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クエリ検索: "柿田睦夫"
5件中 1-5の結果を表示しています
  • 鈴木 亨, 西尾 信一
    物理教育
    2001年 49 巻 4 号 380-383
    発行日: 2001/09/20
    公開日: 2017/02/10
    ジャーナル フリー
  • 自己啓発セミナー現象再考
    井上 芳保
    現代社会学研究
    1993年 6 巻 81-105
    発行日: 1993/04/15
    公開日: 2009/11/16
    ジャーナル フリー
    情報社会には、産業社会(モダン)との連続面と断絶面の二つがある。ソフトノミックスと言われているにも拘らず、過労死の多発など人間にとって抑圧的事態が発生している事実は禁欲的なエートスを基礎とするモダンの原理が情報社会においても相変わらず貫徹していることを意味している。だが、情報の産業化にはモダンを変質させる潜在的可能性がある。われわれは自己啓発セミナー現象の中にそのことをみてとれる。自己啓発セミナーはルサンチマン処理産業というモダンとの連続面以外に「目的―手段連関」を超える身体性文化というモダンとの断絶面からも捉えられる。セミナー参加者であってかつ傍観者的な「透明人間」でいることは不可能である。情報社会における社会運動を論ずるメルッチは、前言語的な身体性領域から発されるアラーム・シグナルに関心を払っている。われわれは身体性文化としての自己啓発セミナー現象にある二種の身体性メッセージの中にアラーム・シグナルを聞き届けうる。一つは人間にとって抑圧的な現代社会からの「解放」を求める参加者から聞こえ、今一つはセミナーに強い興味を持ちながら参加に踏み切らぬ「透明人間」の姿から聞こえる。「透明人間」は主観的動機はともあれ、客観的には心の商品化の動向に躊躇という形で抵抗している。このことは情報資本主義が人間性の一切を商品化しようとしても実際にはそうはならぬことを示している。
  • 今泉 寿明
    宗教と社会
    1995年 1 巻 29-48
    発行日: 1995/06/10
    公開日: 2017/07/18
    ジャーナル フリー
    シャーマニズム性を有する伝承的占い遊戯「こっくりさん」の知識、体験、解釈に関する初めての広域実態調査を1992年に実施した。静岡県、愛知県、徳島県、沖縄県に在住する一般成人2,000名に調査票を配付し、1,636名(20〜69歳)の解析用データを得た。知識獲得と遊戯体験は概ね学齢期(7〜18歳)に限定され、遊戯形態は学校ないし家庭・地域社会での集団型が大部分を占めていた。知識の性差はめだたないが、体験は女性の方にやや高率にみられた。年齢、性別を問わず心霊現象という解釈よりは科学的な解釈の方が優勢であった。 1930年代から現在までの「こっくりさん」流行史は社会変動と関連しており、安定伝承期(1930〜1945年、昭和初期〜敗戦)、低迷期(1946〜1973年:本土の戦後復興〜高度経済成長/沖縄の本土復帰前)、興隆期(1974〜1992年:本土の高度経済成長以降/沖縄の本土復帰後)に区分されることが示唆された。
  • 山口 瑞穂
    宗教と社会
    2019年 25 巻 65-79
    発行日: 2019/06/08
    公開日: 2021/06/05
    ジャーナル フリー

    本稿は、1970年代半ばから1990年代半ばの日本におけるエホバの証人の歴史展開を、宗教運動論や教団組織論の視点から検討し、この時期の発展要因を明らかにする。検討に際し、教団側の刊行物だけでなく教団外からの情報も採用し、世界本部の布教戦略に注意を払った。ハルマゲドン1975年説が期待外れとなり、離脱者の増加という現象に直面した世界本部は、以前にも増して「終わりが近い」ことを強調し、多くの時間を宣教に費やす「開拓奉仕」と称される活動を督励した。日本支部の信者に占める「開拓者」の比率は群を抜いて高く、その多くは非信者の夫をもつ主婦たちであった。エホバの証人の救済観や教義は、日本人には本来受け入れにくいものであったが、「家から家」への戸別訪問による宣教に多大な時間が投じられたことが入信者の獲得と教勢拡大につながった。世界本部と日本支部の強固な関係は、献身的な活動を引き出した看過できない要素となっている。

  • 終戦から一九七〇年代半ばまで
    山口 瑞穂
    宗教研究
    2017年 91 巻 3 号 49-71
    発行日: 2017/12/30
    公開日: 2018/03/30
    ジャーナル フリー

    本稿は、日本におけるエホバの証人が、その特異な教説と実践をほとんど希釈することなく二十一万人を超える現在の教勢を築いてきた背景を、日本支部設立の過程における世界本部の布教戦略に着目して検討するものである。資料としては教団発行の刊行物を参照した。検討の結果、エホバの証人において重要な位置を占めているのは「神権組織」と称される組織原則であり、この原則における世界本部への忠節さは神への忠節さを意味するため、日本人信者にとっては社会への適応・浸透以上に世界本部への忠節さが課題となっていたことが明らかとなった。遅くとも一九七〇年代半ばには「神権組織」に忠節な日本支部が確立され、数多くの日本人信者たちが本部の方針に従い「開拓」と称される布教活動に参加した。特徴的な教義でもある予言の切迫感が布教意欲を高めたこともあり、布教の成功率が低い社会状況にありながら膨大な時間が宣教に費やされたことが、その後の教勢拡大を促した。

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