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クエリ検索: "新宮一成"
91件中 1-20の結果を表示しています
  • 中西 啓
    デザイン学研究
    2010年 57 巻 2 号 93-100
    発行日: 2010/07/31
    公開日: 2017/06/24
    ジャーナル フリー
    本研究は芸術展示における誤読に着目する。分析対象の展示における展示する側および展示を見る側の二者による誤読に着目し分析することで、二者の間に生起する関係を明らかにする。分析対象の展示では経済学にいう交換がなされた。経済学の知見によれば、二者の間で価値がある量的比率関係をもつとき交換が成立する。したがって、分析対象の展示では、二者の間で価値が何らかの量的比率関係をもつと考えられる。ところが、分析対象の目に見える次元において、二者の間で価値に量的比率関係は析出されない。一方、目に見えない次元において、展示対象に関わる側つまりデザイン学領野による時間の切り上げ機能が析出される。この機能は、目に見えない次元において二者の間で価値にある量的比率関係がもたらされることを証する機能である。したがって、分析対象において交換が成立するのは、目に見えない次元において、二者の間で価値がある量的比率関係をもつからであることが証される。
  • 認めたくない自分を認めようと来談した女性との夢分析を用いた心理療法
    梅村 高太郎
    箱庭療法学研究
    2015年 28 巻 1 号 79-87
    発行日: 2015年
    公開日: 2016/02/08
    ジャーナル 認証あり
    神経症の病理はある種の“知”をめぐる問題として捉えられる。それゆえに,神経症者がその膠着した世界から出立するためには,知っているはずの知らないことを真に知るということが重要となる。本研究では,こうした問題意識のもとに,認めたくない自分を認めようと来談した女性との夢分析を用いた心理療法を取り上げ,考察を試みた。知っているべきことを知らないことによって,クライエントは心理学的な意味での無垢な子どもであり続け,成熟し自立することが妨げられていた。しかし,その神経症的構造がまさにその神経症的な行為によって逆説的に崩壊し,彼女は知らないものと接触し,変容することを強いられた。こうした変化に伴い,彼女は次第に無垢で無疵であり続けることへのこだわりを手放し,拒絶してきた女性性を受け入れていった。最終的に彼女は,疵あるものとして自らの人生を受け入れることで,心理療法を終えていったのだと考えられた。
  • 小林 一之
    山梨英和大学紀要
    2025年 23 巻 27-38
    発行日: 2025/03/30
    公開日: 2025/05/01
    ジャーナル フリー
     本論は、芥川龍之介の「海のほとり」(一九二五)を作中の夢を中心にフロイトとラカンの精神分析と夢解釈の理論と方法に依拠して分析したものである。〈一〉章の夢テクストに現れた〈鮒〉は〈夢の最も鮮明な要素〉であり、多様な要素が縮合されている。〈鮒〉は男性のファルスを象徴し、《鮒・ふな・hu/na》というシニフィアンの水準では、《不安・ふあん・hu/a/n》《文・ふみ・hu/mi》《入船・いりふね・i/ri/hu/ne》《船虫・ふなむし・hu/na/mu/si》などと連鎖しているという推論が可能となる。フロイトとラカンは、無意識の現実は性的現実だと考えた。「海のほとり」にはそのような無意識の欲望が表現されている。 晩年の芥川が試みた〈話らしい話のない小説〉では、意識による統御が解かれ、無意識が開かれていく。作者の無意識は読者にも作用していく。芥川龍之介は、夢テクストを書くことによって無意識が開かれていく小説を探求していった。
  • 佐々木 和彦
    年報社会学論集
    2000年 2000 巻 13 号 85-96
    発行日: 2000/06/05
    公開日: 2010/04/21
    ジャーナル フリー
    This paper is a logical analysis of reality in images. I use the term “reality” to mean the force that compels us to repeatedly experience an image and at the same time attracts our visual desire. There are two purposes here: (1) to reveal the origin of “reality” in images, and (2) to consider what kind of desire could be generated by stimulating our sensibility. Regarding the concrete analysis, I first reveal characteristics of the human sense of sight. Secondly, I analyze the features of images and the human visual desire using Barthes's concept of “the gaze” and Lacan's concept of “objet petit a”. Finally, I present that the origin of “reality” in images consists in “the gaze” as “objet petit a”.
  • 中西 啓
    デザイン学研究
    2006年 53 巻 4 号 31-38
    発行日: 2006/11/30
    公開日: 2017/07/11
    ジャーナル フリー
    本研究はキャンパスプラザ京都で2002・2003年両年度に開催された芸術系大学学生作品展を事例とする、芸術展示デザインのパレルゴン析出の試みである。研究は形態分析・深層分析を併用するものである。分析ではアンケート自由回答を総休として扱い、個々人の資質に帰さない普遍的な分析結果を求めている。統計学を援用する形態分析からは、1)この展覧会の規模と演示のカテゴリーにおいて不満が強いことが示された。次に精神分析学を援用する深層分析からは、2)この研究事例におけるデザインのパレルゴンのひとつとして結界が析出された。3)このパレルゴンは展示するものに論理的にさし向けられる、他者の無意識的な言説によって画定されるものであることが分かった。そして両年度における結界を巡る言説意味内容の考察から、4)このパレルゴンは他者の無意識的な言説の意味内容が論理的・無矛盾であれば、その意味内容とは関係なく画定される可能性が示された。
  • オーストリア文学
    2018年 34 巻 21-34
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/03/16
    ジャーナル フリー
  • 小林 一之
    山梨英和大学紀要
    2023年 21 巻 85-99
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/05/15
    ジャーナル フリー
    芥川龍之介の「死後」(1925)は、夢の中では死んでいるという設定の〈僕〉という話者によって語られる作品である。本論では、ジークムント・フロイトの夢解釈の理論を根拠として、ジャック・ラカンのシニフィアンの理論も参照し、作品内の夢を中心に分析した。
     作者は、〈僕〉という話者(語る主体)を、現実と夢の世界を往来して意識と無意識とを媒介する中間者的な存在として設定し、睡眠前の日常と入眠直前から、夢の場面を経て、覚醒後までの過程を語った。夢の記述を通じて無意識を開くことによって、芥川は生きることへの欲望をはからずも書いてしまった。フロイト的な無意識の露呈によって、作者芥川は末尾の一文に〈フロイドは――〉という言葉を召喚したのである。
     晩年の芥川は夢をモチーフとする小説を書き続け、自らの無意識を顕わにしていく。「死後」は、芥川龍之介の無意識の欲望、生への欲望が刻まれた小説である。
  • 有働 牧子
    サイコアナリティカル英文学論叢
    2007年 2007 巻 27 号 37-52,106
    発行日: 2007年
    公開日: 2011/03/11
    ジャーナル フリー
    William Faulkner's Light in August, published in 1932, might be regarded as his most inscrutable work. Such inscrutability, or difficulty in comprehension, is mostly caused by the variety of problems dealt with and by the intricacies of the past and the present or of the plural stories about the plural main characters in the book. This work is, as we might say, so chaotic and so multi-layered that it shows too many things and dazes the readers. Thus, in order to comprehend as far as possible, this paper deals with Gail Hightower only.
    Needless to say, Hightower is completely absorbed in his ancestral past. Although there are plenty of critics statements about his absorption in the past, the cause and the process for it seem to be still veiled. The purpose of this study is to examine Hightower's childhood and reveal that cause and process with the help of the psychoanalytic works of Jacques Lacan. Finally, revealing them, we can find the last attitude of Hightower in chapter 20 means the beginning of his new life.
  • 中西 啓
    デザイン学研究
    2009年 55 巻 6 号 95-102
    発行日: 2009/03/31
    公開日: 2017/07/19
    ジャーナル フリー
    本研究は、ハミルトン・エリスによる鉄道客車デザインの発展史「NINETEENTH CENTURY RAILWAY CARRIAGES」における叙述を分析対象とする言説分析の試みである。分析対象に比較的多く記される事物の終焉時期を記す解説文に着目し、これらの解説文を記すことが分析対象に何をもたらしているかを考察する。分析では、はじめにこれらの解説文を記すことが発展史として妥当であるか検証する。次にこれらの解説文がデザイン史学において有用であるか考察する。分析には統計学および精神分析学の知見を援用した。統計学の知見を援用する分析からは、事物の終焉時期を記す解説文が分析対象の発展史としての妥当性を損なっていないことが分かった。精神分析学の知見を援用する分析からは、事物の終焉時期を記す解説文の中に、因果関係の説明に客観性をもたらそうとする有用な解説文があることが分かった。これらの分析結果は、事物の終焉時期を記すことの有用性が、デザイン史学の領野において展開できる可能性を示している。
  • 小林 一之
    山梨英和大学紀要
    2021年 20 巻 44-52
    発行日: 2021年
    公開日: 2023/03/05
    ジャーナル フリー
    本論では、志賀直哉の作品「梟」(1925)を対象に、フロイト『夢解釈』(1900)の理論と方法に依拠して作中の夢を分析した。志賀は夢そのものを描くリアリズムを創造し、夢を素材とする作品を初期から晩年まで数多く書いた。「梟」は、睡眠前と入眠直前の場面、夢の場面、覚醒後の場面の三つで構成されている。この構成は芥川龍之介の晩年の夢を題材とする小説に影響を与えた。
     夢は欲望の成就であることが、フロイトの理論の根幹にある。フロイトは、夢思考・夢工作・夢内容の分離、言葉の連鎖による機知、自我の多層的呈示、夢中の会話の材料などについて重要な考察を行った。「梟」の夢の潜在的な夢思考において、「私」は、睡眠前の場に不在だった人物つまり母を夢の場に召喚したいという欲望を持つ。第三場面では、夢工作によって、不在の母を「梟」という表象で描き、「ふくろ」という言葉として機能させ、表象=言葉としての母を出現させる。
     《ふくろ→おふくろ→おやじ》という言葉の音の連鎖と意味の関係によって、顕在的な夢内容が形成され、洒落や機知が笑いを生み出す。夢の主体「私」は重層的に呈示され、夢の中の話も重層的に形成されている。志賀直哉の「梟」の具体的な分析から、そのような夢の構造が現れる。
     夢を観察し描写する眼差しの独自性が、志賀が夢を描くリアリズムを支えている。自らの欲望を成就する夢を表現すること自体が、志賀直哉の作家としての欲望を成就することでもあった。
  • 中村 有里, 武井 祐子
    カウンセリング研究
    2017年 50 巻 3.4 号 160-169
    発行日: 2017/11/30
    公開日: 2019/09/26
    ジャーナル 認証あり

    本稿は,中学校での不登校以来ひきこもりの状態が続いていた青年期女性が,社会とのつながりを形成していった心理面接過程の報告である。そのかかわりは,クライエントが没頭していた架空世界の共有を重視したものから,面接担当者の交代をきっかけとして,現実生活を重視したものへと移行した。このかかわりの移行に伴い,「話すことが苦手」なクライエントが毎回持参していた日記は面接の台本としての機能が薄れ,クライエントの言葉で語られることが増えていった。また,この現実生活を重視した援助方法として,青年期の友人関係の発達変化に着目した。クライエントの友人関係における発達の残された課題をセラピストとの関係を通して発達変化させることで,社会の中で出会う友人との関係につなぎ,社会参加を促すものになることが示唆された。この示唆は,不登校や引きこもりなど,他者とのつながりが希薄であるクライエントの社会とのつながりを形成し,後押しすることにつながると考えられる。

  • 木原 圭翔
    映像学
    2024年 111 巻 260-269
    発行日: 2024/02/25
    公開日: 2024/03/25
    ジャーナル フリー
  • 片山 知子
    箱庭療法学研究
    2012年 25 巻 2 号 63-74
    発行日: 2012年
    公開日: 2012/12/25
    ジャーナル 認証あり
    筆者は, 児童養護施設の一人の男子被虐待児童に遊戯療法を行った。彼が, 主体性を取り戻し, 遊戯療法を終了するまでには, 関係を一度構築するだけではなく, 獲得した関係や遊びを手放す事によって, 新たな主体のあり方を構築する事を三度繰りかえした。これを, 三度の対象の喪失と新しい主体の確立との関係という観点から考察した。すると, 第一の対象の喪失は, イメージから分離した主体を構築したと考えられた。第二の対象の喪失は, 象徴的な死による主体と対象の分離による, 人間的な主体を構築したと考えられた。第三の対象の喪失はセラピストとの実際の別れを経て, 一人の自立した主体を構築したと考えられた。このように, 二者関係における基本的な信頼感を持ちながらの分離, つまり対象の喪失は, 子どもの心理面接に大きな意味を持つと思われた。
  • 主客の逆転の彼方
    井尻 直志
    HISPANICA / HISPÁNICA
    1998年 1998 巻 42 号 97-109
    発行日: 1998/12/01
    公開日: 2010/06/11
    ジャーナル フリー
    Cortázar eschbió muchos cuentos que tienen como tema el pasaje o desplazamiento. Por ejemplo, en “Axolotl” la conciencia del protagonista se desplaza a la del axolotl, y en “Continuidad de los parques” el lector ficticio pasa al mundo de la novela que está leyendo. A través de semejante pasaje Cortázar quería expresar la inversión de sujeto/objeto en el sentido más amplio de esta palabra. La inversión de sujeto/objeto es requerida para quebrantar la dicotomía que forman el sujeto y el objeto convertidos en sustancias, y revelar que la imagen del mundo, en cuyo centro está el sujeto, es un mero producto de una manera de pensar originada en el raclonalismo de la Europa Moderna. Sin embargo, para que se pueda invertir el orden de sujeto/objeto, estos dos términos tienen que estar reconocidos de antemano y, debido a ello, la dicotomía resulta reconocida paradójicamente. Evitando este tipo de paradqja, “Anillo de Moebius” intenta dibular el mundo que está más allá de la dicotomía sujeto/obieto.
    Lo que Cortízar intenta en “Anillo de Moebius” es dibujar el mundo en que todavía no estín divididos el sujeto y el objeto, y expresarlo como exterior del mundo articulado por el lenguaje. Para ello Cortázar destruye el lenguaje articulado, dado que para expresar mediante palabras el mundo todavía no articulado por el lenguaje no hay más remedio que destruir el lenguaje articulado. He aquí otra paradoja: dibujar el exterior del lenguale a través del lenguaje. Pero si es cierto que, al entrar en el mundo ordenado por las palabras (o el mundo simbólico, según la terminología de Lacan), se forma el sujeto y, al mismo tiempo, se objetivan las cosas, no se puede expresar el mundo que está más allá del lenguaje sino mediante el medio aprovechado en “Anillo de Moebius”. Lo cual permite concluir que “Anillo de Moebius” es una obra que nos dela entrever ilusoriamente el exterior del sistema del lenguaje en el límite del lenguaje.
  • 青年期男性との描画を介した心理臨床過程
    笹倉 尚子
    箱庭療法学研究
    2012年 25 巻 1 号 39-50
    発行日: 2012年
    公開日: 2012/12/14
    ジャーナル 認証あり
    本論文では, 面接開始時から予め終結の時期が定められていた事例について検討している。クライエントである青年期男性は, “別離”という心理的テーマを抱えていた。彼は面接の前半においてはある女性との別離の体験について語り, 後半においては両親の別離の体験を想起した。彼はそうした別離をめぐるさまざまな葛藤を, 描画を通して浄化し, 昇華していった。また, 終結時期が定められていたため, クライエントはセラピストに依存したい気持ちを抑圧し, セラピストとの関係が深まることを避けていたようだった。しかしながらクライエントは終結に際し, セラピストとともに別れる痛みを分かち合うというかたちで別離を体験することになった。以上のように, 終結を予定された出会いには限界も認められたが, クライエントはこれまでとは異なるかたちで別離を体験したと考えられた。
  • ―― Kristeva のアブジェクシオンと主体の生成 ――
    石田 暢子
    箱庭療法学研究
    2011年 24 巻 2 号 2_37-2_52
    発行日: 2011年
    公開日: 2012/03/19
    ジャーナル 認証あり
    本事例は,高校生の女子との面接過程である。筆者は,クライエントと絵との関係の変容に注目した。
    本事例はクライエントが自身の絵を持ってきてTh に見せるという形で進行した。絵のイメージを共有していくと,次第にクライエントと絵との関係が変化していった。それは,Th に絵を秘密にする,絵を捨てる,新しい絵の描き方を始めるといったものであった。クライエントのそれらの行動を理解するために,本論文においてはKristeva のアブジェクシオンの論考を参考にした。この事例において,面接初期のクライエントにとって絵はポジティブな母なる機能を果たしており,クライエントは絵という母なるものと一体になった状態であった。しかし,面接が進む中で絵との関係が深まると同時に,ネガティブな母なるものの側面を感じ始めた。そして,最終的には母なるもの(絵) と一体の状態を否定し,一定の距離を持った新たな絵との関係を築いた。そのことは,クライエントに客観的視点という新たな視座を確立させることにつながった。
  • ― コンクールが生起する構造と意識
    小田 直弥, 清水 稔
    音楽教育実践ジャーナル
    2022年 20 巻 34-43
    発行日: 2022年
    公開日: 2024/01/17
    ジャーナル フリー
  • 松村 一男
    宗教研究
    2007年 80 巻 4 号 1005-1006
    発行日: 2007/03/30
    公開日: 2017/07/14
    ジャーナル フリー
  • ――夢の中でイニシエーションを体験した青年期女子の面接過程――
    宮澤 淳滋
    箱庭療法学研究
    2011年 24 巻 1 号 1_19-1_33
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/12/01
    ジャーナル 認証あり
    本論文では,クライエントの夢がどのような可能性を示しており,夢の展開がどのように現実の動きとつながっていたかを考察した。本論文のクライエントは不安定な母親との関係をなんとか維持するために,強迫や過食を続け,引きこもっていたと思われた。しかし,クライエントは夢の中で異界に入る。そこでイニシエーションを行い,死と再生を体験し,象徴的な母殺しを行うことを通して,母親との分離を達成し,現実の自立の動きにつながった。また,このような夢での体験は,すでに初期の夢にも表れており,夢はそのテーマを展開する形で体験を深めていった。そして心理療法の終わりには,異界から現実に戻っていくことも夢の中で体験された。
  • アンリの精神分析批判から解釈された「非脱自的時間」について
    本間 義啓
    ミシェル・アンリ研究
    2021年 11 巻 13-26
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/12/10
    ジャーナル フリー
      Dans la pensée henrienne de l’ipséité de soi se trouve le concept spécifique de temps. Selon Henry, tous les repères biographiques, tels lieu, date de naissance et relations au père, ne permettent pas de saisir la réalité du moi. Il affirme que le moi « n’est pas du monde ni par conséquent un être naturel, il n’est pas le fils de son père ». Son « père » est la Vie, et il est né dans la Vie. Chaque moment qu’il s’éprouve dans la Vie, le moi prend naissance dans cette épreuve de soi. Dans la mesure où la relation du moi à la Vie qui l’engendre trouve sa vérité dans le « s’éprouver dans la Vie », la réalité du moi vivant consiste dans le présent vivant de cette épreuve de soi. « Nous vivons, écrit-il, dans un éternel présent que nous ne quittons jamais ». Or, il est remarquable que cette subversion du concept habituel de naissance s’accompagne des critiques de la psychanalyse. Henry critique souvent le concept freudien de l’inconscient, du complexe d’Œdipe, lorsqu’il mentionne son concept de naissance, l’expérience temporelle de soi. Il nous est ainsi possible d’interpréter le concept henrien de naissance et de temps à partir de sa critique de la psychanalyse, et non seulement à partir de ses travaux sur le christianisme : La Généalogie de la psychanalyse peut être interprétée pour comprendre le concept henrien de temps. La confrontation de Henry à la psychanalyse ne nous permettra pas simplement d’approfondir le problème de la temporalité dans la pensée henrienne de la naissance, mais aussi d’interpréter le problème du temps et celui de la naissance dans les façons dont Freud et Lacan analysent la relation du moi à son inconscient.
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