維新政府の中心人物であった大久保利通が明治維新後近代化の波が押し寄せてきていた中、どのような政策・方策を行っていったかを国家プロジェクトが途中で中止されるという希なケースである野蒜築港を中心とした東北開発政策の立案過程を把握することは戦後の枠組みであった経済の1940年体制、政治の1955年体制の全面見直しが、必要であるといわれ、公共事業に対する風当たりが強く財政不足の今日に知見を与えると考える。本研究では、野蒜築港を含む東北開発事業の計画から事業中止に至るまでの経緯を探る糸口として、大久保利通の東北開発政策の立案過程を把握し、その中での野蒜築港の意義について実証的な分析を行い、考察を行った。
抄録全体を表示