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クエリ検索: "新潟県立新潟中央高等学校"
6件中 1-6の結果を表示しています
  • 溝口 直樹
    物理教育
    2009年 57 巻 1 号 7-12
    発行日: 2009/03/06
    公開日: 2017/02/10
    ジャーナル フリー
    ホイヘンスは,波の伝播をどのように考えていたのだろうか。理解しづらいホイヘンスの原理をもっと正確に理解したいと思い,『光についての論考』を読み直し,ホイヘンス自身の考えを探ってみた。その結果,ホイヘンスは,音などの波と光とでは波の伝播方法が違う,と考えており,光の場合だけ,主要波面のほかに個別波面(いわゆる素元波)も発生させると考えていた。また,個別波面だけでは目が感知する波面にはならないが,個別波面の最先端部分(要するに包絡面)は主要波面と必ず一致するので,光の反射のように主要波面がどこにできるかが分からない場合には,個別波面の包絡面を調べることで主要波面がどこにあるかを知ることができる,と考えていたことが分かった。また,波の性質として,波面と射線とが直交することをホイヘンスは最も重視していた。波の性質を説明する際に,この視点は,現代でも有効であると筆者は考える。
  • 池上 雄作, 石戸 勵, 大槻 勇, 花屋 馨, 平山 昇, 堀野 博
    化学教育
    1984年 32 巻 2 号 144-147
    発行日: 1984/04/20
    公開日: 2017/09/15
    解説誌・一般情報誌 フリー
    標題の調査結果から主な部分をまとめてみた。現状に対する見方は教師ひとりひとりによって異なるであろうと思われるが, 本稿を読み返してみて, 現状の好ましくない面が強調されすぎてはいまいかという不安が残る。しかし, 現状の問題点を摘出してよりよい化学教育を考える資料にという目的を念頭においた調査であるから, その点はやむを得ないとも考えている。現在理科I導入を伴うカリキュラム改訂が進行中であり, 化学教育の面でも事情が少しずつ変わってきていることは確かである。その推移を注意深く見守りたいと思う。その過渡期にあって, 本調査結果が今後の化学教育を考えるうえに役立つことを期待している。
  • ―コロナ禍における高大連携の生徒実験―
    小長谷 幸史, 小田島 大, 山家 真奈美, 高橋 悠斗, 古俣 真夕, 重松 亨
    理科教育学研究
    2022年 63 巻 2 号 425-435
    発行日: 2022/11/30
    公開日: 2022/11/30
    ジャーナル フリー

    分子生物学など幅広い分野で用いられているポリメラーゼ連鎖反応(PCR)は,現在では高等学校の生物の教科書にも記載され,新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の検査で用いられていることにより社会にもPCRが広く認知されるようになった。高等学校の生徒に対してPCRの原理と応用に関する質問紙調査を行った結果,ほぼ全員PCRという言葉を知っていたが,SRAS-CoV2の検査に関すること以外の記述はほとんどなかった。この生徒に対し大学と連携によるPCRの実験を伴った授業を行った。授業は通常の授業時間のなかで説明,PCRの操作,電気泳動を含めて2校時内に行うものとし,PCRは3台の温度の異なるウォーターバスを用いて生徒が反応液の入ったPCRチューブを移動させる“手動PCR”の方法で行った。PCRは原核細胞の16SリボソームRNA遺伝子のほぼ全域の約1500 bpの部分を標的とし,試料は納豆から分離したBacillus subtilisの菌体およびそのDNA,納豆の粘りを用いた。1校時目に全体の説明とPCRの反応操作を行った。PCRの条件は初期変性2分間の後,94°C 20秒間56°C 20秒間72°C 20秒間の25サイクルで行った。2校時目にPCR後の反応溶液を電気泳動に供した結果,9班中2班で目的のPCR産物が得られていた。本実践では感染症対策を十分にとって行うことができた。授業後の課題の設問への解答にはPCRの原理や検査以外の応用の記述がみられるようになった。本実践により通常の授業時間の2校時と課題による時間外学習によりPCRについて学ぶことができる生徒実験が構築できる可能性が見出された。

  • 1927年の講演から
    石川 伊織
    頸城野郷土資料室学術研究部研究紀要
    2024年 9 巻 19 号 1-14
    発行日: 2024年
    公開日: 2024/12/25
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス
  • 中山 美緒
    史学雑誌
    1978年 87 巻 9 号 1269-1301,1406
    発行日: 1978/09/20
    公開日: 2017/10/05
    ジャーナル フリー
    The main available materials for rice price data in the first half of Ch'ing are officials' private reports to the emperor (tsou-che), miscellanious writings of the literati, and the records of natural calamities in the local gazetteers. Because of the lack of uniformity of weights and measures in the Ch'ing period, we cannot discuss the trend of rice prices simply by comparing price figures, but must also rely heavily on the accounts of contemporary observers. Rice prices had been rising since the end of the Wan-li Period (1573-1620) and went up sharply after the 10th-11th year of Ch'ung-chen (1628-44). Although these high prices continued to obtain throughout the earlier half of the Shun-chih period (1644-61), the widespread starvation witnessed in Ch'ung-chen was no longer found. Rice prices declined from the second half of Shun-chih until the early k'ang-hsi period (1662-1722), and this brought about the rural depression remarked upon with the saying "The cheapness of grain distresses the farmers" (ku-chien shang-nung 穀賎傷農). The decline was followed by a gradual rise after the mid-k'ang-hsi period and then a sudden upward surge in early Ch'ien-lung (1736-95) which caused rice-riots. Prices continued to rise throughout the later Ch'ien-lung period, and this rise is thought to have been accompa-nied by economic prosperity.
  • 深井 人詩, 佐藤 徹夫, 目黒 聰子, 伊吹 啓, 秋山 恭子, 小笠原 玲子
    図書館学会年報
    1981年 27 巻 Supplement 号 S1-S52
    発行日: 1981年
    公開日: 2022/10/07
    ジャーナル フリー
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