山地斜面の空隙から冷風を吐出する風穴の利用例として従来最も普及したのが,幕末ころに開発された
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を風穴へ冷蔵して孵化を抑制し養蚕の時期を延長させる手法である。明治期における蚕糸業の振興に伴い,そうした
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貯蔵のための風穴の利用が各地で実施され,大正期までに全国でおよそ300以上もの「風穴小屋」(
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貯蔵風穴)が造られ,天然冷蔵庫として管理・経営されていた。蚕糸業は当時の基幹産業であり,全国各地にあった
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貯蔵風穴は,農商務省によって所在地の村名字名・所有者・
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貯蔵枚数などが調査されている。調査結果のリストは,長野県蚕病予防事務所(1905)『長野県蚕病予防事務成績』,久保田松吉(1909)『日本風穴
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論』,柳澤 巌 (1910)『風穴新論』,農商務省農務局(1914~1919).『蚕業取締成績』,秋田営林局(1936)『風穴』
などに記載されている。
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貯蔵風穴は大正後期以降電気冷蔵庫の普及により漸次廃止され,昭和期に一時的に植林の種子・苗木の貯蔵に再利用されたが,現在ではごく一部で冷蔵の利用が継続されているもの復元されたものを除き,大半が放棄されたままとなっている。『蚕業取締成績』に記載されている
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貯蔵風穴の現状について,群馬県教育委員会が全国都府県教育委員会に依頼して各市町村が調査した結果でも,多くが現状不明で(群馬県教育委員会 2009.『全国の
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貯蔵風穴跡の現状』),所在が明らかなものも位置情報がない。風穴小屋跡が天然記念物や史跡に指定されている例は,国指定で11箇所,県や市町村の指定で8箇所であり,300ほどもあった
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貯蔵風穴に対して極めて少ない。地元でも文化財としての風穴の価値が認められていない証左であろう。国指定以外では文化財であっても地形図に注記がない場合があり,位置がとらえにくい。山中に放棄された風穴小屋跡は,位置も全く不明なものが多い。そこで,それらを記録すべく上記の明治期以降の
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貯蔵風穴の資料などをもとに,全国風穴小屋マップ(
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貯蔵風穴と種子貯蔵風穴など)を編集・作成した。方法は,上記の明治期以降の資料のほか一部市町村誌などに個別にリストアップされた風穴名と所在地(当時の村名字名)を全て書き出し,さらに以下の現地調査により確認された種子貯蔵風穴なども加え,全国風穴小屋一覧表を新たに作成した。それを基に,該当する町村字名を2万5千分の1地形図上で探し,全国地形図索引図へ概略位置をプロットし,全国風穴小屋マップを編集した。全国風穴小屋一覧表には,位置する地形図名と近傍の注記も付記した。より詳細な風穴の位置情報は欠くことができないが,それが記載された資料はきわめて少ない。そこで,現地で風穴の位置確認を継続中で,これまでに全国で125箇所以上の
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貯蔵風穴・種子貯蔵風穴の跡を確認した。 確認された個々の風穴では,2万5千分の1地形図上での位置・風穴小屋跡の大きさ・周辺の地形などを記録した風穴調査票を作成した。また,全国風穴小屋一覧表には,現地確認された風穴と信頼できる資料によって位置が特定された風穴は,経緯度・標高などのデータを加えた。
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