日本文学は古代から中国文学の影響下に成立したが、中国の文学者達は、中華思想のため二十世紀まで日本文学にほとんど関心を払わないで来た。一九一〇年代から二十年代にかけての新文化運動の中で初めて日本文学に目を向けたのが、周作人(1885〜1967)である。周作人は兄の魯迅と共に『現代日本小説集』を編訳し日本文学を広く中国の読者に紹介した。本論文はその中から、周作人による志賀直哉『清兵衛と瓢簞』•千家元麿『薔薇の花』の中国語訳について論じるものである。
当時の中国では、子供に服従を強要する儒教の孝の論理が進歩を妨げる元凶とみなされ、子供の解放が盛んに議論されていた。一九ニ一年に志賀直哉の『
清兵衛と瓢箪
』を読んだ周作人は、親の子に対する無理解が明快に表現されていることに感激し、これを中国語に翻訳した。また『清兵衛と瓢簞』の読後感想文『感慨』を執筆し、子供は所有の観念が未発達であることを論じている。千家元麿の『薔薇の花』は、美しい薔薇にあこがれて花を盗んだ子供を、主人公が十分に理解し寛容な態度で許してやる話であり、周作人のかねてからの主張に合致するものであった。
周作人の初期の日本文学翻訳は、このように社会の変革への関心に裏打ちされていたが、訳語そのものも旧来の文語的中国語を変革するという目的をもっていた。魯迅•周作人共訳『現代日本小説集』を手にした芥川龍之介は翻訳が正確だと評価したが、今日の中国人研究者は訳語があまりにも日本語臭いと、否定的な評価を下している。この読みにくさは外国語の直訳によって中国語に新たな語法を定着させようと無理をしたためであった。周作人による『
清兵衛と瓢箪
』『薔薇の花』の翻訳は、内容•形式の二面において、旧来の中国を改良しようとする試みであったといえる。
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