流域から西宮に至る地域で,その多くは尾根部に存在する花崗岩のコアストーンや過去の土石流による岩塊である.

     地形的に見ると御影地域を含めた住吉川流域は六甲山麓最大の扇状地であり(下図参照),過去に頻繁な土石流に襲われていたことが知られている.この扇状地地形が海岸線まで達していることから推測すると,御影が村として栄える以前にはこのような土石流によって運ばれた堆積物は海岸線付近まで存在していたと考えられる.このような地形的背景と日本山海名産図会の記述に採石遺物の産出状況を考え合わせると,当初は山麓の扇状地上で,土石流によって運ばれた岩塊を採石していた可能性が高い.中世から六甲花崗岩が他地域の花崗岩類に先駆けて全国に出回り,「御影石」が花崗岩の代名詞となるまで普及した背景には,土石流による岩塊が海岸近くにあり,運搬が容易だったことがあると推測される. 摂津名所図会には,御影石の項目に滋賀県の「木戸石」と京都「白川石」の2ヶ所の石材も示されている.「木戸石」は琵琶湖西岸の比良山地を構成する花崗岩で,山麓には扇状地や沖積錐が発達する.また白川石は京都盆地東部の比叡山周辺の花崗岩で,山地部と盆地境界には扇状地が発達し,山麓に土石流によって運ばれた花崗岩塊が残されている.これらも併せて考えると,江戸時代以前の採石や運搬技術が未発達な頃,石材確保の場は土石流の頻発地域であり,特に海岸近くまで岩塊が運ばれていた御影地域は,絶好の石材産地となったのであろう.

    市村高男
    (2013)御影石と中世の流通―石材識別と石造物の形態・分布.高志書院,282p.

    先山 徹(2013)花崗岩の識別と帯磁率による産地同定.御影石と中世の流通-石材識別と石造物の形態・分布-(

    市村高男
    編),高志書院,45-58.

  • 戸板 将典
    史学雑誌
    2010年 119 巻 5 号 681-684
    発行日: 2010/05/20
    公開日: 2017/12/01
    ジャーナル フリー
  • *谷川 亘, 望月 良親, 徳山 英一, 高木 翔太, 中村 璃子, 山本 裕二, 濱田 洋平, 渡部 淳
    日本地質学会学術大会講演要旨
    2022年 2022 巻 T8-P-1
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/04/03
    会議録・要旨集 フリー

    全国各地には江戸時代に造営された荘厳な大名墓所が存在し、その墓所内には数メートル規模の巨石で制作された墓石が奉られており、その巨大な墓石は当時の世相を映す鏡となっている。また、大名の墓石に使用されている石材の産地、および運搬工程は当時の文化産業を知る手がかりとなりうるが、石材産地に関する文献記録が少なく、産地不明の墓石が多い。高知市筆山の北麓にある土佐藩主山内家大名墓所には花崗岩で制作された大名墓石(一代、二代、九代藩主)があるが(高知県、2015)、その産地については議論が残されていた。そこで本研究では、山内家の大名墓所の墓石を対象に非破壊岩石分析によりカリ長石の色、帯磁率、有色鉱物の粒径を計測した。非破壊分析で得られた墓石の特徴について、高知県南西部で産出される花崗岩と瀬戸内海で石材用として採取されてきた13地域の山陽花崗岩と比較を行い、石材産地の推定を試みた。花崗岩に含まれるカリ長石は白色から赤色を示すが、墓石のカリ長石は肉眼観察では白色を示した。帯磁率の平均値はいずれの大名墓碑も0.3~0.5×10-3 SIを示し、ガウス分布に従った。また、花崗岩に含まれる有色鉱物の粒径は対数正規分布に従うとともに、全鉱物に対して有色鉱物の占める割合(含有率)と粒径は他の花崗岩と比較して大きい特徴を示した。以上の3つの特徴は高知県南西部大月町(頭集・古満目地区)で産出する花崗岩にも認められた(図1)。一方、山陽花崗岩についてはすべての特徴が合致する花崗岩は確認できなかった。本研究の結果、山内家大名の墓石は高知県南西部の大月町産の花崗岩から制作されたものである可能性が高いことが分かった。江戸時代以前の中世に造られた高知県の石造物はおおむね六甲御影石(山陽花崗岩)由来だと言われている(市村、2013)。本研究結果は江戸時代前後に高知県の石材の流通ルートの変遷とその原因について重要な示唆を与える。

    [文献]

    高知県(2015)土佐藩主山内家墓所調査報告書、高知県文化生活部文化推進課、167p

    市村高男
    (2013)御影石と中世の流通、高志書院、282p

  • 河内 祥輔
    史学雑誌
    1993年 102 巻 5 号 733-735
    発行日: 1993/05/20
    公開日: 2017/11/29
    ジャーナル フリー
  • 平井 上総
    史学雑誌
    2013年 122 巻 2 号 233-240
    発行日: 2013/02/20
    公開日: 2017/12/01
    ジャーナル フリー
  • 堀本 一繁, 山田 貴司, 大塚 俊司
    史学雑誌
    2010年 119 巻 5 号 684-687
    発行日: 2010/05/20
    公開日: 2017/12/01
    ジャーナル フリー
  • 森 茂暁
    史学雑誌
    2010年 119 巻 5 号 669-672
    発行日: 2010/05/20
    公開日: 2017/12/01
    ジャーナル フリー
  • 糟谷 幸裕
    史学雑誌
    2006年 115 巻 5 号 700-703
    発行日: 2006/05/20
    公開日: 2017/12/01
    ジャーナル フリー
  • 野村 育世
    史学雑誌
    1992年 101 巻 5 号 755-758
    発行日: 1992/05/20
    公開日: 2017/11/29
    ジャーナル フリー
  • 木下 聡
    史学雑誌
    2013年 122 巻 12 号 2082-2083
    発行日: 2013/12/20
    公開日: 2017/12/01
    ジャーナル フリー
  • 久留島 典子
    史学雑誌
    1997年 106 巻 3 号 440-441
    発行日: 1997/03/20
    公開日: 2017/11/30
    ジャーナル フリー
  • 片岡 健
    季刊地理学
    2013年 65 巻 1 号 1-16
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/07/18
    ジャーナル フリー
    本研究では,土佐国黒岩城下町とその給人の名請地の構造を,名請高による属性別,国人領内の小村別に分析した。その結果,市町の構造は,商農分離および商農未分離の市町名請人の屋敷地が,部分的にまとまりを有しつつ混在していた。1町以上の耕地を名請する市町名請人は,商業活動の充実から耕地を集積した可能性もある。給人屋敷地の構造は,最上位層の給人屋敷地が土居に近接していた。この要因は,豊臣政権に臣従して以降,分国規模での検地および城割りの実施にみられるように長宗我部氏の大名権力が向上し,これに伴い国人領主片岡氏が国人領内で権力を上昇させたためとも考えられる。黒岩城下町の給人の名請地構造は,名請地が小村黒岩を中心に展開しており,生産物の輸送負担および耕作の移動負担が効率化されていた。黒岩城下町の給人屋敷地および名請地には,国人領主のプランである,前者への階層性の明示,後者への生産性の上昇という志向が一律には貫徹していなかった。給人屋敷地の構造は,黒岩城下町の給人の名請地が黒岩城下町に比較的近い国人領の一部に限定されていた国人領主片岡氏の地域権力としての実態に規定されていた。
  • *先山 徹, 黒川 信義, 谷川 亘, 森山 由香里, 海邊 博史, 田村 公利
    日本地質学会学術大会講演要旨
    2023年 2023 巻 T10-O-7
    発行日: 2023年
    公開日: 2024/04/10
    会議録・要旨集 フリー

    考古学分野で歴史的石造物の石材産地や流通を検討する場合,しばしばその形態が有効手段とされる.しかしそれは製品の流通と技術の伝播の両面が考えられる。一方地球科学的同定は石材そのものの移動を意味し,それが製品であったか石材のままであったかは不明である.そこで筆者らはこれまで,考古学と地球科学の両面から総合的に石材産地や流通過程の検討を行ってきている.本発表では高知県南西部の土佐清水市における中世の石造物(特に一石五輪塔)を対象に,それらの特徴と産地・流通の可能性について報告する.具体的作業として考古学分野のメンバーは各石造物の実測と銘文の拓本作成を担当し,地球科学分野のメンバーは岩相記載,帯磁率測定,蛍光エックス線分析をおこなった.  土佐清水市には中世から近世にかけて作成された砂岩と花崗岩の石造物が多く存在している.なかでも泉慶院墓地(図1)と念西寺墓地には砂岩製の一石五輪塔が大量に存在する(土佐清水市教育委員会,2010).それらの製作年代として,このうちの1基に天文15年(1546年)の文字が刻まれているのみで,他は不明であるが,類似した形態のものがまとまって分布することから概ね中世後期のものであると考えられる. これらを構成する砂岩はその岩相と帯磁率によって大きく以下の3種類に区別される.砂岩A:粗粒砂岩~中粒砂岩からなり一部には極粗粒砂岩と呼んで良いものも存在する.しばしば2~3㎜の岩片が点在する.帯磁率は0.20~0.37×10-3SI. 砂岩B:主に中粒砂岩からなり,砂岩Aと比べると細粒で大型の礫を含まない点が異なるが,明瞭に区別できないものも多い.また一部に砂岩Cに似たものも存在する。帯磁率は0.13~0.29×10-3SI.砂岩C:細粒砂岩~微粒砂岩で粒度が揃っている.帯磁率は0.02~0.09×10-3SI.  土佐清水市で塊状の砂岩がまとまって産する地層としては竜串海岸周辺に分布する新第三紀の前弧海盆堆積物からなる三崎層群があげられる.海岸に沿った露頭でできる限り広範囲で無作為に測定した60地点の帯磁率は0.032~0.178×10-3SIの範囲を示し,砂岩Cの大部分がこの範囲に含まれる.一方,歴史的に見て中世~近世の西日本で盛んに採石され各地に流通された砂岩としては和泉層群の砂岩があり,その産地として大阪府南部の阪南市が知られている(三好,2012).阪南市周辺の和泉砂岩露頭および転石111点での帯磁率は0.22~0.46×10-3SIの範囲を示し,砂岩Aおよび砂岩Bの値の多くはこの範囲に入る.また和泉砂岩はしばしば2~3㎜の礫を含む点でも砂岩A・Bと類似する.以上から,砂岩A・Bは和泉層群であり,砂岩Cは三崎層群である可能性が高い.ただし砂岩Bのうち低い帯磁率のものは三崎層群の可能性も残される。 次に考古学的立場から見ると,一石五輪塔はその形態によってⅠ類・Ⅱ類・Ⅲ類の3種類に分けられる.Ⅰ類は畿内に多く存在する一石五輪塔に類似の形態,Ⅱ類は他地域では見られない土佐清水特有の形態で,Ⅲ類は両者の中間の形態を有する.このことと前述の石材との対応を見ると必ずしも1対1で対応しているわけではないが,その中でⅠ類とされたものは全て砂岩AまたはBで製作されており,砂岩Cで製作されたものは見られない.一方形態ⅡとⅢのものは,砂岩Cを主体としながらも一部に砂岩AやBで製作されたものも存在する.このことと石材についての岩石的知見を加えると,以下の結論となる.(1)形態Ⅰ類の一石五輪塔は畿内で製作された和泉砂岩製の製品が搬入されたと考えられる.(2)Ⅱ類とⅢ類の形態で砂岩Cからなるものは,地元の石工によって地元の石材を使用して製作された.(3)Ⅱ類・Ⅲ類のうち砂岩A・Bで作られたものは,石材として搬入された和泉砂岩が地元石工によって加工された,または地元の石工が畿内に出張して製作したものの可能性がある. 土佐清水には一石五輪塔とともに砂岩の石仏が多量に存在する.また花崗岩製の五輪塔も大量に存在している(市村,2013).それらとの関係も含めて総合的に検討することで石材と技術の流通の変遷をたどることができる。 文献

    市村高男
    (2013)御影石と中世の流通.高志書院,282p.三好義三(2012)和泉砂岩に関する研究の現状と諸問題.石造文化財,4号,21-34. 土佐清水市教育委員会(2010)加久見城館遺跡群-試掘確認調査報告書-.土佐清水市埋蔵文化財報告1,土佐清水市,93p.

  • 木村 茂光
    史学雑誌
    2011年 120 巻 5 号 727-731
    発行日: 2011/05/20
    公開日: 2017/12/01
    ジャーナル フリー
  • 竹井 英文
    史学雑誌
    2011年 120 巻 5 号 723-727
    発行日: 2011/05/20
    公開日: 2017/12/01
    ジャーナル フリー
  • 上横手 雅敬
    史学雑誌
    2008年 117 巻 4 号 596-597
    発行日: 2008/04/20
    公開日: 2017/12/01
    ジャーナル フリー
  • 宇佐美 隆之
    史学雑誌
    1996年 105 巻 9 号 103-111
    発行日: 1996/09/20
    公開日: 2017/11/30
    ジャーナル フリー
  • 鈴木 英明
    史学雑誌
    2006年 115 巻 9 号 1613-1614
    発行日: 2006/09/20
    公開日: 2017/12/01
    ジャーナル フリー
  • 石井 進
    史学雑誌
    1996年 105 巻 9 号 116-117
    発行日: 1996/09/20
    公開日: 2017/11/30
    ジャーナル フリー
  • 馬田 綾子
    史学雑誌
    1984年 93 巻 5 号 660-664
    発行日: 1984/05/20
    公開日: 2017/11/29
    ジャーナル フリー
feedback
Top