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クエリ検索: "石器"
10,654件中 1-20の結果を表示しています
  • 北海道紋別郡白滝村所在
    長沼 孝, 越田 雅司, 宗像 公司, 鈴木 宏行, 坂本 尚史, 直江 康雄
    日本考古学
    1999年 6 巻 8 号 101-116
    発行日: 1999/10/09
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    白滝遺跡群は,北海道の北大雪山麓に位置する白滝村に所在する旧
    石器
    時代遺跡の総称である。また,白滝村は黒曜石の原産地として有名で,遺跡群における
    石器
    の出土量は,他の地域に比べて桁違いに多い。その内容豊富な
    石器
    群は,北海道のみならず,世界的にも注目されている。高規格道路建設に伴う発掘調査が1995年から(財)北海道埋蔵文化財センターによって始められ,5年を経過した1999年,大規模遺跡が集中する奥白滝,上白滝地区の調査が終了し,調査の峠を越した。調査したのは,奥白滝11,服部台2,奥白滝1,上白滝8,上白滝2,上白滝5,上白滝6,上白滝7,北支湧別4の9遺跡,面積は約7万m2,出土遺物総数は316万点におよぶ。出土遺物は
    石器
    のみで,土器類は全くない。
    石器
    類の所属時期は,後期旧
    石器
    時代のものが大部分であるが,縄文時代に入る
    石器
    類も若干ある。出土
    石器
    類の大部分は,
    石器
    製作に伴う大小の剥片類で,定形的な
    石器
    は,総数の0.65%,およそ2万点である。
    石器
    類は層位的に分離できなかったが,平面的なまとまりを示し,
    石器
    群という形で捉えられる。それらの時期は,
    石器
    の型式的な特徴から,大きく細石刃文化以前と以後に分けることができる。細石刃文化以前と考えられるのは,上白滝8・奥白滝1遺跡の「台形様
    石器
    」を含む
    石器
    群と上白滝8・上白滝7遺跡の「広郷型」ナイフ形
    石器を含む石器
    群で,前者には石刃技法がみられないが,後者には存在する。細石刃文化以後は,大きく細石刃
    石器群と尖頭器石器
    群に分けることができる。細石刃
    石器
    群では,上白滝8遺跡の「峠下型」,上白滝2遺跡の「札滑型」・「射的山型」,奥白滝1遺跡の「紅葉山型」などの細石刃核を含むブロックに良好な接合資料があり,細石刃剥離技術の把握が可能である。尖頭器
    石器
    群は,その製作に関わる剥片類を多く含み,遺跡・ブロックによって組合わせが異なるが,舟底形
    石器
    ,彫器,掻器,削器,斧形
    石器
    などを伴っている。いずれの
    石器
    群も多数の接合資料があり,各
    石器群における剥片剥離技術や各種石器
    の製作方法が把握できる。黒曜石の原産地を背景とした
    石器
    製作遺跡の実態究明ができると考えている。
  • 藤山 龍造
    日本考古学
    2004年 11 巻 18 号 21-36
    発行日: 2004/11/01
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は,尖頭器
    石器
    群の性格について,再評価を試みることである。そもそも本
    石器
    群では,石材消費も含めて,
    石器
    製作のあり方が大きく転換したことが指摘されてきた。この意味で,尖頭器
    石器群は重要な問題を内包した石器
    群と評価される。それだけに,先史時代研究のなかで,本
    石器
    群の研究に期待される部分は大きい。
    こうしたなかで筆者は,尖頭器
    石器
    群における道具利用に注目した。つまり,これまで「いかに作られたか」という側面が注視されてきたなかで,「いかに利用されたか」という側面へと視点をシフトした。そして,こうした観点から尖頭器
    石器
    群の特徴を把握し,またその位置づけを探ることを目指した。
    上記した目的を遂行するにあたって,本稿では尖頭器
    石器
    群の道具保有状況を検討した。その結果,本
    石器
    群に共通した傾向として,器種構成が単調であり,加工具に乏しいことを確認した。また,これら道具保有状況の検討に加えて,尖頭器自体の機能を再検討した。とくに使用痕,出土状態に注目した結果,それが多機能な道具であることが把握された。つまり,尖頭器は狩猟具,刺突具として利用されるのみならず,加工具的な用途にも用いられていたことが示された。
    以上の分析をとおして,尖頭器
    石器
    群における道具利用が浮かび上がってきた。すなわち,本
    石器
    群では保有器種が種類,量ともに限られるなかで,尖頭器に機能的重心を置いた道具利用が進められている。このように,尖頭器
    石器
    群では機能集約的な道具利用が推し進められており,他の
    石器
    群とは異なった道具利用戦略を認めることができる。言い換えるのであれば,先史時代のなかでも独特の道具利用を進める
    石器
    群として,尖頭器
    石器
    群を評価することが可能である。
  • 高橋 哲
    日本考古学
    2007年 14 巻 24 号 41-50
    発行日: 2007/10/10
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    箆状
    石器
    という東北地方に分布する
    石器
    を取り上げ,その機能を明らかにすることに努めた。箆状
    石器は形態から命名された石器
    器種であり,その機能は,土掘り具,あるいは皮加工道具として従来考えられてきた。近年箆状
    石器
    の使用痕分析が蓄積され,その機能の一つに皮加工の道具として認識されるようになった。箆状
    石器
    の出土する遺跡では掻器が共伴しており,掻器にもやはり皮加工を示す使用痕が確認されている。
    本稿では,箆状
    石器
    と掻器を顕微鏡で詳細に観察した分析事例を検討した。その結果,箆状
    石器
    と掻器は,同じ皮加工道具でありながら操作方法において異なっていることが明らかになった。掻器は刃部を立てたスクレイピソグの操作方法であるのに対して,箆状
    石器
    は刃部を寝かして削りとるホイットリングの操作方法である。
    箆状
    石器
    が縄文時代早期に出現することから,縄文文化の初期段階に,皮加工の道具が少なくとも2種類存在し,皮加工の目的に応じて使い分けていた可能性が非常に高いと考えられる。
  • 堤 隆
    第四紀研究
    2003年 42 巻 3 号 205-218
    発行日: 2003/06/01
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    日本の後期旧
    石器
    時代は,未較正の14C年代で3.3万年前から1.3万年前のおよそ2万年間存続し,時期的にはAT降灰期前後を境に前半と後半に区分される.本稿では,前半期を前葉と後葉に,後半期を前葉・中葉・末葉に区分し,各時期の
    石器
    群の様相について,特に寒冷気候への適応に注目して概観した.前半期前葉は局部磨製石斧と台形様
    石器
    に,前半期後葉は石刃技法の成立やナイフ形
    石器
    の登場に,後半期前葉は
    石器
    群の地域性の発現に,後半期中葉は尖頭器
    石器
    群などの地域的展開に,後半期末葉は列島全域におよぶ細石刃
    石器
    群の展開によって特色づけられる.
    後期旧
    石器
    時代前半期前葉に登場する掻器と呼ばれる
    石器
    は,後期旧
    石器時代の諸石器群にあまねく伴う石器
    ではなく,時空的な偏りをもって保有される
    石器
    である.とくに掻器は高緯度地域に濃密に分布する傾向があり,使用痕分析から導き出される皮なめしという機能推定とあいまって,防寒のための毛皮革製品製作用具であることがうかがえ,寒冷環境への適応を物語る
    石器
    として重要視される.
    後期旧
    石器
    時代の編年を地域ごとにいかに精緻に組み立て,同位体ステージで示されるような環境イベントとの対応関係をどのように読み取るかは,後期旧
    石器
    時代研究の今日的な課題のひとつである.掻器の存在は,最終氷期最寒冷期のより寒冷な環境への人類の適応戦略の解読を可能としている.
  • 阿部 朝衛
    日本考古学
    2007年 14 巻 23 号 1-18
    発行日: 2007/05/20
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    現代人の利き手の約90%は右であり,とくに左右非対称の作業の時には,主としてその右手が用いられ,左手はその補助的役割を果たす。明らかに手は機能分化している。人類の進化とともに利き手は発達してきたと考えられる。したがって,この利き手の発達,機能分化はいつから始まったのかと問うことは自然である。こうした問題意識からの論考はいくつかあるが,その研究内容は,今まであまり紹介されてこなかった。そこで,主に旧
    石器
    時代人の利き手に関する研究を検討してみた。その結果,利き手研究の歴史は意外に古く,多くの重要な視点があることがわかった。同時に,その研究方法にはいくつかの課題が見出された。
    それらを統合すると,今後は,次の要件からの検討が必要である。
    (1)適切な資料・属性を選択し,その分析結果を的確に表示・図示する。技術形態学的方法を援用しながら,利き手に関する適切な属性の抽出と分析が必要である。(2)道具・対象物と手あるいは身体との相対的位置関係とその変化を把握する。技術形態学的方法に加えて,機能形態学の方法も必要である。(3)利き手を判断する際に,運動学的あるいは解剖学的・人間工学的観点からみて,経済的・効率的かつ安全な動作を基準とする。それらを無視するような動作とその結果物は,分析対象として適当ではない。(4)全体的には,製作使用実験,使用痕研究,民族誌の成果を参考とすることは当然であるが,運動学・解剖学・人間工学的成果の援用が必要である。
    上記の条件を満たすならば,資料が増加している現在にあって,十分に利き手を推定することは可能である。この利き手研究は,運動システムを背景とした動作によって残された遺物を研究し,行動学上での位置づけを行う上で重要な役割を担うものであり,当然,他の時代でも無視できない分野であろう。
  • SCHUBNEL H. J.
    宝石学会誌
    1981年 8 巻 1-4 号 169-170
    発行日: 1981/12/01
    公開日: 2017/01/16
    ジャーナル フリー
    インドネシヤのBa1iem谷に住むPapaouan Irian Jayoの原住民は,今日でも5000年前の新
    石器
    時代の生活をしている。1981年8月に行たった探険の際,彼らが用いた
    石器
    をしらべたが,それらには,"ひすい(ネフライト)",一アクチノライト片岩,玄武岩が使われていた。今日では,しかし,新
    石器
    時代の生活をやめ,
    石器
    は観光客用に売られている。また,
    石器
    を研磨する場所についても紹介した。
  • J. Edward KIDDER, 小山 修三, 小田 静夫, 白石 浩之
    人類學雜誌
    1970年 78 巻 2 号 140-156
    発行日: 1970年
    公開日: 2008/02/26
    ジャーナル フリー
    国際基督教大学構内 Loc.28C は武蔵野台地の西縁,多摩川に接した立川段丘上にあり,国分寺崖線に沿って流れる野川に臨む小さな舌状台地である(Fig.1).こゝで縄文早期土器包含層下から,二枚にわたる先土器文化層が発見された.それはFig.3に示した如くA,B,C,C'の四つの
    石器
    群からなっている.これらの
    石器
    群は唯分布を異にするだけでなく各々の組成に特徴を持っている.即ち,尖頭器,台形
    石器
    ,ナイフ形
    石器
    ,掻器,削器,彫器など共通の
    石器
    を保有しながらも,各群の tool-kit 偏在が,認められる.(Fig.4~7)
    C'はCの下層に包含層を持ち明らかに古い
    石器
    群であることが分るが,上層のA,B,C群は同じ層中にありその相互関係については二様の解釈ができる.それは(A)時代的に異る,(B)同時代のものということで(A)については(1)各群の間に剥片類の接着関係が認あられないこと(2)各群の
    石器
    組成にバランスがとれていて独立的であること(3)
    石器
    自体に現在の編年尺度をあて,時代差としてもとらえられることがあげられ,(B)については(1)素材が黒耀石で共通していること,(2)各群が重複することなく同一層位の中に順序よく台地縁辺部にならんでいること,(3)各々の,tool-kitの偏在を一単位集団の特色とみてそれを複合したより大きな集団における
    石器
    組成としてとらえうることが挙げられるが,現在までの操作では後者の可能性が強い.
    上層だけに認められる黒耀石はフィション•トラック検査の結果,箱根より持ち込まれたものであることが分った.出土した黒耀石の総重量は370.699で容積にすると約127ccにすぎない.その供給量が非常に限られたものであったことが分る.そのため,(1)重量にすると
    石器
    が34%の高率を占める,(2)石核打面を調整することなく,色々な方向から剥片をとる,(3)良好な剥片類は殆んどが
    石器
    に転用されてしまったらしく,使用不可能なものだけが残っている,(4)
    石器
    に自然面を残すものが多い(Fig.9),(5)
    石器
    は剥片をあまり変形しないで作る,などの特徴がこの
    石器
    文化にあらわれている.そして(1)-(5)の条件は下層の,供給が豊富なローカルな石を使用しているC'群のものとは全く逆なものとなっている.
    Fig.10のグラフは出土した
    石器
    について,長さ,巾,重さの関係を示したものである.
    石器
    の中では尖頭器がこの三者間に最も強い相関関係が認められ,ナイフ形
    石器
    ,台形
    石器
    も割合によい相関を示す(ナイフ形
    石器
    は長さに比べ巾の制約が強いらしい).彫器及び掻器•削器は形の上で著しく相関のバランスのくずれたものがある.つまり尖頭器,ナイフ形
    石器
    ,台形
    石器
    では定形化の要求が強く,その使用が全体的であるのに比べ彫器,掻器,削器では定形化があまり要求されない蔀分的な利用がその目的であつたといえる.このことは黒耀石の
    石器
    の自然面を残しているものの比率にもよく反映されている.
    この遺跡で発見された
    石器
    群を周辺遺跡のそれと比べてみると上層が茂呂,月見野I•IIIA,西の台IIなどのものに,下層が市場坂,月見野II•IVA のものに類似している.ところがこれは現在一般に考えられている編年序列と逆転していることに気づく.上層のナイフ形
    石器中には茂呂遺跡出土の茂呂ナイフ形型石器
    と呼ばれるものに酷似しているものがある。茂呂型ナイフ形
    石器
    は(1)剥離が非調整石核から行われ,調整打面を持っ本格的な石刃技法より技術的に幼稚.(2)素材を変形しない
    石器
    の製作法も又原始的.(3)切出形
    石器
    を伴わないなどの理由によって,ナイフ形
    石器
    文化の中でも比較的古い段階に位置づけられていた.しかし(1)(2)については既に黒耀石の項で述べたように,原始的様相と言うよりはむしろ素材の供給量に起因するもので,制約された素材をより効果的に利用する進んだ技術ではないかと考えられる.(3)については台形
    石器
    の範型理解と相まって層位的にも古いとされる武井I,磯山にすでに存在しているので問題はない.茂呂遺跡は位置,地層,
    石器
    の素材,剥片の形片,ナイフ形
    石器
    に残る自然面など全てにわたって我々の遺跡の上層文化と近似する点が多く,その組成の問題も含あて茂呂
    石器
    群の編年的位置づけの再検討を指摘するものである.従来細
    石器化の進んだ小形のナイフ形石器
    群を比較的新しい段階のものとして把握していたが,ここにより古い段階にもその存在の位置づけが確認されたわけである.
  • 中村 由克
    第四紀研究
    2003年 42 巻 3 号 219-228
    発行日: 2003/06/01
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    長野県を中心とする中部高地は,高原,湖沼,盆地などからなり,旧
    石器
    時代遺跡が集中することで知られている.野尻湖は長野県北部に位置し,その西岸に有名な立が鼻遺跡がある.立が鼻遺跡では,1962年から2000年までに14回にわたる発掘調査が行われ,ナウマンゾウ,ヤベオオツノジカ化石とともに旧
    石器
    遺物が出土している.最も重要なものは,
    石器
    と骨製のクリーヴァー,スクレイパー,ナイフ,剥片などを含む骨器である.これらの旧
    石器
    遺物と大形獣の化石は48~33kaのものであり,酸素同位体ステージ(OIS)3の前半期にあたる中期旧
    石器
    時代の最後に位置づけられる.
    飯田市の竹佐中原遺跡・石子原遺跡,中野市の沢田鍋土遺跡・がまん淵遺跡などは,立が鼻遺跡と同様に,中期旧
    石器
    時代に属する可能性があるが,確実な証拠という点では問題がある.中期旧
    石器
    時代に対比される可能性のある複数の遺跡があることからみて,中部高地は旧
    石器
    研究に重要な地域である.
    OIS3の後半にあたる後期旧
    石器
    時代前半期には,野尻湖周辺に多くの遺跡が集中しており,局部磨製石斧,台形(様)
    石器
    ,ナイフ形
    石器
    などに特徴づけられる.OIS2の同後半期になると,中部高地の全域に遺跡が増える.野尻湖周辺では,杉久保系
    石器
    群,瀬戸内系
    石器
    群,そして尖頭器
    石器
    群などが出土する.
    霧ヶ峰,八ヶ岳周辺の黒曜石原産地の近くには,多くの遺跡が分布する.これらの旧
    石器
    時代遺跡は,たいへん標高の高いところにまで立地している.飛騨山脈を越えた飛騨地域で産する下呂石(湯ヶ峯デイサイト)や黒鉛を含む沢式土器が中部高原地域にも広く分布することは,後期旧
    石器
    時代後半以降にこの地域における活発な人の移動と交易がはじまったことを示唆する.
  • 沖 憲明
    日本考古学
    2000年 7 巻 10 号 97-105
    発行日: 2000/10/04
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    冠遺跡群は西中国山地の中央部にある小盆地・通称冠高原と,その縁辺部の丘陵上に所在する。後期旧
    石器時代前半期から縄文時代前期にかけての石器
    類が丘陵頂上部から山裾の微高地にかけて多量に分布しており,それらの
    石器
    類の素材となっている安山岩等の原石も高原内やその南北の丘陵上に,転礫の状態で分布している。
    この遺跡群は1960年に存在が確認されて以来,長い調査・研究史をもつ。本稿ではその調査・研究史を概観するとともに,広島県教育委員会が現在実施している,この遺跡群の発掘調査事業の成果の一部を紹介する。
    この事業は,冠遺跡群の範囲と内容を確認し保存対策を講じる目的で,1991年度から実施されている。これまで高原内及びその周辺で小規模の発掘調査を繰り返してきたが,1998年度に発掘調査を実施した仮称・第56グリッドにおいて,後期旧
    石器
    時代前半期の古い段階に属する,
    石器石材の採取から石器
    製作までを行ったと推定される場所を確認した。
    石器
    群は姶良丹沢火山灰の下位層から出土しており,台形様
    石器
    などを含む。また,この場所には
    石器
    類が残された当時,一辺1m近い大型の安山岩礫が点々と露頭していたと推定され,それらのうちの一つを地表に引きずり出して使用したと推定される,縦・横約80cm,厚さ約60cm,重さ約108kgの
    石器
    接合資料も確認された。
    この接合資料と,その出土状況の検討によって,冠遺跡群の中での
    石器
    石材採取場所を初めて特定することができ,後期旧
    石器時代の石器
    石材採取の方法や,その場所での作業内容が解明されると予想される。また,冠遺跡群の中にも,
    石器
    やその素材の確保に重点を置く地点とそうでない地点,例えばいわゆる「管理的」
    石器
    'curated tool'の再加工やその他の道具類の製作,食事や寝泊まりなどの生活に重点を置く場所が存在することが予想され,原産地遺跡の内容解明に大きな資料を提供すると思われる。
  • 真家 和生, 鳴瀬 麻子
    人間生活文化研究
    2013年 2013 巻 23 号 97-100
    発行日: 2013/01/01
    公開日: 2013/05/17
    ジャーナル フリー
    日本の旧
    石器
    時代は極めて特殊な特徴を有している.それは,旧
    石器
    が出土する遺跡からは人骨すなわち旧
    石器
    時代人が伴出されず,旧
    石器時代人が発見された遺跡からは石器
    が出土しない,ということである.これは旧
    石器
    使用者がどのような人々であり,現在の日本人につながる人々であるのかどうかという判定ができないということを意味しており,日本の旧
    石器
    時代研究の足枷となっている.本報告では,人類学および考古学の最新情報を整理し,現時点でのこれら情報の整理を行った.なお本報告は,平成24年度大妻女子大学人間生活文化研究所共同研究として「東国の旧
    石器
    時代文化の再考と復元」の題名で研究費をいただいて行った作業のまとめであり,オリジナル研究ではないことをお断りしておく.
  • *中井 弥生, 福岡 孝昭, 杉原 重夫
    日本地球化学会年会要旨集
    2003年 50 巻 1P09
    発行日: 2003年
    公開日: 2005/05/15
    会議録・要旨集 フリー
     黒耀石は
    石器時代に石器
    の原材料として用いられた.黒耀石
    石器
    の産地推定は,そこから当時の人々の交流圏などが推定でき,考古学的研究に重要な情報をもたらす.黒耀石は火山岩であるため,黒耀石
    石器
    の化学組成はそれを噴出した火山のマグマの化学組成を反映し,その産地に産出する黒耀石原石の化学組成に一致する.本研究では,LA/ICP-MSを用いて各地の黒耀石原石について微量元素組成を求めて化学組成の地域的特徴を明らかにする.これにより,
    石器
    の産地推定だけでなく,産地未発見の
    石器
    の原石探査における大まかな産地予測が可能になると考える.
  • 下山 覚, 鎌田 洋昭, 中摩 浩太郎, 渡部 徹也
    日本考古学
    2000年 7 巻 9 号 137-146
    発行日: 2000/05/15
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    鹿児島県指宿市西方水迫に所在する水迫遺跡は、標高126mの尾根状の末端に位置している。
    平成5年度のサン・オーシャンリゾート開発に伴う鹿児島県文化財課の分布調査によって,周知化された遺跡のひとつである。
    平成8年度に鹿児島県地事務所が事業主体となっている広域営農団地農道整備事業に伴って確認調査を実施し,縄文時代早期(岩本式土器段階)の遺物包含層を確認した。周辺の畑地では弥生時代中期の土器片などを採集することができていたが,路線予定地の調査地点では,周辺に比べて最大2mほど削平を受けており,弥生時代中期の包含層は確認することができなかった。
    平成11年度に水迫遺跡内における路線予定地内(約1,500m2)の発掘調査を指宿市教育委員会で実施した。約320m2の南側の調査地点において,縄文時代早期・縄文時代草創期・後期旧
    石器時代のナイフ形石器
    文化~細石刃文化・ナイフ形
    石器
    文化(AT上位)・ナイフ形
    石器
    文化(AT下位)の5時期の遺物包含層を確認することが出来た。
    特に,縄文時代草創期に該当する新型式土器として平成11年11月16日に発表した「水迫式土器」は,南部九州の縄文時代草創期後半の「隆帯文土器」と,南九州の縄文時代早期の貝殻文円筒形土器の最古段階として考えられている「岩本式土器」とを繋ぐ土器として注目される。水迫遺跡では,第5・6層から岩本式土器が,その下層の第7層から水迫式土器が層位学的に出土している。
    さらに,小形なナイフ形
    石器
    と細石刃・細石刃核が出土する第9層を埋土とした遺構を,基盤層である第14層上面で検出できた。遺構は,住居跡,ピット群,道跡で構成されている。
    また,住居跡の西側隣接地においては小形なナイフ形
    石器
    と細石刃・細石刃核がまとまって出土している。後期旧
    石器
    時代の遺跡の中で,このようにまとまって検出した事例は希少である。
  • 澤田 佳紀, 木下 勉, Amartuvshin Renchin-Ochir, 千葉 史, 今野 晃市
    芸術科学会論文誌
    2022年 21 巻 4 号 213-224
    発行日: 2022/11/04
    公開日: 2023/05/03
    ジャーナル フリー
    遺跡から発掘された
    石器
    は,洗浄,採番,母岩分類の後,組み立てを行い,それぞれの
    石器
    に識別番号が与えられ,その製法や用法を知るために調査される.しかし,調査の過程で識別情報が失われてしまう可能性があるため,実物の
    石器
    から識別番号を自動で提示するシステムが求められている.本稿では,
    石器
    の識別自動化のため,RGB-Dカメラで計測した実物の
    石器
    を識別する手法を提案する.本手法では,RGB-Dカメラを用いて
    石器
    の表面の点群を計測し,計測した点群と事前にスキャンしておいた
    石器
    の点群を2Dと3Dの手法を組み合わせたアルゴリズムによって比較することで
    石器
    の番号を識別する.具体的には,処理速度の早い輪郭を用いたマッチング手法とICPアルゴリズムを組み合わせることで,点群のみを用いた手法よりも速い処理速度と,輪郭のみを用いた手法よりも高い識別精度を実現する.24個の
    石器
    から構築された82個の
    石器
    点群データをデータベース化し,いくつかの
    石器
    に対して本手法を適用した結果,良好な結果が得られた.
  • 千田 あゆみ, 松山 克胤, 千葉 史, 今野 晃市
    芸術科学会論文誌
    2014年 13 巻 2 号 107-115
    発行日: 2014/06/25
    公開日: 2023/04/04
    ジャーナル フリー
    石器
    の接合資料とは,同一の石核から製作された
    石器
    同士が接合され,隣接する
    石器
    間の位置や姿勢を復元した資料のことである.接合資料の作成は,通常1 つの遺跡から出土した資料群を母集団として行われるが,その中に母岩を復元するために必要な全ての
    石器
    が含まれるとは限らない.しかしながら復元のために,出土したすべての
    石器
    を対象として組み立てを試行することは難しい.そのため,組み立てをいつ終了するか,すなわち,組み立てにおける終了条件の決定が非常に困難である.また,一般に接合資料作成は試行錯誤を伴う手作業で行われるため,作業者の負担が大きい.従来,計算機を用いて
    石器
    の剥離面を抽出し,剥離面同士のマッチングを行うことによって接合資料を作成する手法が提案されている.しかし,従来手法は,複数の
    石器
    剥離面が合併し,ひとつの剥離面を構成するような複雑な剥離面に対して探索が困難である.また,探索対象となる全ての
    石器
    剥離面に総当りでマッチングを行わなければならないため,探索に非常に時間がかかり,大量の
    石器
    に適用することが困難である.そこで,本研究では複数の
    石器
    剥離面で構成される複雑な剥離面に対して,隣接する
    石器
    を探索できる高速な剥離面探索手法を提案する.本手法では,
    石器
    を計測した計測点群から自動的に剥離面上の点群を抽出し,特徴量を計算する.次に,計算した特徴量を用いて,接合する
    石器
    の剥離面同士をマッチングして,隣接する剥離面候補を高速に探索する.その後,候補となる剥離面から適切な
    石器
    を選出し,姿勢最適化手法を用いて接合する.最後に,接合した2つの
    石器
    剥離面と隣接する剥離面を解析して,複数剥離面をひとつの剥離面に併合することで,複雑な剥離面に対しても
    石器
    接合資料作成を自動化できることを検証する.
  • 石器製作実験に基づく検討
    岡澤 祥子
    第四紀研究
    2000年 39 巻 5 号 479-486
    発行日: 2000/10/01
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    石器
    時代の遺跡において,
    石器
    集中部は空間構造を理解する上での基本的な分析単位であり,これらの差異を把握することが遺跡の機能差を知る手がかりとされる.
    石器以外の遺物の増加が期待できない日本国内の旧石器
    時代遺跡においては,現状で獲得可能な試料をいかに利用して
    石器
    集中部間の差異を導き出すかが課題である.今回行った野外
    石器
    製作実験では,製作過程で生じる0.25mm以上の全剥片について,剥離工程別の出現率と平面分布傾向を検討した.その結果,適切な土壌サンプリング手順に基づいて砂粒サイズの剥片を分析することで,
    石器
    集中部の差異を把握する新たな切り口が得られるとの予見を得た.
  • 傳田 惠隆
    第四紀研究
    2015年 54 巻 4 号 173-183
    発行日: 2015/08/01
    公開日: 2015/09/25
    ジャーナル フリー
    山形県寒河江市高瀬山遺跡を対象に,出土した
    石器
    集中の攪乱要因について検討を行った.遺跡から出土した
    石器
    は最上川の氾濫による洪水ローム層中に挟まれていることから,出土した
    石器
    集中は少なくとも流水の作用を受けて形成されている可能性がある.
    石器
    が遺棄・廃棄されたのちの流水の影響の有無を検討するために,同一層から出土した
    石器
    と礫について分析を行った.分析方法は,礫と
    石器
    のファブリック解析,遺物サイズの空間分布,
    石器
    の表面状態である.その結果,遺跡から出土した礫と
    石器
    では,異なる傾向が現れた.礫は,流水などの複合的様相を受けて堆積していることがみられた.一方
    石器
    は,少なくとも14mm以上の分析対象に関しては流水の作用は受けているものの,遺棄・廃棄された位置を大きく変えるような再移動は認められなかった.
  • 近藤 康久
    第四紀研究
    2015年 54 巻 5 号 207-218
    発行日: 2015/10/01
    公開日: 2015/12/19
    ジャーナル フリー
    生態ニッチモデリング(ENM)は,生物種の既知の生息地点と気温・降水量・標高などの環境因子を入力変数とする機械学習によって,未知の領域における当該生物種のニッチの存在確率を外挿的に推定する手法である.先史人類の行動とニッチ構築には環境因子が大きな影響を及ぼしていたとすれば,ENMは考古学に応用可能である.本稿では,後期旧
    石器
    時代の人類集団の生態ニッチを定量的に評価・可視化し,もってその行動戦略を明らかにするために,関東甲信越地方における後期旧
    石器
    時代遺跡の大規模データにENMを適用した.具体的には,
    石器
    群のちがいが資源獲得戦略のちがいを反映すると仮定して,当該時期の4つの主要
    石器
    群(台形様
    石器
    ,角錐状
    石器
    ,ナイフ形
    石器
    ,細
    石器
    )の生態ニッチを推定した.ニッチ確率を空間的に算出するにあたっては,最終氷期最寒冷期(21,000年前)の古気候および古地形データを調製し,入力変数に用いた.モデル計算の結果,4つの
    石器
    群すべてにおいて南関東の武蔵野台地・相模野台地・下総台地にニッチ確率の高い地域が認められたが,これは都市圏の開発に伴う集中的な緊急発掘調査に起因するバイアスの可能性が高い.また,中部高地の黒曜石産地からの距離が環境因子寄与率の上位を占めることが明らかになった.細かく見ると,角錐状
    石器
    ,ナイフ形
    石器
    ,細
    石器
    では箱根山地に2か所のニッチ高確率域が認められた.これらは富士川沿いに中部高地と箱根地区を結ぶ黒曜石運搬の「回廊」の一部をなしていたことが示唆される.
  • 山内 保典
    科学技術社会論研究
    2017年 14 巻 63-76
    発行日: 2017/11/15
    公開日: 2023/09/11
    ジャーナル フリー

     公正な研究を行うために,研究者は様々な責務を果たす必要がある.本稿の目的は,その責務を果たす上で,オープンな科学コミュニケーションが資する可能性と役割を示すことである.そのために,考古学におけるデータねつ造発覚後に行われたインターネット上での議論の事例研究を行った.ケース1では,専門知識や技術の質を担保するという責務に対し,様々な専門知識を持つ議論参加者の協働を可能にし,欠けている知識を補う役割を果たした.ケース2では,科学の自律という責務に対し,科学で共有されている実践を確認する役割が見られた.ケース3では,科学・技術と社会の関係を理解するという責務に対し,リアリティのある相互理解と萌芽的な問題の発見をもたらす役割が見られた.

  • 高橋 司, 游 梦博, 今野 晃市
    芸術科学会論文誌
    2023年 22 巻 1 号 1-10
    発行日: 2023/04/01
    公開日: 2023/05/06
    ジャーナル フリー
    石器
    とは,先史時代に作成・使用されていた,生活のための道具である. 出土した
    石器
    や剥片を接合して, 母岩を再現したものを
    石器
    の接合資料と呼ぶ.接合資料を発掘調査報告書に記載する場合,実測して実測図を作成するか,または3D計測した点群に基づいて図化するが,接合資料を調査・研究するには,レーザー計測に基づいた接合資料表面の点群だけでは不十分で,内部の情報を持つ完全な接合資料の三次元点群が必要になる.完全な接合資料を生成するためには,接合資料を計測して得られた表面点群と, 接合資料を構成する
    石器
    の点群とのマッチングが必要である.しかし,接合資料を計測して得られた表面点群は,一部の
    石器が他の石器
    に部分的に隠されており,表面点群と
    石器
    剥離面を表す点群とをマッチングさせる場合,
    石器
    の一部分に着目してマッチングできる手法が要求される.そこで本稿では,接合資料を計測して得られた表面点群と,
    石器
    剥離面を表す点群との部分マッチングを行う,新しい手法を提案する.本手法により,接合資料表面点群と,
    石器
    の計測点群から,接合資料を構成する
    石器
    の空間配置を復元することが可能となる.
  • 種族特殊性ノ形熊學的研究第二
    清野 謙次, 星島 壽
    日本微生物學會雜誌
    1922年 16 巻 4 号 269-284
    発行日: 1922/04/01
    公開日: 2010/01/22
    ジャーナル フリー
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