本稿は、江戸時代幕末期から明治初頭にかけて、京都祇園において活動していた新興の遊女屋尾上屋の名簿「遊女芸者名前控」を分析して、幕末期に活動した芸者89人と遊女13人、計102人の娘たちの契約の実態を明らかにするものである。この名簿は現在、西尾市立岩瀬文庫が所蔵している先行研究では未活用の史料である。筆者は以前、芸者や遊女として働くために、祇園のお茶屋と一生不通養子娘契約を結んで、養子という形で平均年齢9歳で、祇園にやってきた娘たちの実態や、彼女たちのライフコースを明らかにした。本稿では、娘たちが祇園にきてから、抱店での数年の修行期間を経て、新たに遊女屋と結んだ芸者奉公契約、遊女奉公契約の実態を明らかにするものである。「遊女芸者名前控」には、遊女奉公人請状や芸者奉公人請状に記載されている奉公の年限と給金額、遊女奉公と芸者奉公の区別、店で名乗る店名前と本名、実親や保証人、さらには、契約を仲立ちした口入などの情報が記されている。また契約成立後、本人の状態になんらかの異動があったときにも追記され、抱え芸者と遊女の管理に使われたと類推される名簿である。名簿の分析により、芸者および遊女奉公契約の平均年数や給金の平均額、親元や口入の住所、氏名などが詳細に判明した。また幕末期の動乱のなかで京都市中の借家人層が激減したことで、その層からの供給が減り、京都外からの輸入が多くみられることも指摘した。
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