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クエリ検索: "生田房弘"
168件中 1-20の結果を表示しています
  • 中里 洋一
    Neuro-Oncologyの進歩
    2010年 19 巻 1 号 76-79
    発行日: 2010/12/01
    公開日: 2014/04/28
    ジャーナル フリー
    第100 回近畿脳腫瘍病理検討会記念大会において、「脳腫瘍WHO 分類の作成に貢献した日本人」と題して講演するよう、河本教授から依頼された。筆者はこれまでWHO 分類に多少なりとも関わってきたので引き受けることにしたが、調べてみると何人かの日本人が重要な役割を演じていることがわかった。本稿ではそれらの方々の貢献について述べることとする。
  • 生田 房弘
    脳と発達
    1992年 24 巻 2 号 118-126
    発行日: 1992/03/01
    公開日: 2011/08/10
    ジャーナル フリー
    ドラマチックな発育をとげつつある胎児脳における病巣修復機序は, 成熟した正常な脳内におけるそれらとは著しく異なった特異性をもっている.その理由は胎児脳の解剖学的特徴の中に求めることができると思う.その第1は脳形成に不可欠な細胞の移動運動にとって, なくてはならぬはずの広い細胞外間隙が胎児脳内には元来存在している点であろう.また, 胎児脳では成熟脳と異なり, 細胞と細胞が接着せず, フリーに相互移動できる状況にあることもまた重要と考えられる.これによって壊死細胞は成熟脳と異なって “正常状態のまま” で容易に除去されてしまう.なお, 成熟脳における病巣修復に決定的な役割を果たしているアストロサイトは胎児脳内においてはなお形成されていないか, 分化の途上にあることなどから, 成熟脳に対比すれば, アストロサイトーシスがみられないかあっても著しくわずかなため, いわゆる奇形的な脳組織を形成することで病巣修復過程を完了している.
  • 沈 衛東, 加我 君孝, 山田 勝士
    AUDIOLOGY JAPAN
    1997年 40 巻 5 号 623-624
    発行日: 1997/09/16
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
  • 遠藤 孝裕, 佐々木 晶子, 神保 洋之, 池田 幸穂, 松本 清, 立川 哲彦
    昭和医学会雑誌
    2002年 62 巻 1 号 36-42
    発行日: 2002/02/28
    公開日: 2010/09/09
    ジャーナル フリー
    外傷性脳損傷における, 神経細胞の壊死や変性は二次的にアストロサイトの腫脹や血管内皮細胞の障害を引き起こし, 血液脳関門の破綻による脳浮腫が発生することが考えられる.しかしながら, この脳浮腫の発生過程には細胞の退行性変化ばかりでなく, 細胞・組織修復機構の進展も考えられる.そこで本研究は脳損傷後の中枢組織の細胞・組織修復機構において, neuron-filial interactionが重要であると考え, 細胞接着因子として細胞間の情報伝達を担っているERMファミリーに関して, ラット脳凍結損傷モデルを用いてその発現を検索した.方法は, 250gのWistar系雄ラットの頭部を固定し, 脳凍結損傷モデルを作成し, 術後1日, 4日, 7日, 10日, 14日 (すべてn=3) 後に断頭し, 凍結切片を作り, 免疫染色を行った.その結果, Ezrinは外傷後4日例より外傷により壊死した周辺組織部位および海馬で発現がみられた.またRadixinは外傷後7日例より外傷側海馬に発現を認めた.また, Moesinはコントロールにおいていずれの細胞にも発現を認めなかったが, 外傷後4日例より外傷により壊死した周辺組織部位および海馬で発現がみられた.さらにERMファミリーとGFAP, およびMoesinとPCNAの二重染色では発現部位に一致した細胞が認められた.以上のことから, 外傷部位および海馬においては, 神経細胞で生じた変性がアストロサイトへ情報伝達される過程において, 細胞間接着因子の裏打ちタンパク質群であるERMファミリーの発現が関与しており, それらは細胞修復過程にも影響している可能性が示唆された.
  • 北関東医学
    1992年 42 巻 3 号 315-330
    発行日: 1992/05/01
    公開日: 2009/10/21
    ジャーナル フリー
  • 北関東医学
    1978年 28 巻 5 号 373-388
    発行日: 1979/02/10
    公開日: 2010/11/22
    ジャーナル フリー
  • −神経病理学の立場から−
    生田 房弘
    日本重症心身障害学会誌
    2010年 35 巻 1 号 11-18
    発行日: 2010年
    公開日: 2025/05/31
    ジャーナル フリー
    はじめに 司馬遼太郎の小説「峠」の主人公、河井継之助は、ここ長岡藩の家老でした。皆さまの多くが今回降り立たれた長岡駅のホームが丁度その本丸の位置とのこと、したがって私どもは今その本丸にごく近い処を会長の小西 徹先生が学会場と決められたところで、顔を合わせていることになります。 今日は脳病変の回復と、脳機能の生まれるしくみのごく基本的な点に絞って、考えてみたく思います。 神経細胞の結合について 人の脳表面には手足に運動の司令を出す領野や、後頭部の物を見る中枢とか、側頭葉の音を聞く中枢、さらには物思う前頭葉など、さまざまな機能のおよその場所が解っています。こうした大脳に割を入れ、後方から見ると(図1A)、左右の脳は対称的で、少し色のついた灰白質と言われる部分を染めて顕微鏡の下に入れると、多数の三角形のような神経細胞が見えます(図1B)。このような神経細胞(ニューロン)は、大脳だけで140億個もあると言われています。神経細胞にもこのように核があり、胞体があり、他の細胞と何の変哲もありません。 しかし普通の細胞とまるで違うことに初めて気づいた一人はイタリアのカミロ ゴルジーCamillo Golgiで、自分で発見したゴルジー法で染色し、これらの細胞体から多数の枝のような樹状突起という突起が出ている特別の細胞であることが分かりました。これを、光学顕微鏡で見て、彼も他の多くの人々同様、神経細胞の突起は互に結合し、網のようになり機能していると考え、 1906年12月11日、ノーベル賞に輝きました。 ところがその翌12月12日、スペインのカハールSantiago Rámon y Cajalは(図1C)、そうではない、この神経細胞の樹状突起には、イバラのトゲのようなシナプス(この頃まだシナプスという言葉はなかったのですが)があり、受話器のように他の細胞からの情報を受け、次の神経細胞に一本の軸索という突起で伝える、いわゆるニューロン説という、全く相反する意見を述べ、ノーベル賞を受けました。この、1906年頃の技術では、シナプスで2つの神経細胞が結合しているのか、離れているのか、誰も解る方法がなかったのです。 後に、カハールの方が本当らしいとなったのは、それから60年ほど経った1960年過ぎで、電子顕微鏡の方法が確立し、シナプスには、20ナノメータというわずかながら隙間があって、別々の細胞が互いに接近していたことが解りました(図2B)。つまり、カハールの方が正しいらしいということになりました。 かくして、たとえば運動領の神経細胞突起は脊髄のシナプスで情報を伝え、筋肉まで司令を伝える運動神経とか、逆に皮膚からの知覚神経が情報をシナプスで交換して脳に伝えることなどが解ってきました。 神経細胞の間(ま)をうめる膠(グリア)細胞 脳の歴史にもう1つ大きな出来事がありました。それは、1858年、ベルリンのウィルヒョー R.Virchowがニューロンと異なる小さな別の細胞が脳にあることに気づいたことでした。普通、腎臓でも肝臓でも細胞はぎっしり詰まっているのに、脳の神経細胞たちの間には何もない間(ま)のように見える所(図1B星印部)がいっぱいある。ウィルヒョーはこうした神経細胞達がばらばらにならないためには何か接着させる膠(にかわ、グリアglia)のようなものがなければならないはずだと考え、この小さな細胞に、膠,グリア細胞という名を与え、今日に至っているのです。 やがて、皆が気がついたことは(図2A)、グリア細胞の一つアストロサイトの突起の一部はすべての毛細血管の周りを膜状に囲んでいる点でした。そして、私どもが使うエネルギーも酸素も毛細血管(Cap)中の血液から運ばれ、その5分の1はニューロンが使うのですから、ニューロンは毛細血管に直接しがみついていればよさそうなものですが、実際には、毛細血管とニューロンの間には必ずアストロサイトが介在しているのです。今日、脳研究が爆発的に発展しつつあると言われているのは、実はこれらのグリア細胞の理解が爆発的に深まったことにあります。数も多く最も重要なのはアストロサイトですが、このアストロサイトで一番大切なことを見出したのは、アルゼンチンからロックフェラー大学に来ていた、当時30歳位のドゥ ロバーチスDe Robertisだと私は思っています。彼は電顕による観察でニューロンをモンタージュ、スケッチし、すべてのシナプスsynapseの周囲は、アストロサイトに包まれていることを示した点であります。図2Aはそれを改変した私の模型図です。シナプス(S)は何故必ずアストロサイト(A)にカヴァーされている(図2A、B)のか。思えば、ドゥ ロバーチスの観察こそ、今日の神経科学を切り開く礎になったと私は考えます。それは次の発見で理解が進みます。 1979年、アメリカのノーレンベルグNorenbergは、一度使い古された神経伝達物質グルタメイトと、血中に残っている微量の老廃物アンモニアを素材に、アストロサイトだけが持っているグルタミン合成酵素の働きで、アストロサイトが神経伝達物質グルタミンを作って神経細胞に与えていることを突き止めたのです。すなわち、アストロサイトは、アンモニアと使い古したグルタメイトを取り込んで、グルタミンを作り、それをニューロンに与えているので、ニューロンは、情報を伝達できるようになっていたことが判明したのです。 脳梗塞とアストロサイト 脳梗塞など脳の病変部を見ると、いつも高度な脳容積の増大が見られます。それは脳の腫脹swellingとか、脳浮腫edemaと呼ばれ、恐れられ、1960年〜'80年代は、毎年国際学会最大のテーマでした。何故ならそのedemaで頭蓋内圧亢進が生ずると、いつも脳幹天蓋部に2次性に出血性病変が起き、眠っていても呼吸ができる脳幹網様体も、臓器から脳に至る上行性のすべての情報路も遮断され、脳死状態に入るからです。 もう30年も昔ですが、神経病理学会がウィーンであり、その時のシンポジウムのテーマが脳浮腫edemaで、私どもはこの時、edemaを全く別の観点から述べました。すなわち、「edemaというのは、本当は病変を治すために、そして細胞を移動させるために、非常に巧妙に生体が準備した状態で、決して本来悪者なのではない。」と、以下の理由から述べたのです。時とともに脳病巣の所見を追ってみましょう。 生きているネズミの心臓から灌流固定法で脳を固定し観察すると、正常脳ではごく小さく見えるアストロサイトなのに、病的となった神経細胞の周りのアストロサイトは、急激に極度に膨らむswellingのです。しかし、神経細胞の脱落が激しく数十億ともなると、今度は加えて血管の周りを包んでいたアストロサイトが血管から離れ、血液脳関門が破綻するのです。でも、私どもは本当は壊れたのではなく、「開放した」のだと考えたのですが、その血管から血清が、正常では20ナノメータしかない細胞間隙に流れだし、順に途方もない広さに押し開き、そこに溜まります。その時の、脳浮腫とは、細胞外間隙に血清が溜まった状態です(図3A)。当時、世界中が真っ二つに分かれて、病変部の容積増大はアストロサイトの膨れだ、いや細胞間の浮腫水のためだ、と論争を繰り返していましたが、両方正しかったのです。まずアストロサイトが膨れswelling、次いで水が溜まるedemaのです。時期の違いを見ていただけのことでした。 でも、アストロサイトが膨れるだけでも人は死ぬかも知れぬのに、どうしてさらに水を溜めて人を殺すようなことを自然はするのだろうと非常に不可解でした。 その頃、私は運よく、新潟に「新潟日報」という地方新聞があり、当時社長の廣井継之助さんと言われる、ここ長岡市の方が、私に、「間」という考え方を教えて下さったのです。ある朝、渋滞に遭いました。そうか、車の前に「間」がないと動けない。間があるから動けるのだと思ったとたん、飛行機も、汽車の切符も、全部自分が移動する間を買っているのだ。edemaの細胞間隙の水は「間(ま)」ではないのか?  その中で何かが動くのではないか?  と考えさせられることがあったのです。すぐ、実験を根底からやり直すために研究室に急ぎました。 脳浮腫水は動くための 「間」か 私は皆に、今日からは何十匹ものネズミに同時に病変を作り、時間毎に、毎日しらみつぶしに追って行こうと、口にしました。そして2日目、3日目と進むと、どの論文でも見たことのない所見が出てきたのです(図3B)。非常に汚いこの浮腫液の中には死んだ細胞の屑が、いっぱいある。その中を、沢山の貪食細胞が、死細胞片を血管内に片付けている。そうだ、間がなければ貧食細胞は動けない、間がなければ死細胞は除去できないはずだ、と私どもは知らされました。 (以降はPDFを参照ください)
  • 北関東医学
    1983年 33 巻 3 号 283-295
    発行日: 1983/06/10
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
  • 長嶋 達也
    脳神経外科ジャーナル
    2023年 32 巻 11 号 744-745
    発行日: 2023年
    公開日: 2024/10/25
    ジャーナル オープンアクセス
  • 北関東医学
    1989年 39 巻 3 号 397-415
    発行日: 1989/05/01
    公開日: 2009/10/15
    ジャーナル フリー
  • ―間(ま), 螺旋, 生命の長さなど―
    生田 房弘
    医療
    2008年 62 巻 5 号 257-269
    発行日: 2008/05/20
    公開日: 2011/10/07
    ジャーナル フリー
    [開会の辞]Edogawa College of Neurological Science (E-CNS)と申しますのは, 江戸川を挟んで国府台病院の湯浅, 西宮, 墨東病院の鎌田, 順天堂浦安病院の田中が中心になりまして, われわれはいまだ学徒である, ともに学ぼうということで企画された学舎です. 平素は症例検討を行っているのでありますが, 本日は特別講義ということであります. この特別講義のねらいあるいは意図がどこにあるのかをはじめにご紹介します. それは「常に変わらない学問に対する情熱をもって新たな道を拓かれた先人に学びたい. そのお人柄に触れたい. また, 懐かしい恩師の講義を再びお聞きしたい」ということに要約されます. そこで, 本日は第1回の特別講義ということで, 本特別講義に最もふさわしい先生, 新潟大学名誉教授
    生田房弘
    先生をお招きしております. 生田先生をご紹介します(順天堂浦安病院 田中).
  • 福田 充宏, 前之園 晃幸, 小濱 啓次
    日本外科系連合学会誌
    1994年 19 巻 4 号 119-124
    発行日: 1994/12/25
    公開日: 2010/02/09
    ジャーナル フリー
  • 日本重症心身障害学会誌
    2010年 35 巻 1 号 176
    発行日: 2010年
    公開日: 2025/05/31
    ジャーナル フリー
  • 儀武 三郎, 松田 実, 徳川 博武, 松山 春郎
    医療
    1977年 31 巻 7 号 692-696
    発行日: 1977/07/20
    公開日: 2011/10/19
    ジャーナル フリー
    癌性ニユーロパチーで聴力障害を来した症例の報告は, 現在までに文献上は2例しか見られない. いずれも肺癌を基礎としていた.
    我々の症例もOat cell型の肺癌で末期に突発性難聴を来した. 剖検によつて, この難聴は癌性ニユーロパチーによるものと考えられた. 文献上, 突発性難聴を来した癌性ニユーロパチーの最初の報告例と思われる.
  • 小西 徹
    日本重症心身障害学会誌
    2009年 34 巻 2 号 219
    発行日: 2009年
    公開日: 2025/11/19
    ジャーナル フリー
    第35回日本重症心身障害学会学術集会を長岡市で開催することになりました。シルバー連休の真ん中で、更に、重症心身障害児(者)を守る会全国大会と重なり、参加者が減るのではと心配しましたが、昨年と同じ142題の演題申し込みがあり一安心しています。多くの会員の参加のもと、実り多い学術集会になるようご協力の程お願い致します。 今年の学術集会のテーマは“根拠に基づく医療・療育を目指して”にしました。障害者自立支援法の施行・改正,児童福祉法の改正など、重症児者を取巻く状勢は今まで経験したことのない変革期を迎えています。それだからこそ、学会として重症児者医療・療育の特殊性や重要性を今一度議論し理解を深めることは重要であると思います。今回、医師以外の専門職種からも幅広く興味深い内容の演題が多数集まりました。重症児者を支援する上で多職種の連携・チームワークは必須であり、重症心身障害学会としてあるべき姿ではないかと思います。いろいろの視点から新たな知見が得られるものと期待しています。 特別講演は新潟大学名誉教授の
    生田房弘
    先生に「脳の回復と発達のしくみ」と題し神経病理学の立場から講演して頂きます。教育講演は3題で、新潟大学脳神経外科の西山健一先生に「小児神経外科からみた重症心身障害:水頭症を中心に」、国立精神・神経センター病院の佐々木征行先生に「不随意運動の診かたと対応」、旭川荘療育センター児童院の末光茂先生に「重症心身障害児(者)をめぐる制度改革と今後の課題」について講演して頂きます。シンポジウム1は「重症心身障害のてんかん:特殊性と長期的戦略」で、小西徹(臨床特徴),国立精神・神経センター病院の須貝研司先生(抗てんかん薬の選択),静岡てんかん・神経センターの藤原建樹先生(てんかん治療ガイドライン),西新潟中央病院の亀山茂樹先生(外科手術の可能性)に担当して頂きます。シンポジウム2は「重症児者医療・療育の専門性と重要性:多職種の連携を目指して」で、光の家療育センターの鈴木郁子先生(第34回多職種検討会より),都立府中療育センターの西藤武美さん(看護の専門性),横浜療育医療センターの花井丈夫さん(リハビリテーションの実際),びわこ学園地域生活支援センターの風呂井茂さん(生活支援の立場から)に担当して頂きます。また、ランチョンセミナーは2題で、相模原療育園の三浦寿男先生に「抗てんかん薬の体内動態:重症心身障害児(者)への応用」、ひのみね療育センターの橋本俊顕先生に「発達障害の見方と対応:自閉症スペクトラムを中心に」を講演して頂きます。何れの講演も重症児者の病態や治療に直接関連するものであり、日常臨床に即応用可能な内容であります。そして、恒例になりました読売光と愛の事業団の後援によるファッションショーも多屋淑子先生,山田美智子先生のコーディネートで実演されます。 長岡は田舎町そのものですが、上越新幹線で東京から1時間30~50分と交通の便が良好です。取り立てた観光や名物はありませんが、魚沼産コシヒカリ、数々の銘酒の本場です。学会後の夜の部もお楽しみいただけるものと思っています。また、NHK大河ドラマ「天地人(直江兼続)」のゆかりの地でもあります。 皆様のご来場を長岡療育園一同、心よりお待ちしております。 第35回日本重症心身障害学会学術集会会長 長岡療育園 園長  小西 徹
  • 吉本 高志
    脳神経外科ジャーナル
    1994年 3 巻 6 号 487-
    発行日: 1994/11/20
    公開日: 2017/06/02
    ジャーナル オープンアクセス
  • 熊西 敏郎, 生田 房弘, 西田 和男, 植木 幸明, 山本 正
    GANN Japanese Journal of Cancer Research
    1973年 64 巻 6 号 641-644
    発行日: 1973/12/31
    公開日: 2008/10/23
    ジャーナル フリー
    Brain tumors were induced in 50% (7/14) of adult monkeys 20-40 days after intracerebral inoculation of chicken sarcoma cells producing Schmidt-Ruppin strain of Rous sarcoma virus (SR-RSV). The tumors resembled giant-celled glioblastoma, carried SR-RSV in masked form, and contained S100 protein.
  • ―脳と側頭骨の病理組織学―
    加我 君孝
    耳鼻咽喉科臨床
    1993年 86 巻 9 号 1217-1233
    発行日: 1993/09/01
    公開日: 2011/11/04
    ジャーナル フリー
    For assessing brain dead patients, auditory brain stem response (ABR) has been used as an objective measure. However, pathological findings of the brain and temporal bone have rarely been studied. In this report, both the neuropathology of the brain and temporal bone pathology were studied to elucidate the pathophysiology of the disappearance of ABR in brain death. In temporal bone pathology, generally, the more prolonged the disappearance of ABR, the more severely the inner ear structure was destroyed. In brain pathology, the more prolonged the disappearance of ABR, the more severely the cerebrum, cerebellum and brain stem degenerated. In the inner ear, the inner and outer hair cells disappeared and the stria vascularis separated due to autolysis. In the brain, cell layers of the cerebral cortex, granular cells of the cerebrum and neuronal cells of the dorsal cochlear nucleus disappeared due to ischemic changes. These pathological findings suggest that vascular circulation in the brain stem could be damaged at the beginning of brain death and cause irreversible changes in the brain stem resulting in autolysis of inner ear structures since the inner ear is supplied by the anterior inferior cerebellar artery. However, more extensive study is needed because exceptional cases with unusual pathology of the inner ear and brain do exist.
  • 柳澤 信夫
    昭和医学会雑誌
    2003年 63 巻 4 号 381
    発行日: 2003/08/28
    公開日: 2010/09/09
    ジャーナル フリー
  • 西川 喜作, 大嶺 繁二, 鹿島 晴雄, 川上 仁, 御園 生正紀
    医療
    1981年 35 巻 4 号 349-352
    発行日: 1981/04/20
    公開日: 2011/10/19
    ジャーナル フリー
    36才, 女, 主訴は悪心・嘔吐, 複視及び歩行障害. 34才時発症. 全身倦怠, 悪心・嘔吐, 吃逆で始まり胆石症と診断された. その後6回の再発, 寛解を繰り返し2年の経過の後死亡した. いずれも悪心・嘔吐が出現し, 複視, 顔面神経麻痺を伴つたが, 最後は脳神経III, IV, VI, VII, VIII, IX, の障害が, 左右差はあつたが両側に見られた. また小脳症状, 錐体路症状と共に性格変化, 知能障害, 感情鈍麻なども加わり, 大脳の局在も想定された. 解剖所見では, 大脳, 中脳, 小脳, 橋脳, 延髄の広範囲に多発性に病巣が見られた. このうち最も変化の強い場所は脳幹部であり, 大脳には小指頭大病巣が前頭, 脳梁及び後頭葉にそれぞれ1つずつ見られた. 小脳病巣は1ヵ所だつたが, 橋小脳路が障害されていた. 脊髄及び視神経には異常を認めなかつた. 脳幹部にある主病巣はいずれも境界不鮮明であつた.
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