詳細検索結果
以下の条件での結果を表示する: 検索条件を変更
クエリ検索: "横瀬町"
204件中 1-20の結果を表示しています
  • *加藤 潔
    日本地質学会学術大会講演要旨
    2023年 2023 巻 T15-P-9
    発行日: 2023年
    公開日: 2024/04/10
    会議録・要旨集 フリー

    [はじめに]四国や紀伊半島の秩父累帯は,一般に,岩相・地質構造の相違に基づいて,北から北帯,中帯(黒瀬川帯),南帯に区分される.しかし,関東山地東部の秩父累帯の帯区分については,研究者により見解が異なっている(例えば,大藤ほか,2003;Hisada and Hara, 1996;松岡ほか,1998;指田,1992).その主な理由は, 関東山地では,黒瀬川帯を特徴づける岩石(例えば,小澤・小林,1985;島村ほか,2003)が,山中地溝帯南縁と関東山地南東縁の名栗断層帯に報告されているにすぎないためである.筆者は,これまで,埼玉県秩父市浦山地域〜飯能市名栗地域の秩父累帯中軸付近に,黒瀬川帯を特徴づけると考えられるメタガブロや変成岩類を多数みいだし,黒瀬川帯の存在する可能性を指摘してきた(例えば,加藤,2016,2017a).また,加藤(2017b,2019)は,飯能市北部〜

    横瀬町
    東部の秩父累帯北帯と中帯の境界付近に,黒瀬川を特徴づける岩石と考えられるメタガブロの露頭や転石を数地点で見いだし,黒瀬川帯の南北幅が広がる可能性を指摘した.本稿では,埼玉県
    横瀬町
    芦ヶ久保地域の秩父累帯北帯と中帯の境界付近の地質について記載し,新たに見いだされたメタガブロの転石が,秩父累帯北帯と中帯の境界沿い付近にあることを報告し,その意義を考察する. [地質概略]埼玉県
    横瀬町
    芦ヶ久保地域の秩父累帯には,北から南に向かって.秩父累帯北帯の刈場坂ユニット,中帯の花桐ユニットが分布する.本稿では,紀伊半島東側における秩父累帯と同様の岩相・変成相・地質構造の相違に基づく帯区分を行っているため(例えば,加藤, 1995),両ユニットの記載は指田(1992)のものとは多少異なる.両ユニットの境界関係は露頭欠如のため不明であるが.縦走断層であると考えられる.新たに見いだされたメタガブロの転石は,芦ヶ久保駅(西武秩父線)の西方約300 m付近の横瀬川の南側の支流でいくつかみいだされた. [刈場坂ユニット]主に泥質岩基質中にチャート・砂岩・緑色岩の岩塊を含む弱変成メランジュ(千枚岩〜粘板岩程度)からなる.指田(1992)によると,チャートからはペルム紀~三畳紀の,基質からは中期ジュラ紀の放散虫化石が産する.片状構造が発達する. [花桐ユニット]主に泥質岩基質中に緑色岩,石灰岩,チャート,砂岩の岩塊を含む非変成メランジュからなる。緑色岩と石灰岩の大きい岩塊が認められることがある.指田(1992)によると,基質から前期ジュラ紀の放散虫化石が産する. [メタガブロ]見出されたメタガブロの転石の内,最大のものは長径約25 cmの角礫である.メタガブロ中の苦鉄質鉱物として,角閃石(最大約8 mm)や輝石(最大約3 mm)が認められる.これらの転石の位置は秩父累帯北帯と中帯の境界付近にあたり,その境界の北側(下流側)には秩父累帯北帯刈場坂ユニットの弱変成メランジュが,南側(上流)には中帯花桐ユニットのチャートや砂岩が分布する.両ユニットの境界は露頭不良ため不明であるが,これまでの研究を総合すると,メタガブロは北帯の刈場坂ユニットと中帯の花桐ユニットの境界断層沿いに構造的に挟まれたブロックであった可能性がある. [考察]
    横瀬町
    芦ヶ久保地域の秩父累帯は,紀伊半島東側の秩父累帯と同様に,岩相・変成相・地質構造の相違に基づいて,北帯と中帯に区分されることが判明した.また,新たに見いだされたメタガブロの転石は,黒瀬川帯を特徴づける岩石である可能性がある.これらのことから,
    横瀬町
    芦ヶ久保地域の秩父累帯にも黒瀬川帯が存在し,
    横瀬町
    の黒瀬川帯の南北幅が,紀伊半島東部と同様に,秩父累帯北帯(主部の弱変成岩が分布する地帯)の南側まで広がる可能性がある.これらのことは,黒瀬川トランスフォーム断層帯説(Kato and Saka,2006)を補強する. [文献]Hisada and Hara, 1996, Prof. H. Igo Commem., 55-62. Kato and Saka,2006,Geosci Jour.,10,275-289.加藤,1995,211-227.地質雑,加藤,2016,駒澤地理,52,81-93.加藤,2017a, 駒澤地理,53, 73-85.加藤,2017b,日本地質学会第124年会演旨,203.加藤,2019,日本地質学会第126年会演旨,411.松岡ほか,1998,地質雑,104,634-65.大藤ほか,2003,日本地質学会第110年会演旨,134.小澤・小林,1985,兵庫教育大紀要,6,103-141.指田,1992,地学雑,101,573-593.島村ほか,2003,地質雑,109,116-132.

  • *加藤 潔
    日本地質学会学術大会講演要旨
    2011年 2011 巻 R10-P-14
    発行日: 2011年
    公開日: 2012/03/27
    会議録・要旨集 フリー
  • ─ 直売所は市民交流、支店はワーケーションの場に ─
    重頭 ユカリ
    農中総研 調査と情報
    2024年 2024.03 巻 101 号 8-9
    発行日: 2024/03/10
    公開日: 2024/03/25
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス
  • 松岡 喜久次, 力田 正一, 小幡 喜一, 岡野 裕一
    地球科学
    2019年 73 巻 3 号 179-184
    発行日: 2019/07/25
    公開日: 2020/06/04
    ジャーナル フリー

    The characteristic blocks of massive conglomerate including granitic cobbles and pebbles were discovered from the Yokozemachi Group of uppermost Neogene in the Chichibu Basin. These blocks are seen as pebble to boulder in the Neogene unconsolidated conglomerate, and are sub-angular to sub-round gravel. The gravel composition of massive conglomerates is mostly sandstone and mudstone, containing granitic rock, granite porphyry, andesite, and hornfels, while no sandstone or mudstone of the Neogene origin. Its sorting is bad, and its matrix is consolidated. Biotite in the matrix of massive conglomerates accounts for about 7.3% in mode composition. Such features are very similar to conglomerate of the Cretaceous Sanyama Formation in the Sanchu Graben. Therefore, it is deemed that during the sedimentation of the Yokozemachi Group, the Cretaceous system of the Sanchu Graben was exposed to the upper part of the Chichibu Belt adjacent to the east, from which massive conglomerates including the granite and other rocks were supplied.

  • *加藤 潔
    日本地質学会学術大会講演要旨
    2010年 2010 巻 P-47
    発行日: 2010年
    公開日: 2011/03/31
    会議録・要旨集 フリー
  • *加藤 潔
    日本地質学会学術大会講演要旨
    2009年 2009 巻 P-13
    発行日: 2009年
    公開日: 2010/03/31
    会議録・要旨集 フリー
  • *松岡 喜久次
    日本地質学会学術大会講演要旨
    2011年 2011 巻 R20-P-1
    発行日: 2011年
    公開日: 2012/03/27
    会議録・要旨集 フリー
  • 松岡 喜久次, 力田 正一, 小幡 喜一, 岡野 裕一
    地球科学
    2022年 76 巻 4 号 195-206
    発行日: 2022/10/25
    公開日: 2022/12/20
    ジャーナル フリー

    秩父盆地新第三系最上部の秩父町層群・

    横瀬町
    層群は,盆地南東部の三波川変成帯・秩父帯北帯の基盤岩に接して分布する.両層群の砂岩・礫岩の組成や白亜紀の誘導化石の産出から,当時は,秩父盆地の南東側に今は失われた山中地溝帯白亜系が存在し,多くの砕屑物を供給していたことが示唆される.

  • 山崎敬
    植物研究雑誌
    1996年 71 巻 5 号 303
    発行日: 1996/10/20
    公開日: 2022/10/21
    ジャーナル フリー
  • 磯村 敬, 小坂 共栄, 細川 学, 塚越 健次
    日本地質学会学術大会講演要旨
    1996年 1996 巻 33
    発行日: 1996/03/20
    公開日: 2017/08/24
    会議録・要旨集 フリー
  • 正井 信雄, 石田 吉明, 小幡 喜一, 佐瀬 和義, 秩父盆地新第三紀団体研究グループ
    日本地質学会学術大会講演要旨
    1996年 1996 巻 32
    発行日: 1996/03/20
    公開日: 2017/08/24
    会議録・要旨集 フリー
  • 岡野 裕一, 秩父盆地団体研究グループ
    地球科学
    2018年 72 巻 2 号 143-152
    発行日: 2018/04/25
    公開日: 2020/01/09
    ジャーナル オープンアクセス

    秩父盆地団体研究グループのこれまでの研究成果と小川町総会シンポジウムでの討論の結果をもとに,秩父堆積盆地の発生~発展~消滅期の地史をまとめ,堆積域と後背地の隆起・変遷を考察し,さらに関東山地地域の隆起について検討した.

    秩父堆積盆地の発生期には,断層活動による小陥没が生じ,それらが結合して大きな沈降域へと発展した.最下部層の地質年代は18-17 Ma であり,秩父堆積盆地の発生は前期中新世末である.16 Ma 頃には部分不整合が形成されており,堆積が進行する一方で,堆積域・後背地の一部で隆起が生じた.この後,急激に海底面深度が深くなった.

    堆積盆地発展期にあたる小鹿野町層群堆積期には海進が一層すすみ,砂岩泥岩互層を主体とするタービダイトが堆積したが,その後期には海退がはじまった.さらに,上位の秩父町層群の堆積時には堆積盆地の環境は浅い海へと変化した.この時期には周囲から堆積物の供給がみられることから,後背山地地域の隆起が想定される.

    秩父堆積盆地消滅期にあたる最上部層は粗粒な岩相のものが多い.堆積盆地の消滅は,15-14 Ma と推定される.堆積盆地消滅後,地塊化をともなった関東山地の隆起運動は一層進行している.秩父堆積盆地の周辺地域における深成岩の活動や陸上火山活動と,堆積盆地域における海域の消滅,消滅後の隆起の時期は対応しているようにみえる.とりわけ,堆積盆地周辺部にみられる深成岩の活動は,地殻の上昇などをもたらし,地塊化をともなった関東山地地域の隆起運動の原因になったのではないかと推定される.

  • 関根 一昭, 立野 秀夫, 野口 皖永
    地学教育と科学運動
    2016年 75 巻 1-9
    発行日: 2016/02/25
    公開日: 2018/03/29
    ジャーナル フリー
  • 松本 和馬, 富岡 康浩
    昆蟲.ニューシリーズ
    2009年 12 巻 2 号 73-83
    発行日: 2009/06/25
    公開日: 2018/09/21
    ジャーナル フリー
    埼玉県,東京都,神奈川県の23箇所のヤマブキソウ群落を調査し,16箇所で同植物を寄主としているルイヨウマダラテントウを確認した,このうちの5箇所から採集した20個体ずつ合計100個体の成虫に,近隣山地でルイヨウマダラテントウの寄主となっているオオバアサガラを12日間与え続けたところ,八王子市高尾町産の1個体が11日目に摂食した他は,摂食した個体はなかった.ジャガイモ圃場に生息する害虫型の「東京西郊型」にヤマブキソウを与える実験も同様に行ったところ,ヤマブキソウ摂食集団から至近距離の圃場の「東京西郊型」は比較的受容率が高く,速やかに摂食を開始する個体が多かったが,距離が隔たるにつれて受容率は顕著に低下した.
  • *古屋敷 光芳
    全国会議(水道研究発表会)講演集
    2019年 2019 巻 5-31
    発行日: 2019年
    公開日: 2021/05/01
    会議録・要旨集 フリー
  • 露崎史朗, 北村太樹
    植物研究雑誌
    1996年 71 巻 5 号 302-303
    発行日: 1996/10/20
    公開日: 2022/10/21
    ジャーナル フリー
  • *加藤 潔
    日本地質学会学術大会講演要旨
    2018年 2018 巻 R5-P-8
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/08/16
    会議録・要旨集 フリー
  • *加藤 潔
    日本地質学会学術大会講演要旨
    2019年 2019 巻 R5-P-4
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/08/28
    会議録・要旨集 フリー
  • 寛保2年(1742年)水害を事例として
    *町田 尚久
    日本地理学会発表要旨集
    2015年 2015s 巻 P002
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    関東甲信地方では,寛保2年(1742年)7月27,28,29日,8月1,2日(旧暦)に台風の通過に伴う大洪水が発生した。この災害については,丸山(1990)などが被害の状況を千曲川流域でまとめ,町田(2014)が台風の進路を復元した。町田(2013)は,寛保2年洪水時に荒川上流域の斜面で大量の土砂移動が発生したことを指摘し,これ以降,荒川扇状地で河床変動が生じたことを報告した。しかしながら,寛保2年洪水時の土砂移動の状況については明らかにされてこなかった。本発表では土砂移動の発生の可能性を明らかにすることを試みた。

    2.対象地域・対象資料
    対象地域は,土砂移動が発生した荒川流域,利根川流域,千曲川流域とする。資料は,古文書などの一次資料を基にまとめられている県史,市町村誌,郷土史,先行研究等とした(
    横瀬町
    ,1989;青木,2013;丸山,1990;河田,1977など)。文献には現象,災害記録,景観の変化などの記載があり,当時の土砂移動の有無を知ることができる。

    3.土砂移動発生の記録
    千曲川流域の長野県北佐久郡や南佐久郡,松代周辺では山崩れなど,利根川流域の群馬県嬬恋村,赤城山北部,上武山地および荒川流域の埼玉県長瀞町や
    横瀬町
    では斜面崩壊などの記載がある(青木,2013;丸山,1990;河田,1977など)。また,多摩川流域の東京都青梅市では家屋が埋まった記録がある。以上のことから町田(2013)が経路を復元した台風による土砂移動は,浅間山周辺から丹沢山地までと,赤城山の一部で発生したことが認められる。資料の多い千曲川流域では数多くの崩壊や地すべりが発生したことから,資料の少ない荒川流域と利根川流域でも,同様の状況にあったと考えられる。

    4.寛保2年頃の山林状況
    江戸時代の山林については,青木(2013)は山林の状況と当時の御触に基づいて千曲川流域の状況を示し,開発の影響によるものと推定している。秩父山地では17世紀中期以降,現在の秩父市大滝では伐採がすすみ,幕府が集落から離れた地域で樹木の伐採を制限し,さらに秩父市大滝や上州山地南側にある上野国山中領(現 上野村周辺)の一部でも伐採の制限がかかった(三木,1996)。これは樹木の伐採が進み,木材の確保が難しくなることを懸念した江戸幕府が伐採地域を制限したと推定することができる。一方,伐採制限のかかっていない地域や伐採の制限が弱い地域については伐採が行われていたと解釈することができる。このことから伐採が利根川流域でも進み,荒川上流域や利根川流域の一部では山林が荒廃していた可能性がある。さらに新編武蔵国風土記稿(秩父郡)の挿絵(蘆田,1933)から寛保2年の約90年後の植生や土地利用を推定でき,当時の植生は,現在のように高木が主体ではなかったことが読みとれる。

    5.土砂移動が人為的影響により引き起こされた可能性
    千曲川流域では人為介入の影響を受けた土砂移動の発生が指摘され(青木,2013),群馬県上野村周辺では正徳3年(1713年)に一部で伐採の制限をかけたが,寛保2年洪水時には幕府の伐採制限がかかっていた流域と隣接する南牧川では数多くの土砂移動が発生した。荒川流域,利根川流域の一部では,木材自給の増大した1700年代と寛保2年(1742年)洪水時の大雨が一致することから,木材の伐採が進み荒廃した斜面で崩壊や地すべりなどの土砂移動が発生しやすい状況にあったと推定できる。さらに蘆田(1933)の挿絵から秩父山地で高木が少ない環境があったと推定でき,降雨量によっては土砂移動を誘発する可能性は高い。さらに町田(2013)が示した寛保2年から安政6年までの荒川扇状地での河床上昇は,17世紀後半から伐採が増加する時期と一致することから山林の荒廃が示唆される。このことは当時,土砂移動が頻発したことを強く支持するものと考えられる。

    6.おわりに
    過去の地すべり,崩壊および土石流といったマスムーブメントの発生には,自然環境だけではなく,発生当時の社会状況,生活状況,産業(林業),御触(法令)などが強く結びついている可能性がある。このことから土砂移動は自然環境を背景として,さらに人為的影響を受けて発生することがあることが示された。歴史災害についても自然の影響と人為の影響を確認する必要がある。一方,植生分布,土砂生産など自然環境で結びつく現象については,流域単位で自然環境の変化とその動態を明らかにする必要がある。

  • その破壊と来るべき信仰に向けて
    笹久保 伸
    頸城野郷土資料室学術研究部研究紀要
    2016年 1 巻 8 号 1-25
    発行日: 2016年
    公開日: 2019/04/18
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス
    秩父盆地を象徴する山、武甲山。武甲山は古くより秩父地域における信仰の山である。秩父盆地の神の山であり、現在もなお秩父の総鎮守である秩父神社の神体山とされている武甲山の存在によって日本の三大曳山祭りに数えられる秩父夜祭りや、御田植祭などの祭り事、札所巡礼などの民間信仰が成立してきた。しかし武甲山は石灰石を採掘するために現在もほぼ毎日12時30分にダイナマイトで爆破され続けている。秩父地域は自然豊かで霊場として知られる信仰深い地域であると同時に、毎日神を爆破しているという二面性および究極的な矛盾を抱える地域である。自身が秩父に在住し活動を続ける芸術家という立場から、芸術作品制作のためにおこなって来た秩父調査の中で発見した秩父の現実や、神の山を爆破し解体し続ける秩父地域における武甲山の存在について様々な視点から考察する。
feedback
Top