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クエリ検索: "無文土器時代"
21件中 1-20の結果を表示しています
  • 後藤 直
    第四紀研究
    1994年 33 巻 5 号 285-302
    発行日: 1994/12/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    朝鮮半島の原始農耕は, 近年の集落遺跡発掘調査と栽培穀物遺体発見例の増加によって, 耕地・耕作具など不明の部分もあるが, その輪郭が明らかになりつつある. 畑作農耕は, 中国東北地方新石器時代の畑作農耕の伝播により, 有文土器時代中頃 (紀元前4,000~3,000年) に始まったと推定される. 次の
    無文土器時代
    (紀元前1,000年) に農耕社会が形成され, この時代には水稲農耕が始まった. 暖かさの指数の等値線分布と畑作・水稲耕作の分布はほぼ対応し, 漢江流域より北では畑作が主で, 水稲耕作はほとんど行われなかった. 漢江流域以南では畑作とともに水稲耕作が行われ, 水稲耕作は南ほど盛んであった.
    農耕集落遺跡の立地は5つにわけられる. (1) 山間部の河川中・上流部の河川沿い, 曲流部, 合流部の河岸段丘などは, 漁撈・狩猟・採集にも適し, 小集落, 支石墓が点在するが, 狭隘なため耕地の拡大と農耕社会の発展には限度がある. 水稲への依存度も低い. (2) 河川中流から下流の平野部の河岸段丘や中洲と, (3) 小平野や谷底平野に面する低丘陵に立地する集落は, 畑作農耕・水稲農耕いずれの場合も耕地の拡大が可能であり, 農耕社会発展の中心であった. ここに支石墓のほか, 地域的・政治的統合を示す青銅器副葬墓が多い. (4) 山頂に立地する遺跡は少なく, 何らかの事情による特殊例であろう. (5) 海岸部には農耕をほとんど行わない漁撈民の遺跡も立地する. かれらは, とくに南海岸では海上交易の担い手として, 内陸部の農耕集落と結びついていた.
  • 大坪里遺跡を中心に
    大庭 重信
    大阪歴史博物館研究紀要
    2003年 2 巻 89-101
    発行日: 2003年
    公開日: 2022/09/10
    研究報告書・技術報告書 フリー
  • 中村 大介
    日本考古学
    2006年 13 巻 21 号 21-54
    発行日: 2006/05/20
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    弥生時代の開始期には,朝鮮半島南部からの文化の伝播によって,土器や石器などの道具だけでなく,生業や葬制にいたるまでの,広範な変革がみられる。そして,その時期には,遠賀川式土器という斉一性の高い土器様式が西日本に広がる。近年,この斉一性の再検討が進み,地域性のあることが指摘されるようになってきた。これは九州北部から東に行くほど,地理的勾配によって,無文土器を起源とする文化が薄れていくという状況のみではなく,在地的な影響力の重要性を指摘している。しかし,この時期の葬制をみた場合,その展開は極めて多様である。地理的勾配と在地的な影響もあるが,それのみでは,葬制の多様性と変化の大きさを説明することは難しい。
    そこで本稿では,弥生時代開始期になって現れる副葬品である,朝鮮半島南部の文化に由来する磨製石剣,磨製石鏃,丹塗磨研壷,碧玉管玉に着目した。そして,(1)副葬習俗の展開における地域差,(2)土器様式と葬制の広がりの対応状況の有無を明らかとすることを目的とし,西日本各地におけるそれらの副葬品として扱い方,品目ごとの受容の様相を検討した。同時に,各副葬品の展開が,朝鮮半島との直接的な交流を示す部分がある可能性を考慮し,朝鮮半島での副葬品の在り方や地域性についても注意を払った。
    そして,これらの検討を行った結果,弥生時代開始期の西日本では,九州北部を経由した文化を一様に受容するだけではなく,それぞれ地域性をもって受容することがわかった。そして,その様相は重層的であり,遠賀川式土器に代表される土器の影響は確かに九州北部から西日本に伝播するが,水稲農耕を中心とした農耕社会が形成され始めたのちは,九州北部を介さず,朝鮮半島南部の文化を各地域が選択して受容すると考えられた。一方,弥生時代前期を境に,九州北部では,石剣・石鏃などの武器副葬こそあまり受容しなかったものの,副葬習俗が一般化し始める。山陰地方では副葬品として管玉を主体的に受容するのみでなく,玉作りも展開させ,原材などの交易がみられるようになる。これらの様相から,弥生時代開始期に形成された地域性は,前期末の青銅器の伝播に伴う変化も加えつつ,弥生社会の副葬品による東西の不均衡や,地域的展開の基盤となると結論づけた。
  • 西日本を中心に
    長友 朋子
    日本考古学
    2006年 13 巻 22 号 1-14
    発行日: 2006/11/01
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    弥生時代における水稲農耕の本格的な導入にともない,イネ科草燃料などを用いて覆いをする土器野焼き方法の導入されたことが,これまでの研究のなかで明らかにされている。この野焼き方法は,時間をかけて温度を上昇させ,安定した火回りで土器を焼くことができる点で,縄文時代の開放的な野焼き方法と異なるだけでなく,水田開発によって切り開かれた環境とうまく適応するという点で優れた野焼き方法であった。では,水田の定着しつつある列島において,この野焼き方法はどのように受容され展開していくのだろうか。本稿では,このような課題について,西日本を中心とした資料を検討し考察をおこなった。
    具体的な方法としては土器焼成時に付着する黒斑を観察することで,黒斑の形態によって焼成時の燃料などの土器周辺の状況を解明し,さらに黒斑の有無や位置によって,土器の置き方を推定した。このような視点から検討すると,以下のような結果が浮かび上がってきた。(1)薪燃料の変化が少なくとも西日本で共通していた可能性の強いこと,(2)土器設置角度において弥生時代中期にもっとも地域性が強まること,(3)焼成時の土器設置角度において,弥生時代後期から終末期へと連続する岡山平野に対し,大阪湾沿岸地域においては,後期から続く伝統的な甕と器壁の薄い庄内型甕や布留型甕とでは違いがあり,生産(焼成)の場が異なる可能性があること,(4)弥生時代後期から積み重ね焼きがはじまり,素朴ではあるが土器生産の効率化への胎動が認められることである。そして,このような変化は,単なる焼成方法の変化にとどまらず,粘土紐積み上げから調整・装飾を経て乾燥にいたるまでの土器製作技術と密接に連動して引き起こされていると考えられるのである。
  • 韓半島南端部・九州北部を中心として
    端野 晋平
    日本考古学
    2003年 10 巻 16 号 1-25
    発行日: 2003/10/20
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    小稿の目的は,韓半島南端部・九州北部に分布する支石墓を基軸として,弥生時代開始期に韓半島南部から日本に導入される稲作と不可分な文化複合の起源地及びその伝播・拡散の実態を解明することである。
    これまで支石墓は墓制がもつ保守的な性格からみて,稲作と不可分な文化複合の起源地,すなわち弥生文化成立に関わったとされる渡来人の故地を推定する上で重要な要素と位置づけられ,そして渡来人の移住の在り方,在来人との接触についても合せて考察されてきた。しかし,伝播ルートと受容の在り方については諸氏により様々な見解が提示されており,一致をみない。このような見解の相違は,伝播現象に対して依拠する理論的枠組みの違いと,主として祖型とする型式,あるいは重視する属性の差異に起因するようである。また,いずれも韓半島南部における発掘調査例が不十分な60~70年代の成果を基礎に,祖型を仮定した上で論じられた感がある。
    そこで,筆者は,まず韓半島南端部支石墓の分類と型式設定を行った。そして,設定した型式と,日本支石墓の諸特徴との比較によって想定した祖型モデルを念頭に置きつつ,九州北部の墓の構造を属性レベルまで分解した。次に,各属性の変異の分布状況をみてそれらの変化方向を想定し,伝播モデルを構築した。また,出土遺物についても祖型と結びつきの強い渡来系遺物群と縄文系遺物群の分布状況に基づき,九州北部における朝鮮半島南端部との関連性の濃淡を検討した。さらに,以上の分析結果から導いた祖型・伝播モデルを,各属性の出現頻度と数量化III類を用いて統計的に検証した。最後に伝播ルートを考察する一助とするため,韓半島南端部の各地域と済州島,九州北部の上石の形態・規模を比較し,地域間の類似度を検討した。
    以上の分析結果から次の結論を導いた。(1)日本支石墓の祖型は石槨を下部施設とするもので,その内部には木棺が推定される。(2)日本支石墓は他文化要素とともに,朝鮮半島南端部の南江流域に起源する。(3)支石墓が日本へ伝播するにあたって,済州島を経由した可能性は低い。(4)支石墓は他文化要素とともに玄界灘沿岸を中心にまず伝播し,その周辺に拡散する。
  • 平口 哲夫
    日本海セトロジー研究
    1991年 1 巻 20-29
    発行日: 1991/03/20
    公開日: 2024/01/31
    ジャーナル オープンアクセス
  • 下條 信行
    史学雑誌
    1981年 90 巻 5 号 551-554
    発行日: 1981/05/20
    公開日: 2017/10/05
    ジャーナル フリー
  • 鈴木 靖民
    史学雑誌
    1993年 102 巻 5 号 914-918
    発行日: 1993/05/20
    公開日: 2017/11/29
    ジャーナル フリー
  • 木村 誠
    史学雑誌
    1988年 97 巻 5 号 838-843
    発行日: 1988/05/20
    公開日: 2017/11/29
    ジャーナル フリー
  • 会下 和宏
    日本考古学
    2007年 14 巻 23 号 19-39
    発行日: 2007/05/20
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    弥生時代における鉄刀剣は,様々な法量,形態があり,日本列島のなかで時期ごとに偏在性をもって分布している。本稿では,資料が増加した朝鮮半島南部と弥生時代の鉄刀剣とを比較して,生産と流通の様相や墳墓副葬における消費の様相を検討し,その意義を考察した。
    まず,日本列島における弥生後期中葉頃~終末期の長茎・細茎の長剣等は舶載品,短剣は日本列島製が含まれている可能性を追認した。また,分布状況では,弥生後期中葉頃~終末期の長茎・細茎の長剣・鉄刀は,本州島日本海側に多く分布し,大型墓壙,ガラス製管玉副葬の分布とも重複する。東日本にも長剣が分布するが,短茎で平面梯形状をなすものが多いという地域性があり,中継地を介した流通過程に消費地側の需要が強く反映されていることが窺えた。
    墳墓副葬における消費の様相では,棺内副葬の際は被葬者が成年以上男性の場合が多く,弥生終末期の一部の墳墓では幼小児埋葬にもみられるが,稀有な事例である。また,今後の実証研究が必要であるが,鉄刀剣副葬の基本理念の一つとして,「辟邪」が意識されている可能性を考えた。大型墓壙の埋葬墓には鉄刀剣副葬が多く,内訳をみると,舶載の長剣・大刀等がはいるものがある反面,短剣や切先のみの場合もある。
    日本列島・朝鮮半島南部の一部上位階層に副葬される長剣・鉄刀等が,日本海を介して日本列島に流通する背後には,環日本海諸地域をめぐる社会状況の情報や集団相互の「政治」関係等も,製品に付帯していたことを示唆している。
    今後の課題の1つは,鉄刀剣以外の石製武器・武器形青銅器等も含めて,近接武器ないし武器形製品が,諸地域においてどのように使用され,その背景にどのような歴史的脈絡や意義があったのか比較検討することである。
  • 小畑 弘己
    植生史研究
    2022年 31 巻 1-2 号 17-22
    発行日: 2022年
    公開日: 2024/10/22
    ジャーナル オープンアクセス
    本論は東アジアの考古学におけるマメ類栽培研究について概観したものである。東アジアにおけるマメ類,例えばダイズ属やアズキ亜属の栽培は,中国・韓国・日本という中緯度地帯の多地域で,およそ7000 ~ 6000 年前に各地で開始されたようである。その根拠の一つに種子上に現れる栽培化徴候群の一つである種子サイズの大型化現象があるが,この現象が発露しない栽培行為の存在も主張されており,様々な角度から栽培行為の立証が行われている。現在では,議論の中心は,栽培行為の存在そのものより,その時期の評価に移行している。このような中,近年の土器圧痕調査の増加は,とくに日本列島内におけるマメ類利用の歴史を明らかにする上で大きな貢献を果たした。土器圧痕マメは種子の大型化の議論を可能にしたばかりでなく,マメ類の人共生植物としての地位を確固たるものにした。また,中国・韓国新石器文化と縄文文化の多量混入種実種と混和意図の違いは,穀物を軸としない縄文文化特有の植物栽培体系の存在と食用植物中のマメ類の重要性をうかがわせている。
  • 田中 俊明
    史学雑誌
    1983年 92 巻 5 号 781-787
    発行日: 1983/05/20
    公開日: 2017/11/29
    ジャーナル フリー
  • 森岡 秀人
    史学雑誌
    1982年 91 巻 5 号 577-586
    発行日: 1982/05/20
    公開日: 2017/11/29
    ジャーナル フリー
  • 土田 哲夫
    史学雑誌
    1993年 102 巻 5 号 905-914
    発行日: 1993/05/20
    公開日: 2017/11/29
    ジャーナル フリー
  • 史学雑誌
    1979年 88 巻 2 号 249-268
    発行日: 1979/02/20
    公開日: 2017/10/05
    ジャーナル フリー
  • 大貫 静夫
    Anthropological Science (Japanese Series)
    2005年 113 巻 2 号 95-107
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/12/22
    ジャーナル フリー
    最近,国立歴史民俗博物館の研究者が,AMSによる弥生時代の14C年代測定値をおもな根拠にして,弥生時代の年代は従来考古学者が一般に考えていた年代よりも,開始時期で約500年,前期末中期初頭で約200年古くなるだろと発表した。考古学的に年代を知るためには,年代が分かっている中国中原地域とつなぐ必要があるが,遠距離になるほど,古くなるほど精度が低くなるという問題があった。さらに文物の流れが片方向だけなので,上限年代しか定まらない。もう一つ,すでに年代が分かっている時点を起点にして,未検証の仮定をしながら過去に遡って年代を推定する方法がある。従来は,後者の方法をおもな根拠に,前者から導かれる上限年代より,だいぶ遅らせた傾斜編年を組み立てていた。しかし,今回の 14C年代は前者の上限年代に近いものであった。弥生時代研究者には従来の年代を支持する人がいまだ少なくないが,大陸研究者の多くは年代の見直しに大きく舵を切ることになった。ただし,測定数の増加や補正の仕方によってはまだ変動の余地がありそうな現状の 14C年代は,考古学的な再検討によってもやや古すぎるように思われる。今回の問題提起は考古学者に従来年代の見直しする契機を与えてくれた。そのことが重要なのである。
  • 日本考古学
    1998年 5 巻 6 号 89-181
    発行日: 1998/12/10
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
  • 中西 章
    建築史学
    1989年 13 巻 116-129
    発行日: 1989年
    公開日: 2018/09/13
    ジャーナル フリー
  • 小畑 弘己, 佐々木 由香, 仙波 靖子
    植生史研究
    2007年 15 巻 2 号 97-114
    発行日: 2007年
    公開日: 2021/06/16
    ジャーナル オープンアクセス
    土器圧痕を詳細に転写することが可能な「レプリカ法」の発達によって,縄文時代の土器付着圧痕であっても種のレベルでの栽培植物の検討が可能になった。その中で従来不明種子と扱われてきた「ワクド石タイプ」圧痕がマメ科種子のへそであるという推定に基づき,へその形状からみた種の同定をおこなった。その結果,「ワクド石タイプ」圧痕が,島原半島や熊本平野を中心とした遺跡から出土した「大型マメ種子」圧痕のへそと同一であることを見い出し,これらと現生マメ科種子との形態の比較研究から,この「大型マメ種子」が栽培ダイズの一種であると推定した。そして,縄文時代後期中頃(BC1600 年頃)にイネやオオムギなどの穀物とともにこれら栽培ダイズが朝鮮半島から伝来したと想定した。
  • [記載なし]
    史学雑誌
    2011年 120 巻 10 号 1787-1756
    発行日: 2011/10/20
    公開日: 2017/12/01
    ジャーナル フリー
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