新潟平野を形成するのに大きな役割をはたした信濃川は、平野の形成とともにその河道を様々に変え、たびたび人為的な手も加えられ、現在に至っている。この信濃川の河道変遷に関する研究は、昭和8年 (1933年) の岩田孝三の「越後平野に於ける河道境界に就いての政治地理学的研究」(大塚地理学会論文集第二輯) に詳しい。
しかし、その後の各種治水史、郷土史の信濃川河道変遷に関する記述は、この岩田論の引用にもかかわらず、岩田の名が記載されず、それ以後の発展もほとんどみられない。
そこで本論文は、この岩田論を再確認するとともに、さらに新潟平野に関するその後の研究の中から、遺跡という点に着目しこの岩田論に再考察を加えたものである。
新潟平野の全般的な開発は、岩田によれば、400年程前とされていて、それ以前の新潟平野はほとんど湖沼でおおわれており, 人の生活はなかったとされている。しかし遺跡等の分布から想定すると、少なくとも平野の一部では、縄文時代から人の生活が始まっており、600年以前には, 人の占居が十分あったものと考えられる。
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