弥生時代の鐸形土製品は,銅鐸や小銅鐸を粘土で表現したものとされ,九州北部から近畿,東海地方にかけて分布している。鐸形土製品には,文様がみられないもののほか,流水文や袈裟襷文,横帯文など銅鐸の文様を写したものや,絵画や象徴的な記号を刻んだ例がある。
小文は,絵画や記号のある鐸形土製品に共通する「人物」「戈」「×」について絵画土器や青銅器の意匠と比較し,その意義について考察するものである。
まず「人物」は,戈などの武器と楯を手にしている場合が多い。武装した人物とは,実際の戦闘というよりは穀霊と交感する際の装いであり,稲作にかかわる祭祀に不可欠の役割が与えられていたことを示している。
二つめの「戈」は,もともと刃部を直角にちかい角度で柄に装着し,殺傷する機能をもっていた。弥生人が,「戈」の鉤状の形態に特別なイメージをいだいていたことは,原始絵画に描かれた武器のほとんどが「戈」であることからも推測される。
さいごの「×」は,絵画というより記号に近い表現である。筆者は,武器をもつ人物の逆三角形の上半身を延長すると,交叉部分は「×」となることから「戈をもつ人物」の象徴的な表現ととらえた。近畿や山陰地方の土器絵画や大阪湾型銅戈の鋳型,出雲の銅剣の茎や銅鐸の鈕にも「×」表現はみられる。このほか瀬戸内の平形銅剣や九州北部の銅戈の内にも「×」を鋳出したものがある。
「人物」「戈」「×」,これら三種の表現は,単独ではなく密接に関連しあっていたようだ。戈に柄を装着した鉤状の形態に辟邪,穀霊と交感する戈を手にした人物に豊饒という主題を見出すなら,鐸形土製品には,銅鐸や武器形青銅器に通じる意義が付加されていたと考えられる。しかも集落域や水辺に近い遺構で出土する点では,小銅鐸の出土状況と共通している。したがって鐸形土製品は,いわば水利灌漑施設を共有する規模の集団を対象とする祭祀のアイテムといえるようだ。
鐸形土製品に描かれた絵画や記号は,弥生中期後葉から後期前葉にかけての西日本に点在する表現である。弥生人は,地域ごとに固有の墓制や土器様式を保持しながらも,豊饒や辟邪にまつわる精神世界を共有していたのである。
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