本稿は,上野千鶴子によるニーズ概念に基づく当事者論と,その批判として
提起された「問題経験の主体」という当事者概念(関水 2011)を,上野の当
事者論の源流のひとつであるポジショナリティ概念にさかのぼって再度検討し,
そこから得られた新たな当事者論の視角から,ひきこもり経験者の当事者活動
の現状を考察し,その課題・可能性を明らかにしようとするものである.
本稿は次の2 点を明らかにした.第1 に,ポジショナリティ概念を用いた当
事者性の再定義から,当事者とは自己のポジショナリティに自覚的に向き合う
主体であり,自己のポジショナリティに同一化する「位置的主体化を果たす主
体」としての当事者性と自己のポジショナリティを模索する「問題経験の主体」
としての当事者性という2 つの当事者性の水準を区別することができることを
指摘した.
第2 に,ひきこもり経験者の当事者活動にセルフヘルプとセルフアドボカシ
ーという2 側面があることを確認したうえで,「可能性への期待」に基づく当
事者活動が,自己のポジショナリティの核心にある「動けなさ」の経験に向き
合わない,もしくはそれを否認するものであり,「当事者による当事者のため
の活動」から遠ざかるものであることを指摘した.「動けなさ」の経験を尊重
する,「不可能性への配慮」に基づいた当事者活動こそが,多様な当事者にと
って「当事者による当事者ための」場のひとつになりうる.
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