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クエリ検索: "財務大臣" イギリス
250件中 1-20の結果を表示しています
  • ―イギリスを事例として
    西村 拓哉
    財政研究
    2022年 18 巻 149-171
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/10/17
    ジャーナル フリー

     2010年代までの世界の法人税率は,引下げ傾向が続くなかで,

    イギリス
    は,2010年代の与党保守党が大幅な法人税率の引下げを実施し,これが日米等の税率引下げに影響を与えたが,2021年3月予算で約半世紀ぶりに法人税率の引上げを決定した。本稿では,「底辺への競争」を主導する国であった
    イギリス
    による法人税率引上げを検討した。

     法人税改正の主要事項は,法人税率の引上げおよび時限的な特別償却制度の導入である。当該改正は,

    イギリス
    のユニークな政治的意思決定制度のなかで,先行研究で想定されていた政権交代に起因する政策の大幅な変更によるものではなく,保守党内閣の方針変更による改正であった。この改正がなされた背景として,国際税制の動向および,コロナ禍という外生的ショック,EU離脱後の
    イギリス
    経済の方向性という国内問題があったことが,議会での議論からわかった。

  • 松岡 美香
    人間生活文化研究
    2016年 2016 巻 26 号 129-131
    発行日: 2016/01/01
    公開日: 2020/03/18
    ジャーナル フリー

     

    イギリス
    文学の背景的特徴として,階級が挙げられる.現在の
    イギリス
    において,階級という仕組みは表面上ではかなり隠ぺいされているが,実際には依然として,社会に何らかの影響を及ぼす力を持ち続けている.本研究では20世紀に焦点をあて,階級の変遷,階級を反映させた小説が一体どのようなものなのか,ということを考察していくことを目的とする.

  • 木村 めぐみ
    年次大会講演要旨集
    2015年 30 巻 2H18
    発行日: 2015/10/10
    公開日: 2018/01/30
    会議録・要旨集 フリー
  • 秦 由美子
    教育学研究
    2022年 89 巻 2 号 305-307
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/09/10
    ジャーナル フリー
  • ―海運政策の観点から―
    左近 幸村
    国際政治
    2018年 2018 巻 191 号 191_32-191_47
    発行日: 2018/03/28
    公開日: 2018/12/19
    ジャーナル フリー

    This article discusses the economic thought and policy of Sergei Witte, the Russian Minister of Finance from 1892 to 1903, particularly with regard to how he used Russian commercial fleets effectively. Famously based on Friedrich Liszt’s economic thought, he encouraged the construction of the Trans-Siberian Railway and Russia’s industrialization under government protection. Although little attention has been given to his shipping trade policy, in his book About Nationalism—National Economy and Friedrich Liszt, he stated that it was necessary to develop a national fleet to boost a country to its highest economic stage.

    In this article, first, we examine Witte’s two books, About Nationalism and Abstract of the Lecture on the National and State Economy, which reveal how he considered the relations between free trade and protectionism and Russia’s foray into Asian markets, especially China and Iran.

    Second, we compare the plans managed by Witte regarding the establishment or reform of some shipping associations between 1899 and 1903. In 1899, he granted approval to the Northern Steamship Company and the Russian East Asian Steamship Company, with their parent companies in Copenhagen, to enter the same line of business as the Russian Volunteer Fleet, which had made round trips between Odessa and Vladivostok since 1879. In 1901, when Witte noticed that the number of Russian commercial ships was not enough to open up markets in the East for Russian export, he insisted that the Volunteer Fleet be gradually transformed from an auxiliary fleet of the Navy into a shipping trade company although other Russian ministers rejected his reform plan. Expecting these three shipping associations to play a part in boosting Russia to its highest economic stage, Witte used the Russo-Danube steamship established in 1903 and the Shipping Company with the Chinese Eastern Railway Company in 1899 to support Russian diplomacy with neighbor countries, not to aim to make profit.

    Third, we deal with the establishment of the “Persian Line” of the Russian Steam Navigation and Trading Company (ROPiT), the biggest steamship company in imperial Russia founded in 1856. In 1902, Witte made ROPiT introduce a new line, which provided direct service between Odessa and the Persian Gulf. One previous study discussed that the demand for carrying Muslim pilgrims to Mecca by Russian ships helped the introduction of the new line, while another pointed out its connection with a plan to construct a pipeline between Baku and the Persian Gulf. In addition to these reasons, this article reveals that Witte attempted to use not the occasional calls of warships to the Persian Gulf, but regular commercial service to compete with British power over Southern Iran, even if the line sank deep into debt.

  • 牧野 久美子
    アフリカレポート
    2016年 54 巻 44-49
    発行日: 2016/03/30
    公開日: 2020/03/12
    ジャーナル フリー HTML
  • 佐藤 純
    社会経済史学
    2001年 67 巻 2 号 149-168
    発行日: 2001/07/25
    公開日: 2017/06/16
    ジャーナル オープンアクセス
    The purpose of this paper is to reassess the role of the Bank of England in creating central banks during the 1930s. The Bank of England dispatched advisors who were familiar with central banking such as Sir Otto Niemeyer and Frederick Leith-Ross not only to members of the 'formal empire' such as India and the Dominions, but also to members of the 'informal empire', including China, Egypt, and countries in Latin America. The mission of these advisors was to encourage governments to create central banks. With regard to the 'informal empire', this action by the Bank of England has been seen as a manifestation of economic imperialism prompted by the interests of the City. In this paper we will examine the creation of the Central Bank of the Argentine Republic in 1935. While most studies up to now have focused only the intentions of the Bank of England, we will concentrate on the internal interests of the Argentine Republic. This new point of view will provide a fresh interpretation of the movement to create central banks.
  • 井関 竜也
    比較政治研究
    2023年 9 巻 1-29
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/09/05
    ジャーナル フリー

    近年、政治過程において、選挙を通じて選出されていない非党派的な専門家(テクノクラート)の果たす役割が拡大している。専門家の関与は専門知に基づき複雑な政策課題に対処することを可能にすることが期待されている。一方、選挙によって解任することのできない専門家による政策決定は、政府の有権者に対する選挙を通じたアカウンタビリティを棄損するとの懸念も示されている。そこで本研究は、ヨーロッパ21か国の選挙結果を対象に、テクノクラートである

    財務大臣
    が経済投票に与える影響を分析することを通じて、このような懸念が経験的に支持されるのかを検証する。分析の結果、通常の
    財務大臣
    のもとでは失業率の悪化が与党の得票減少につながる一方、テクノクラート
    財務大臣
    のもとでは失業率と選挙結果との関係が観察されないことが分かった。このことは、専門家の任用によって選挙を通じた責任追及が行われなくなり、アカウンタビリティが機能しない可能性があることを示唆している。

  • ―何が経営危機を生んだのか―
    藤井 晴夫
    生協総研レポート
    2016年 81 巻 16-30
    発行日: 2016年
    公開日: 2023/04/05
    ジャーナル フリー
  • 森 一葉
    財政研究
    2021年 17 巻 184-212
    発行日: 2021年
    公開日: 2022/10/22
    ジャーナル フリー

     

    イギリス
    は所得税導入後,夫婦合算課税を採用していたが,1990年に夫婦合算課税から個人単位課税に完全移行した。個人単位課税に完全移行したにもかかわらず,夫婦に対する配慮として夫婦間で移転可能な所得控除方式の夫婦控除が採用された。そこから,現在に至るまでに,所得控除方式の夫婦控除の実質税額控除化,夫婦間で移転可能な実質税額控除方式の夫婦控除の廃止,そして移転可能な基礎控除方式である結婚控除の採用と,夫婦に対する配慮としてさまざまな所得税改革が行われてきた。これらの,個人単位課税完全移行後の
    イギリス
    の所得税制改革における夫婦の取り扱いの全体像を評価し,それぞれの課題を検討する。

  • 佐藤 純
    八戸工業高等専門学校紀要
    2010年 45 巻 103-105
    発行日: 2010/12/21
    公開日: 2018/11/02
    研究報告書・技術報告書 フリー
  • London: Blackwell Publishing, 2008, xi+274pp.
    佐藤 純
    アジア経済
    2010年 51 巻 3 号 49-52
    発行日: 2010/03/15
    公開日: 2022/10/17
    ジャーナル フリー
  • 宮本 善仁
    会計検査研究
    2017年 56 巻 67-96
    発行日: 2017/09/15
    公開日: 2022/03/25
    ジャーナル フリー

     欧米諸国では,経済の低迷や人口の高齢化等による社会保障費支出の増加等により,構造的に支出が収入を上回っている傾向にあり,厳しい財政運営を強いられている。このような財政状況の下,各国においては財政再建を進めたり,財政の健全性を維持したりするためには,一定の拘束力のある中期財政計画や支出の総額上限等を定めた財政ルールに則った財政運営が必要であるとされている。そして,中期財政計画を策定するために中長期の財政の見通しを試算したり,政府が財政ルールを遵守しているかなど,政府の財政健全化の取組や予算作成の全体を分析評価したりする独立財政機関が注目されている。他方で,財政監督機関として伝統的な会計検査院が存在している。

     本稿では,アメリカ,

    イギリス
    ,ドイツ,フランス及びフィンランドを取り上げ,各国の独立財政機関の制度,組織及び活動状況について概観し,伝統的な財政監督機関として存在している各国の会計検査院は,どのように財政の健全化のための取組を行っているのかについて考察するとともに,独立財政機関と会計検査院の役割の相違,役割分担等について検討を行った。

     独立財政機関と会計検査院の役割分担について考えてみると,一般的に,独立財政機関には,財政計画や予算の策定に使用するマクロ経済の推計を行ったり,財政健全化目標の達成状況を評価したり,個々の政策の財政への影響を具体的に分析評価したり,財政の持続可能性など将来の事象についての分析評価が期待される。一方,伝統的な会計検査院の役割は,主に予算執行の結果である決算の正確性,妥当性など過去の事象についての分析評価や検証を行うことであり,予算の執行について事後的に分析評価や検証を行っていく過程で決算数値を基に,様々な比較検証を行うことにより財政の持続可能性の検証など将来の事象についての分析評価を行っている。

  • ―消費者保護の観点から
    松本 恒雄
    学術の動向
    2017年 22 巻 6 号 6_70-6_75
    発行日: 2017/06/01
    公開日: 2017/10/06
    ジャーナル フリー
  • 今井 貴子
    年報政治学
    2013年 64 巻 2 号 2_135-2_161
    発行日: 2013年
    公開日: 2017/02/01
    ジャーナル フリー
    Conventional wisdom in comparative political economy literature has shown that such crises of capitalism as those in the 1930s or in the 1970s typically marked critical junctures followed by the emergence of new redistributive coalitions, institutional changes, and policy innovation. However, it seems, the very opposite has been witnessed in Britain since the Great Recession which began in late 2007. Colin Crouch has even named the circumstances as the strange non-death of neo-liberalism. It is true that under the coalition government which has been in power since May 2010, along with the unprecedented austerity budgets, radical workfare reforms have been implemented, which is generally considered to symbolise the thoroughness of neo-liberalism in British Politics. Are there any alternatives but this to deal with the crisis? By comparing the developments of the core policies of the previous Labour government and the coalition government before and after the crisis, this paper intends to show that the path to the current ‘non-death’ of neo-liberalism has never been linear and it is, at least in the context of Britain today, the political choice of the then government that defined the path.
  • 星野 郁
    国際経済
    2021年 72 巻 41-67
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/11/19
    [早期公開] 公開日: 2021/09/07
    ジャーナル フリー

    EUは,グローバル金融危機やユーロ危機に続いて,今回新型コロナ危機にも遭遇し,未曾有の打撃を受けている。2020年7月開催のEUサミットでは,新型コロナ危機を受けて7500億ユーロ相当の復興基金の創設とユーロ共同債の発行が決定された。その背景には,ドイツの譲歩と方針転換があり,新型コロナ危機を契機に,長らく待望されていた財政統合の進展につながる可能性も秘めている。また,米中の対立が厳しくなる中,EUにはグローバルな舞台でより積極的な役割が求められている。

  • 田中 弘美
    社会福祉学
    2017年 58 巻 1 号 13-25
    発行日: 2017/05/31
    公開日: 2017/09/22
    ジャーナル フリー

    本研究は,

    イギリス
    ECECシステムの特徴である「サービスの財源・供給における複合構制(mixed economy)」と「幼児教育と保育の分離」の2点を「漸進的変化」の理論的枠組みを用いて捉え直し,それぞれの変化の性格とその背景にある要因を明らかにすることを目的とする.

    上の2点について先行研究では,保守党政権からの政策の「連続性」が強調される傾向にある.しかし,

    イギリス
    で実際にECEC政策の形成過程に関わった13名を対象に行ったキー・インフォーマント・インタビュー調査の結果,「複合構制」については制度の「横滑り(drift)」,「幼児教育と保育の分離」については制度の「堆積(layering)」という漸進的変化の一形態であることが実証された.さらにこうした変化が生じた背景として,それぞれ「政策と市場をとりまく変化」と「主要大臣間の政策アジェンダの衝突」という要因が明らかになった.

  • 森 良次
    法制史研究
    2015年 64 巻 441-445
    発行日: 2015/03/30
    公開日: 2021/03/20
    ジャーナル フリー
  • 左近 幸村
    ロシア史研究
    2016年 97 巻 3-26
    発行日: 2016/04/20
    公開日: 2021/08/08
    ジャーナル フリー
    В данной статье, посвященной начальному периоду становления Добровольного флота, автор анализирует концепцию «патриотизма» и рассматривает расхождения мнений министров по вопросам военных дел и экономики. Русско-турецкая война 1878–1879 годов завершилась подписанием Сан-Стефанского мирного договора, условия которого были пересмотрены из-за вмешательства Великобритании. Поэтому в 1878 году в российском обществе возник план создания нового флота и были собраны пожертвования на сумму до 4 млн. рублей. В следующем году было учреждено частное «патриотическое» Общество с целью заведования судами Добровольного флота. Основная идея этого Общества, состоявшего в ведении Министерства финансов, заключалась в содействии военным целям во время войны и развитию торгового мореплавания в мирное время. Добровольный флот сыграл важную роль в перевозке солдат, ссыльных и крестьян из Одессы на Дальний Восток России и доставке чая из Китая. В 1882 году из-за недостатка средств председатель Общества К.П. Победоносцев ходатайствовал перед правительством о предоставлении Обществу субсидии. Однако управляющий Морским министерством предложил ликвидировать Общество и передать Добровольный флот в ведение Морского министерства. Со своей стороны, министр финансов не согласился с этим предложением. В конце концов, в 1886 году было утверждено Временное положение, согласно которому Добровольный флот перешел в ведение управляющего Морским министерством, но при этом Министерство финансов сохранило свое влияние на управление Добровольным флотом.
  • ―アイルランドの事例から
    井元 拓斗
    比較政治研究
    2021年 7 巻 83-105
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/10/28
    ジャーナル フリー

    連立政権に参加する政党は、連立パートナーをどのようにして統制するのだろうか。近年の研究では、委員会制や副大臣などの手段を用いることで、連立相手の大臣に対する監視が行われていることが指摘されてきた。本研究はアイルランドを対象とし、書面での議会質問という手段が連立相手への監視に用いられているという仮説を検証する。2011~2016年のフィネ・ゲール/労働党政権を対象とした計量分析の結果、連立相手の大臣に対しては議会質問の提出件数が増加していることが明らかになった。また、

    財務大臣
    への質問を対象とした量的テキスト分析からは、連立相手の大臣に対しては選挙区へのアピールを目的とした質問ではなく、対立争点について情報を引き出す内容の質問が多く提出されていることが分かった。以上の結果は、議会質問という監視手段によって、大臣が連立内の合意から逸脱することを防ぎ、連立政権での協調的な政策形成が可能となっていることを示唆する。

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