磁場中で電気抵抗が大きく変化する現象は巨大
磁気抵抗効果
と呼ばれる.ハードディスクの磁気ヘッドにも応用されている身近な現象であり,スピンの自由度も活用したエレクトロニクス,いわゆる,スピントロニクスの研究における代表的な例でもある.一般的な金属において,電気抵抗率の磁場による変化は大きなものではない.そこで,局在スピンを利用することで,磁場効果を増幅させて伝導電子に伝えることが有効となる.伝導電子と局在スピン間の相互作用は,巨大
磁気抵抗効果
に限らず,これまで近藤効果や重い電子系などの豊かな物理を提供してきた.この相互作用が物性に及ぼす影響を理解することは,物理を深化させる上でも新材料開発においても重要である.
従来の巨大
磁気抵抗効果
は,強磁性薄膜と非磁性薄膜の多層膜やマンガン酸化物など,主として無機化合物を舞台に研究されてきた.これを,強相関電子系の宝庫とも言える分子性伝導体で発現させることはできないか? そして,分子が有する自由度を活用することで,無機化合物系とは違う科学を展開できないか? 分子性化合物における研究展開には化学と物理の協力が必須となる.
分子性化合物では,分子全体に広がった分子軌道上のπ電子が伝導電子になる.一方,分子の一部に偏在した軌道上の電子は局在したスピンとして振る舞うことが多く,分子に配位している遷移金属のd電子は局在スピンとなり得る.分子性伝導体において,巨大
磁気抵抗効果
を発現させる必要条件は,上記のπ伝導電子と局在dスピン間の磁気的相互作用(π–d相互作用)を確保する点にあろう.分子を思い通りに配置させる結晶工学は未だ発展途上であり,伝導を担う有機分子と磁性を担う無機イオンが結晶中でバラバラに位置すれば,その間の相互作用の確保は簡単ではない.そこで,筆者らは金属フタロシアニン (
M (Pc)) を分子性伝導体の構成成分に選んだ.分子性伝導体の構成成分としてはBEDT-TTFなどがよく知られているが,
M (Pc)分子の魅力は,伝導電子を供給するπ共役系環状分子を持つだけでなく,その中心に局在スピン源となる遷移金属を自由に導入できる点である.この2種類の電子の共存は,マンガン酸化物に近い状況であり,フント結合に類似した強いπ–d相互作用を確保できる.実際,すべての[ Fe (Pc)
L2]系分子性伝導体(
L は軸配位子)で結晶構造に依らず巨大な負の
磁気抵抗効果
が観測される.この
磁気抵抗効果
の発現においては,強相関電子系の特徴であるπ伝導電子の電荷秩序と局在dスピンの磁気秩序の相関が重要な役を担う.外部磁場によってdスピンの反強磁性秩序(揺らぎ)が抑制されることでπ伝導電子の電荷秩序が軽減され,巨大な負の磁気抵抗が観測されるのである.
最近筆者らは,金属フタロシアニン系伝導体について,分子設計に基づいた
磁気抵抗効果
の変調に成功した.分子中心の遷移金属置換によって伝導電子の数を変えることなく局在スピンの数のみを制御できるので,無機化合物では困難であった局在スピンの影響を検証したところ,局在スピンを持たない分子との混晶において,局在スピン濃度が稀薄な領域まで大きな負の
磁気抵抗効果
が観測された.隣接局在スピン間の相互作用を仮定した従来のモデルで解釈できない現象であり新しい物理を期待させる.また,π共役系環状分子を改変することで,π伝導電子の存在する分子軌道準位を制御することができる.これは無機化合物における原子軌道準位の制御に相当する.π軌道準位を上昇させる分子修飾からは,π–d相互作用の弱化による
磁気抵抗効果
の減少が達成された.これらの結果は,分子設計による
磁気抵抗効果
の制御や新しい物理の展開が可能であることを示している.
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