詳細検索結果
以下の条件での結果を表示する: 検索条件を変更
クエリ検索: "律旋法"
22件中 1-20の結果を表示しています
  • 和洋音楽の音階と旋法各論のうち
    篠田 健三
    東洋音楽研究
    1967年 1967 巻 20 号 1-28
    発行日: 1967/12/20
    公開日: 2010/11/30
    ジャーナル フリー
    管絃雅楽を対象とした研究は古来かなりの数にのぼっている。新しい研究では、これらの先蹤を是非とも尊重しなければならぬし、なかんずく、いかに限定せられた対象を取扱う場合でも、雅楽の負う歴史的な背景を十分に念頭に置いていなければならない。個々の楽曲についての発生、伝来、編曲、演奏、伝承の歴史を細密に調べることが必要なゆえんである。
    また、雅楽の音階、旋法等、音楽理論にようて解明さるべきものに対しては、あたかも中世ヨーロッパ教会楽がつとにその理論を整えていたのと同様、古くから相当に整理された理論をもっているのであるから、それらの理論について十分な検討を行ない、もし、不備であるならばただにそれを訂正するのみでなく、いかなる原因で不備な理論が作られかつ信ぜられるに至ったかをも、理論自体の歴史的な伝承の上に即して明らかにしなければならない。
    また、総じて、現行の演奏をそのまま直ちに雅楽の古姿と同じであると見なすことはできない。その遷移の模様は、古譜の正読、古理論の正解、伝承上の口伝、伝承上の経緯、周辺の諸音楽の理解などの総合知識をもって、雅楽全般、楽曲ごと、さらに、楽曲の個々の部分ごとに細心緻密な検討を行なうことによって解明されなければならない。
    これらを解明することは、雅楽が単に古くかっ大規模な音楽であったというにとどまらず、また、中絶することなく管絃雅楽の篳篥譜の旋法一 (1) 管絃雅楽の篳篥譜の旋法二今日まで伝承されてきたというばかりでなく、実に日本音楽の中軸をなして現在なお生きていることを証明することであり、さらにまた、世界音楽における東洋の聖典が、今日なお、世界音楽を支える太い支柱であることを証明することにもなるのである。
    わが国の雅楽と攣生の李王家雅楽が近年絶滅したことは、この意味から、本当に口惜しいといわねばならない。
    ここでは現行の雅楽譜、すなわち、芝祐泰採譜「雅楽第一集管絃総譜早楽六曲早只拍子一曲」 (竜吟社一九五五) によって、各楽器および各楽曲の旋法を推定してゆきたい。わずか、六調七曲をもって全豹を窺うのはもとより偏狭のおそれなしとしないけれども、公刊の譜ではこれ以上のぞめぬことであるから、さし当っての試みとして調べてみる。したがってここに推定する旋法は、雅楽で用いられる旋法の一部にすぎないであろうし、また、資料の不足によって謬った推定を下しているかも知れない。ただ、今後の研究の参考となれば、それで幸いである。
  • 和洋音楽の音階と旋法・各論のうち
    篠田 健三
    東洋音楽研究
    1965年 1965 巻 18 号 176-206
    発行日: 1965/08/20
    公開日: 2010/11/30
    ジャーナル フリー
    芝祐泰採譜「雅楽第二集催馬楽総譜」 (龍吟社、一九五六年) を用いて以下、催馬楽の旋法を考える。まず歌謡旋律の部分のみを対象として分析したい。
  • 岩原 諦信
    東洋音楽研究
    1954年 1954 巻 12-13 号 161-172
    発行日: 1954/10/30
    公開日: 2010/11/30
    ジャーナル フリー
  • 小峰 智行
    智山学報
    2012年 61 巻 73-87
    発行日: 2012/03/31
    公開日: 2017/08/31
    ジャーナル フリー
  • 小島 教知
    智山学報
    2021年 70 巻 139-152
    発行日: 2021年
    公開日: 2022/04/01
    ジャーナル フリー

     日本雅楽の音律は、中国の十二律、また西洋の音律(十二平均律)と比較するとき、各音律の特性上、近似という形で比較することが多い。本論文では、西洋の音律としてピュタゴラス音律を用いることによって、これらの音律を近似ではなく正確に比較し、中国の音律と日本雅楽の音律それぞれ対してピュタゴラス音律の音を対照させた。理論的に比較をする過程で、これら三つの音律は同時には比較できないこと、また日本雅楽の音律には不確定な音高が存在することも示した。本論文後半では中国および日本の階名(宮・商・角・徴・羽)と西洋の階名(ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ)との比較を行った。そこでは中国の階名と西洋の階名はきちんと対照できるのに対し、日本の階名は意味が不確定であることを示した。最後に、階名の接頭辞「変」「嬰」と、西洋の♭・♯を比較し、その原理が異なることを示した。

  • 伊吹山 伊真帆子
    東洋音楽研究
    1979年 1979 巻 44 号 1-26
    発行日: 1979/08/31
    公開日: 2010/11/30
    ジャーナル フリー
    保育並遊戯唱歌 (俗称保育唱歌) は、目本で作られた教育用唱歌集の先駆をなすものとして、又、国歌「君が代」を生み出したものとして有名だが、「君が代」以外の曲や内容についてはその名ほどは知られていない。そして、その評価も研究者により非常に多様である。日本で最初に作られた唱歌集がどのようなものだったか。その作曲を式部寮に依頼し、実際に教材として用いた東京女子師範学校附属幼稚園は、開園時からフレーベルの教育理論を販り入れていたが、唱歌もそれに適うものだったか。フレーベルの理念を音楽にも販り入れることができたとしたらどのような形でだっただろうか。又、旋律にも西洋音階が取り入れられただろうか。などの点を考察してゆきたい。
  • 金城 厚
    東洋音楽研究
    1990年 1990 巻 55 号 91-118,L8
    発行日: 1990/08/31
    公開日: 2010/02/25
    ジャーナル フリー
    It is the intention of this article to review the ryukyu scale, about which various theories have been proposed to date, and to make some propositions that may serve as the basis for future research on the subject.
    The first point at issue is the structure of the ryukyu scale. Koizumi Fumio has interpreted the ryukyu scale (do mi fa sol si do) as being formed from two disjunct tetrachords, each of which is, in his terminology, comprised of two nuclear tones at the interval of a fourth with one infixed tone. In this interpretation, the nuclear tones are do, fa, sol and do.
    On the other hand, Kakinoki Goro has proposed another interpretation, according to which the melodic movement of Okinawan folksong is ruled by a tertial nucleic structure. In his interpretation, the nuclear tones are do, mi, sol, and si.
    The second point at issue is the question of which of the ryukyu and ritsu scales is the older. Kojima Tomiko has concluded that the ritsu scale (including the ryo scale as a variant of the ritsu) is the older because it is seen in old-fashioned myth songs in certain remote villages in the Ryukyu region. On the other hand, Koizumi insisted that the ryukyu scale was far older than the ritsu.
    In the present author's view, there seem to be two different kinds of ryukyu scale in Okinawan music: one is a scale based on a tetrachordal nucleic structure (do mi fa sol si do), in which the nuclear notes locate at do, fa, sol and do; and the other is a scale based on a pentachordal nucleic structure (mi fa sol si do mi), in which the nuclear notes locate at mi, sol and si.
    The present author has undertaken an investigation of the finalis of all pieces in the repertoire of Okinawan classical songs accompanied by the sanshin (long-necked plucked lute), whose melodies are notated in kunkunshii notation in four volumes. Within the 195 pieces investigated, there are 83 pieces (43%) whose finalis is located at the fourth, while there are 42 pieces (22%) whose finalis is located at the third, fifth, or seventh. The former are based on the tetrachordal nucleic ryukyu scale. However, in the latter the fourth is not stable enough to be thought of as a nuclear note. The present author proposes a pentachordal nucleic ryukyu scale which has its tonic at the third, because through investigation it is possible to recognize that the third, fifth, and seventh function as nuclear notes, and among these the third is most frequently the finalis.
    It is possible to suppose that the ryo scale (do re mi sol la do) and the pentachordal nucleic ryukyu scale (mi fa sol si do mi) are parallel with each other. In both cases the scale consists of the following intervals: narrow, narrow, wide, narrow, wide, in ascending order. The pentachordal nucleic ryukyu scale, however, displays a little more contrast in terms of the width of its intervals.
    In the case of certain folksongs of Yaeyama, some of which are dealt with in this article, the pitch of notes in the melody as performed is subtly heightened or lowered, so that it is difficult to identify the scale as being ryo or pentachordal nucleic ryukyu. Therefore, the relationship between these two scales, which appear to be opposites, is, in fact, not dualistic but monistic in nature.
    Such a relationship is analogous to that of slendro and pelog in Javanese music. This is worthy of note for the purposes of future comparative research.
    The conclusions of the present author are as follows. In Okinawan music there are five scales: min' yo and ritsu, both based on a tetrachordal nucleic structure, are dominant in the Amami and Okinawa Islands; while ryo and pentachordal nucleic ryukyu, both based on a pentachordal nucleic structure, are dominant in the Yaeyama, Miyako and Okinawa Islands. A complex of these scales is
  • 大山 公淳
    密教研究
    1929年 1929 巻 32 号 1-70
    発行日: 1929/03/01
    公開日: 2010/03/12
    ジャーナル フリー
  • 《ランドスケープ》《地平線のドーリア》《秋庭歌一具》の共通性
    宮川 渉
    音楽表現学
    2018年 16 巻 1-20
    発行日: 2018/11/30
    公開日: 2020/05/25
    ジャーナル フリー

     武満徹の《秋庭歌一具》は雅楽の重要な作品として知られているが、この作品を書く上で下地となった作品が二 曲存在すると考えられる。それは《ランドスケープ》と《地平線のドーリア》である。本稿はこれらの三作品において、どのようなかたちで雅楽の要素が現れているかを検証することにより、これら三作品の共通性を明らかにすることを目的とする。そのためにこれらの作品における音組織と反復性の二点に焦点を当てて分析に取り組んだ。また《地平線のドーリア》には、 ジャズ・ミュージシャンのジョージ・ラッセルが提唱した理論であるリディアン・クロマティック・コンセプトからの強い影響もあると武満自身が語っており、武満は、この理論を用いてジャズよりも雅楽の響きに近いものを追求したと考えられる。 その点も合わせて検証した。

  • 外山友子 友子
    東洋音楽研究
    1978年 1978 巻 43 号 1-51,en1
    発行日: 1978/07/15
    公開日: 2010/11/30
    ジャーナル フリー
  • 田邊 尚雄
    東洋音楽研究
    1936年 1936 巻 1 号 3-25
    発行日: 1936年
    公開日: 2010/11/30
    ジャーナル フリー
    本稿は私が嘗て都山流尺八師匠の研究資科の爲めに、金澤市の大師範藤井隆山氏が編輯發行せる『都山流尺八教授資料』の第四號乃至第八號に流載したものを墓とし、之を補訂、抜萃して纒めたものである。
  • 中川 善教
    東洋音楽研究
    1954年 1954 巻 12-13 号 101-140
    発行日: 1954/10/30
    公開日: 2010/11/30
    ジャーナル フリー
  • その変遷と本質
    東洋音楽研究
    1967年 1967 巻 22 号 174-182
    発行日: 1967年
    公開日: 2010/11/30
    ジャーナル フリー
  • 黒沢 隆朝
    東洋音楽研究
    1952年 1952 巻 10-11 号 18-32,en2
    発行日: 1952/12/25
    公開日: 2010/11/30
    ジャーナル フリー
  • 仲辻 真帆
    音楽学
    2019年 65 巻 1 号 32-49
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/10/15
    ジャーナル フリー
      東京音楽学校本科(現在の東京藝術大学音楽学部)において体系的な作曲教育が開始されたのは、1931(昭和6)年のことである。時勢に鑑みて、文部省令により「作曲部」が設置された。東京音楽学校の作曲教育は、日本における創作領域の人材育成に大きく寄与してきたにもかかわらず、これまで本格的な研究がなされてこなかった。本論文は、この本科作曲部の最初期の様相解明を目的としている。
      1932年より本科作曲部の入学者が募集され、設置当初は毎年2~3人の作曲専攻の学生が入学した。信時潔、片山頴太郎、下總皖一、呉泰次郎の他、外国での研鑽を終えたばかりの細川碧や橋本國彦、ドイツ音楽を体得していたK. プリングスハイムも指導にあたった。ドイツやウィーンの音楽理論の教授が根幹にあったが、和歌への作曲や
    律旋法
    ・陽旋法など日本の伝統的音階に基づく作曲も実施されていた。教員たちが自ら翻訳したテクストを用いるなど独自の音楽理論を展開していたことも明らかとなった。
      本研究では、学校資料に基づいてカリキュラムや試験問題を提示するとともに、1930年代に在学していた学生たちの手稿資料を活用して授業内容を検証した。とりわけ自筆譜、日記、書簡からは、ソナタの作曲に苦悶しながら、朝夕問わず日々習作を書いて作曲修得に励んでいた学生たちの様子が浮き彫りとなった。S. ヤーダスゾーンの『和声学教科書』が受験勉強に用いられていたこと、作曲部の授業でS. クレールやH. リーマンの和声論が教授されていたことも判明し、そこから昭和初期の和声教育の一端が見出された。
      研究対象とした1930年代は、社会状況が激しく変化した時期である。作曲部の学生たちも軍事訓練への参加や戒厳令下での合唱練習を経験していた。ただし戦争の影響はまだ大きくなく、設置当初の作曲部では充実した授業が実施されていた。初期卒業生の記述からは、新体制の中で豊かな作曲教育を享受していたことがわかる。
  • ―R. ランゲとG. カペレンによる伊澤修二編『小学唱歌』第一巻の翻訳・編曲に焦点を当てて―
    釘宮 貴子
    音楽教育学
    2018年 47 巻 2 号 37-48
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/03/31
    ジャーナル フリー

     明治期の西洋音楽受容については多くの研究が行われてきたが, 明治期に日本の学校唱歌が西洋に伝えられ, 和声付けされていたことについてはまだあまり研究されていない。本論文は伊澤修二の『小学唱歌』第一巻 (1892) が日本学者ルドルフ・ランゲと音楽家ゲオルク・カペレンによってどのように翻訳・編曲されていたのかを明らかにすることを目的としている。伊澤修二の『小学唱歌』第一巻は, 教育勅語の内容をわかりやすく歌で教えることを目的としていた。ランゲの研究論文「日本の小学唱歌」 (1900) の考察から, ランゲは伊澤修二の『小学唱歌』第一巻を深い理解に基づき翻訳していることが明らかとなった。またカペレンの編曲『小学唱歌 伊澤修二の日本の旋律』 (1903) の分析により, カペレンが日本の唱歌の旋律に複数の和音や, 複数の調性の可能性を見出し, 独自の和声付けを試みていることが明らかとなった。

  • 東洋音楽研究
    1966年 1966 巻 19 号 81-114
    発行日: 1966/10/05
    公開日: 2010/11/30
    ジャーナル フリー
  • 阿部 純一, 星野 悦子
    基礎心理学研究
    1985年 4 巻 1 号 1-9
    発行日: 1985/10/31
    公開日: 2016/11/10
    ジャーナル フリー
    Two experiments were conducted to investigate the "final-tone" extrapolating behavior of two music experts, one of Western classic music and the other of Japanese traditional music, for three-note melodies (tone sequences). The first experiment verified the schemadriven properties of their perception and prediction of melody. The results indicate that the Western-music expert assimilated the stimulus tone sequences to the major and minor "diatonic" tonal system of Western music but that the Japanese-music expert did not. The second experiment investigated the extrapolating behavior of the Western-music expert thoroughly for 469 tone sequences, which included all possible melody structures for three-note sequences within an octave. The response structures of the expert are discussed in terms of the processing rules of her tonal schema. Also discussed are the relationship of this work to the trend of cognitive musical studies and to our previous studies.
  • 我妻 龍聲
    智山学報
    2019年 68 巻 59-104
    発行日: 2019年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー

     本稿では現行の智山声明の中曲の旋律構造の考察を試みた。智山声明の中曲には「アクセント系の中曲」と「半呂半律、半律半呂の中曲」がある。『大典』「理趣経」に記載する中曲音階は羽調の律と徴調の律を合わせた音階である。この音階の特徴は角と徴が主音に働く音階であり「アクセント系」の中曲に反映されていると考える。一方、「半呂半律、半律半呂の中曲」とは四度音程の呂律の主音の交代(反音)の旋律であると考える。以上の視点から智山声明の中曲の旋律構造について考察してみたい。

  • 杉田 政夫
    日本教科教育学会誌
    2000年 23 巻 3 号 43-52
    発行日: 2000/12/31
    公開日: 2018/05/08
    ジャーナル フリー
    本研究は,明治期においてヘルバルト主義が,わが国の学校音楽教育の理論的側面に与えた影響について明らかにすることを目的とした。研究方法としては,明治35年に翻訳紹介されたヘルバルト主義者,ラインの『第一学年』における唱歌教育論を分析した後,明治後期にわが国において執筆された何冊かの唱歌科教授法書を検討し,ヘルバルト主義の影響について考察した。さらに,ヘルバルト主義がわが国の学校音楽教材に与えた影響を明らかにするために,当時最も普及した文部省編『尋常小學唱歌』の分析を行った。『尋常小學唱歌』を分析した結果,他教科との関連性の重視,理解しやすい歌詞文体,童話や模範的人物を題材とした歌詞の導入,国家主義思想の培養や美感の養成を意図した歌詞の充実,子どもの声域を配慮した歌いやすい旋律,文化史的段階説に基づく教材の配列方法など,様々な側面においてヘルバルト主義の影響を見いだすことができた。一方で,ラインの音楽教育論と,わが国のヘルバルト主義に基づく音楽教育論とを比較した結果,わが国では,教材論や教授法において,かなり歪曲した受容がなされたことが明らかとなった。
feedback
Top