ローマ帝政後期の
弁護人
に対する国家的統制として、法廷の
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団体
collegium advocatorum における年功序列制度が学説上重要視されてきた(そこには、「強制国家」概念との関わりも見られる)。その根拠として通説的に
CJ 2.7.26-27が挙げられてきた(Jones, Kaser/Hackl)が、最近他の史料に基づき年功序列を否定する反対説も提起されている(Humfress)。本稿の目的は、この学説上の対立の実質を各史料の再検討に基づいて分析した上で、さらに他の史料をも検討の対象に加えることで、ローマ帝政後期の
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における年功の意義をより精確に解明することである。
本稿における
CJ 2.7.26-27の分析によれば、それらの法文は通説的に主張されてきたような年功序列制度を導く根拠となるものではなく、特定の上級法廷で勤めあげた
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に対して年功順に法定の特典を与えることを定め、それに反する取引的な順位の交換を禁止したものであった。また他方で Humfress の引用する史料も、以上の具体的に限定された規制内容とは矛盾するものでなく、
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に対する一般的な評価の基準としては年功よりもむしろ能力が重要な要素であった、という認識を述べたものと理解される。両説の間に本質的な対立はなく、
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の年功について以上のように異なる二つの側面からそれぞれ考察を加えたものに過ぎないと考えられる。
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に法定の特典を与える順位としての年功と、
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への一般的な評価基準としての年功というこれら二つの側面については、それぞれ他の史料によってさらに検討を深めることができる。前者の側面については、帝国西部において下級法廷の
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に年功順で上級法廷への移籍を許した法文の存在がとりわけ注目される。
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に法定の特典を与える際に年功を重視するという発想の共通性が、下級法廷の規制においても見て取れるからである。次に後者の側面については、法文においてもそれ以外の史料においても、年功という要素が能力や功績
meritum といった要素と対立するものではなく、
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への評価にとって重要な意味を持っていたことが明らかとなった。短期間で交代する帝政後期の裁判担当者にとって、所属法廷で長年活動して名声を得た
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を活用するということが、紛争解決において重大な意義を有したものと考えられる。またさらに進んで、年功が
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に対する一般的な評価基準として重要であったというその側面が、
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に特典を与える制度における年功の重視を実質的に正当化した、という両側面の関係も推測されうる。
上記の具体的検討においては、
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における年功の意義と官吏(とりわけ
militia )や兵士における年功の意義の類似が随所に現れていることも重要であるが、それに関する研究は未だ進展しておらず、官吏に関する近年の新たな研究成果も取り入れた詳細な検討が今後の重要な課題である。国家からの俸給の有無を始めとして、
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と官吏や兵士との間には大きな差異も存在するため、その比較対照には一層精密な検討を要しよう。
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