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クエリ検索: "赤鼻のセンセイ"
7件中 1-7の結果を表示しています
  • Palliative Care Research
    2022年 17 巻 Supplement_Kanto-Koshinetsu 号 S693-S694
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/11/21
    ジャーナル フリー
  • −表現のちからを信じて−
    副島 賢和
    日本重症心身障害学会誌
    2017年 42 巻 2 号 129
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    ○さいかち学級(品川区立清水台小学校病弱身体虚弱児教育特別支援学級)について  昭和大学病院(東京都品川区籏の台一丁目)の入院棟17階にある特別支援学級です。昭和大学病院に入院している児童の中で、本人・保護者が希望し、医師が許可した病弱・虚弱の子どもたちが通っています。長期入院で入級している子どもで、教室に来ることができない場合は、毎日(教室の子どもの状況により、時間を検討する)ベッドサイド授業を行っています。さいかち学級の役割は『子どもたちの発達を保障すること』です。病棟スタッフの方達とチームとして活動しています。 ○不快な感情の扱い  子どもたちは、治療や自分の身体のこと、将来や学校のこと、友だちや家族のことなど、さまざまな不安を抱えて学級に通級してきます。かかわりが深まっていくと、自分の中にある不安をいろいろな形で表現するようになります。  大きな不安を抱えている子どもほど、自分の不安や恐れ、怒りなどの感情を表出することに抵抗を感じ、むしろそのような感情を「ないもの」として過ごそうとしている様子が見受けられます。また、心的なものが身体症状となって現れる、いわゆる心身症系の子どもたちが増えているという現実もあります。  これらの子どもたちに共通して見られることの一つに、「感情の不適切な扱い」があると考えています。感情の不適切な扱いは、さまざまな不適応行動につながっていきます。  病気療養児でなくとも、「感情(特に不快な感情)」の扱いは大切です。「子どもたちは自分の中にこの『不快な感情』が湧き上がると、自分自身にとって大きな危機となってしまうため、『防衛』をおこないます。そして、自分の中で起こっている痛みやつらさや不安や恐れなどを感じないようにして、生活をしている。(大河原 2004)」のです。  子どもたちが感情を表出し、表現することを通して、自分の中にどのような感情があり、その感情をどのように扱っていけばよいかということを考えたいと思います。 ◯感情表出の理解(小林 2009) 怒り:他者や周囲に変わってほしいという「願い」 悲しみ:苦境を分かち合ってほしい、助けてほしいという「訴え」 喜び:誰かと分かち合うことで加速される 恐怖や不安:問題があり、それを解消しなければならないという強い願い ◯教師の大切な4つのかかわり (小林 2009) 本人の好きなこと、得意なことを探りその面で付き合うようにする。 活躍の場を与える。 本人が安心していられる場所を作る。 不安や緊張や怒りや嫌悪などの不快な感情を言葉で表現できるようにする。 略歴 副島 賢和(そえじま まさかず) 昭和大学大学院保健医療学研究科 准教授 東京都公立小学校教諭として25年間勤務。内8年間品川区立清水台小学校「昭和大学病院内さいかち学級」担任。2014年4月より現職「昭和大学病院内さいかち学級」を担当。 学校心理士スパーバイザー。 小林正幸氏(東京学芸大学大学院教授)らと共に、「チーム仕事師」のメンバーとして「みどりの東北元気キャンプ」を行う。 大阪Tsurumiこどもホスピスアドバイザー。教育ボランティアの方々への研修等を行う。 ホスピタル・クラウンの活動もしており、「パッチ・アダムス」として有名なハンター・キャンベル・アダムス氏(米国)の活動に参加している。 著作に『あかはなそえじ先生のひとりじゃないよ』(教育ジャーナル選書/15年)『心が元気になる学校』(プレジデント社/16年)『学校でしかできない不登校支援と未然防止』(東洋館出版/09年)等。 ドラマ『
    赤鼻のセンセイ
    』(日本テレビ/09年)のモチーフとなる。11年には『プロフェッショナル仕事の流儀』(NHK総合)に出演。
  • −普段から大切にしておきたいつながりと備え−
    田中 総一郎
    日本重症心身障害学会誌
    2013年 38 巻 1 号 11-18
    発行日: 2013年
    公開日: 2022/05/26
    ジャーナル フリー
    Ⅰ.大津波から逃げ遅れた障害児者 東日本震災では、全国で死者・行方不明者あわせて18,574人の方が犠牲になった(2013年2月13日警察庁発表)。災害関連死の2,303人(2012年9月復興庁発表)を合わせると2万人を越える。一般に、巨大地震では早期から外傷と挫滅症候群が重症の多くを占めるとされ、1995年1月に起きた阪神淡路大震災でも外傷と挫滅症候群で44.5%に達した。しかし、今回の東日本大震災の死因は、溺死が90.5%に及んだ。その他は圧死4.5%、焼死1%であるが、それらの多くも津波が原因した。石巻市が所有する17台の救急車のうち12台は戻って来なかったというほど、津波は医療現場にも大きな被害をもたらした。 東北3県の31沿岸自治体を対象とした調査では、被害者数の割合が一般の0.8%に対して、障害者手帳所持者は1.5%と約2倍に上った(河北新報社、2012年9月24日付)。この数字は、障害児者を津波被害から守る方策が機能しなかったことを物語る。厚生労働省は、2005年に「災害時要援護者避難支援計画」を策定するように各市町村に求めた。要援護者とは、高齢者・障害者で災害が発生したときに、自力や家族の支援だけでは避難することができない方で、地域による支援を希望する方と定義されている。しかし、東北三県沿岸部の35市町村のうち、誰がどの要援護者を支援するかという個別計画まで立てていたのは、この震災当時は6市のみで、しかもほとんどは実際に役立たなかった。 石巻市に住む高校2年生のKくんも犠牲になった1人である。難治性のてんかんから寝たきりとなり、在宅人工呼吸器と酸素療法を受けながら支援学校へ通っていた。当時、彼は海岸から500mほどの自宅にいたが、押し寄せる津波が平屋建ての自宅を襲い、ベッド近くの高さまで浸水した。人工呼吸器、在宅酸素、吸引器は機能を失い、気管切開孔には泥水が侵入した。Kくんは体重42kg身長155cmの体格であり、人工呼吸器と酸素吸入器を一緒に持って避難するためには、本人を抱っこする2人と、医療機器を運ぶ1人の合わせて最低でもおとな3人の援助が必要になる。避難するときに助けが必要な障害のある方を、いつだれがどのように援助するのかを決めておく必要がある。これはご家族だけでできることではない。町内会の助けや行政の仕組みを作り上げることが求められる。 今回の大震災で私たちが痛感したのは、災害時の備えやマニュアルを福祉目線で見直さなければならないことである。そして、助かった人たちの声を聴くと、一番頼りになったのは支援する側もされる側も普段からつながっている人たちであった。障害児者が、普段から身近な存在として社会にあること、子どもたちを中心にして私たち支援者が普段からつながっていることが、大きな力を発揮する。 震災当日からの記憶をたどりながら、重症心身障害児(以下、重症児)がいかに生きぬいたか、災害時の重症児支援について各分野の課題を今後への提言としてまとめた。  Ⅱ. 最初の支援―安否確認とニーズの聞き取り1) 生命が助かった方も、生活が大変であった。命綱である人工呼吸器、在宅酸素、吸引器の電源の確保ができない、経管栄養剤や抗てんかん薬などの医薬品を流失したという医療面での大変さと、寒さと低体温、慣れない避難所や親戚宅での精神的ストレス、水や食料の配給に並べない生活面での大変さがあり、医療面と生活面の両方からの支援が必要であった。 3月11日の震災後、患者さんとの連絡が取れなくなり、被災地の重症児は無事でいるのか、どんなことで困っているのか情報がつかめなかった。3月14日、テレビやラジオを通して外来患者さんへ医薬品対応の情報などを流した。拓桃医療療育センターのある秋保地区は、3月16日にやっと電話がつながるようになった。内服薬や衛生材料が不足する心配があったので、外来受診の予約表を見ながら11日以降の予約の患者さんから順に電話をかけた。院外薬局での対応や物品の節約やリユースの方法を伝えたが、どうしても困っているご家庭には直接届けた。 在宅人工呼吸器と酸素療法の患者さんには医療機器業者がいち早く連絡を取り安否確認をしてくれた。在宅人工呼吸器の患者さんの多くは医療機関へ入院していた。 津波被害の大きかった沿岸部のご家庭には、固定電話ではなく携帯電話の情報が役立った。普段から外来担当看護師が一人ひとり丁寧に聞き取っていたことが効を奏した。今回の震災においては、固定電話よりは携帯電話、携帯メールやWebメール、さらにIP電話やSNS(ツイッター、FaceBook、ミクシーなど)などがよくつながったと聞く。お母さんたちの携帯メールによる連絡網も大きな役割を果たした。 沿岸部でも臨時の発電機が設置され携帯電話の基地局が復旧し始めた3月19日、石巻のIさんと連絡がとれた。Iさんは石巻市立湊中学校2年生で気管切開と胃瘻のある重症児だが、地域で暮らしたいという願いから地元の小中学校(普通学級に在籍)で学んできた。Iさん一家は母校でもある湊小学校の避難所に同じ町内会の方々と一緒にいた。「避難所には救援物資が届きはじめていますが、そのおむつは高齢者か赤ちゃん向けのものばかりで、障害児が良く使う中間のサイズ(体重15-35kg用) がありません。」おむつは「大は小を兼ねる」わけにはいかない。また、避難所では歯ブラシやおねしょパッドが必要と聞いた。歯ブラシなどの不足は、1000人以上も収容された避難所の衛生面が整っていなかったため、また、おねしょパッドのニーズは、避難所でせっかく用意されたきれいなお布団に、普段は失禁をしないお年寄りや子どもたちが慣れない避難所生活でおねしょをしてしまうからである。現場のニーズを直接伺えたおかげでわかった情報であった。 災害弱者である障害児たちのニーズは優先されることはなく、また、気付かれることもなく、私たちはこれらを拾い集めてきめ細かな支援をする必要を感じた。なぜ、重症児は災害弱者なのだろうか。その生活が知られていないから、ニーズが伝わらないから。それならば、普段ともにいる私たちが代弁していかなければならない。 Ⅲ.救援物資の要請 3月20日、医療系(蔵王セミナー:日本小児神経学会の有志による情報交換を目的とした会)と福祉系(医療的ケアネット:医療的ケアを推進する保健・医療・教育・福祉のメンバーによるネットワーク)のメーリングリストを通じて支援をお願いした。このメールに対する反応はすばやく、翌日1日だけでも40件もの援助申し入れのメールをいただいた。 物資を送ってくださったのは、医療では全国の療育センターや歯科医院、教育では特別支援学校の先生方やPTA会、企業では歯ブラシ製造販売企業など、福祉では各地域の福祉施設、たくさんのご家族で、合わせて77カ所であった。おむつは400袋以上、歯ブラシも3000本以上、おねしょパッド、タオル、下着、防寒服、マスク、食糧などを送っていただいた。医療機関や福祉施設の買い置きのおむつを分けていただいたところ、お子さんのおむつを分けてくださったご家族もいらっしゃった。阪神淡路大震災を経験された方は、おしり拭き、手袋、マスク、手指消毒用アルコールなどを送ってくださった。また、医療的ケアをされているご家族からは、経管栄養のイルリガートルや注射器、胃瘻の接続用コネクター、経腸栄養剤などの医療品を送っていただいた。メーリングリストでは、送るときの注意事項として「段ボール箱には内容、サイズと数量をマジックで明記する」など支援に役立つ情報を発信してくださる方もいた。いかに普段から障害のある子どもたちの生活を真剣に考えているかが伝わってきた。 たくさんの支援への感謝とともにその反応の早さと大きさに正直驚いた。皆さんがおっしゃるには、「テレビなどで震災被害の様子を見ながら何か援助したくてもその方法が分からなかった。」具体的な支援方法(いつ何をどこへどんなふうに)を発信するコーディネーター役が重要であると気付かされた。 Ⅳ.救援物資の流れ 全国から宮城県への物資の流れは次のようにした。はじめは仙台まで宅配便が届かない状況であったので、全国から医療機器会社東京本社あてに送っていただき、そこから緊急車両扱いで東北自動車道を通って仙台へ輸送した。仙台から各被災地へは、大学教員、医療機器会社スタッフ、そして、ご家族にもボランティアで運搬していただいた。 3月22日からは各宅配便の仙台営業所まで配達ができるようになり、メーリングリストに「仙台営業所止め」と郵送先の変更をお願いした。刻一刻と変化する状況を的確に支援者の方々へ伝えるには、インターネットの力がとても大きかった。 物資は3月24日から4月20日までの間に被災地に直接届けることができた。支援学校12校、沿岸部の市町村福祉課10カ所、避難所や福祉団体7カ所、患者さんのご自宅14カ所の合計43カ所である。4月下旬から、各市町村で「日常生活用具」としておむつの供給が始まり、物資の援助は一段落となった。 (以降はPDFを参照ください)
  • -表現のちからを信じて-
    大越 桂, 副島 賢和, 小沢 浩
    日本重症心身障害学会誌
    2018年 43 巻 1 号 3-8
    発行日: 2018年
    公開日: 2020/06/01
    ジャーナル フリー
    1.自己紹介 小沢 今日、司会を勤めさせていただきます、島田療育センターはちおうじの小沢と申します。まずは、演者のお二人から自己紹介をお願いいたしましょう。 大越 こんにちは。大越桂です。桂は気管切開をしていて声を出せないので、筆談で母の紀子がお伝えしますね。 こんにちは。桂です。双胎の第二子として生まれましたが、双子の姉は死産でした。819グラムの超未熟児だった私は、重度脳性まひと共に生き、28歳になりました。9~10歳ごろから気持ちが伝えられないストレスにより嘔吐が続きました。12歳のときは危篤状態になり、両親や周りの人々から「勝手に別れを言われ」ましたが、その怒りで峠を越えることができました。そのことを、後から言葉で伝えることができて溜飲を下げたのです。13歳で気管切開を受け声を失いました。通信手段がなくなり困惑しましたが、支援学校の訪問教育の先生から筆談を教わりました。初めて文字を書いたとき、体中の細胞が口から飛び出すかと思うほど歓喜しました。その後は、私の詩を切り絵、写真、絵画や音楽といった世界とコラボ活動して拡げています。いまは、「あしたのわたしはしあわせになる」と強い意志を持って生きていこうと思っています。 副島 皆さん、こんにちは。私は昭和大学病院の「さいかち学級」という院内学級に勤めています。2009年のテレビドラマ「
    赤鼻のセンセイ
    」で取り上げていただきました。院内学級ってご存知ですか。病院の中の学校で、病気やけがで入院している子どもたちと学習したり遊んだりします。でも、子どもたちに、「ねえねえ、病院にも学校があるんだよ」というと、「病気で入院しているのに、なんで勉強しなきゃならないの?」と言われます。 これは入退院を繰り返していた小学校5年生の子どもの詩です。 「道」 人生の道は人それぞれ だけどみんな すてきな道をもっている だから、 とまりたくない ときどきまようこともあるけど それでも、 負けずにすすみたい とまりたくない 自分の道を 進みたい 子どもたちの中には表現がうまくできなくても、豊かな内的世界を持つ子どもたちがたくさんいます。それをどうやって捉え伝えていけばよいか、今日は一緒に考えていきたいと思います。 2.お題1「ひま」 小沢 今日の市民公開講座は、「笑点」方式でいこうと思います。最初のお題は「ひま」です。 大越 「ひまの音楽」 大越 桂 久しぶりに入院したら あっという間によくなって あとは ひま ひま ひま ひま ひま ひま ひま ひまだなあ ひまだと音楽が流れ出す 息の音 うん 苦しくないな 痰の音 うん 調子がいいな 心臓の音 うん 今日も元気だな 私の音は いのちの音楽 ひまで元気の音楽は 息もぴったり動き出す (社会福祉法人つどいの家 田山真希さんの朗読、その後、紀子さんがメロディをつけて歌いだす) 私たちは毎日体調のよい悪いに向き合って生活しています。これは早めに入院したら2~3日でよくなって、あとはひまだなあと感じたときの詩です。私たちの時間は、楽しいときはあっという間に過ぎるけど、苦しい時間はとても長く遅々として進みません。でもその中にほんの少しでも楽しいことがあるとぐっとよくなるのですよね。 副島 これは小学校2年生の子が書いてくれた詩です。 「しあわせ」 すきなものが たべれるといい すきなあそびが できるといい おかあさんと ずっといられるといい ともだちが いっぱいできるといい いつもあさだといい そうだったらいい そうだったらいい この子たちが大嫌いなものは、ひまです。なぜかというと、考える時間がいっぱいあるからです。家族のこと、友達のこと、自分の身体のこと、自分の将来のこと、そんな心の痛みは味わいたくないです。せめて教室に来てくれたときは、患者であるあの子たちを子どもに戻そうと思って関わります。 3.お題2 「生きる」 大越 「積乱雲」 大越 桂 ぐんぐんそだつ ぐんぐんのびる 夏の雲 そんなふうに いきおいよく 生きてみたい 積乱雲は夏の雲です。病気のときは病室からみる雲の空気の流れひとつでさえ勢いがありすぎてついていけない、自信のなさに覆い隠されてしまいます。これを書いたのは毎日吐いてばかりで、窓の雲がぐんぐん大きくなるだけで、いまの自分の置かれた状況とすごく距離があるように思えて落ち込んでいたときの詩なんです。 でも、いまは台風を起こす系の積乱雲の体力をつけたおかげで、勢いを持って一歩先を生きていくことを考えています。私もそろそろ三十路ですが、20代をぐんぐん生きてこられたように、30代、40代、50代、60代とまだまだ行こうと思うので、紀子も100歳以上までがんばってくださいね。 副島 「生きる」 大越 桂 生きること、それは 怖いと思うこと 何かを思いつくこと 美しいものを見ること 心が温かくなること だれかと会って楽しいと思うこと みんなと気持ちを分け合えること どきどきワクワクできること そして 小さな命が生まれること この子は小さいときから手術を繰り返してきた小学6年生の女の子です。なかなかよくならなくて、お医者さんから、この続きは中学に入ってからしようねといわれました。その夜、「私、不良品だから」と彼女は看護師さんに言ったそうです。この言葉に私はどう答えたらよいか悩みました。谷川俊太郎さんの「生きる」という詩があったので、彼女にとって「生きる」ってどういうことか、たくさん書き出してもらいました。「怖いと思っていいんだよね」って一番最初に言ってくれました。そして、「だれかと会って気持ちを分け合えて、どきどきワクワクできたら、それが私の生きるってことです」と教えてくれました。 仕事をしていて「人生の問い」をもらうことがあります。教師としてちゃんと答えなきゃと思うけど、答えられないときが多くて。そんなとき、あるお母さんから、「いまいっぱいいっぱいだから、先生ちょっとあずかっといて、そうしないと私生きていけないかもしれないから」と言われたことがありました。預かるだけならできるかも、一緒に向き合って歩けるかもと思いました。 (以降はPDFを参照ください)
  •  
    日本小児血液・がん学会雑誌
    2015年 52 巻 4 号 am_i2-am_i42
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/11/21
    ジャーナル フリー
  • 日本小児外科学会雑誌
    2017年 53 巻 3 号 349-394
    発行日: 2017/05/10
    公開日: 2017/04/15
    ジャーナル フリー
  • 久田 満, 長瀬 修, 平田 俊明, 副島 賢和, 加賀美 常美代
    コミュニティ心理学研究
    2013年 16 巻 2 号 111-133
    発行日: 2013/03/29
    公開日: 2019/06/21
    ジャーナル フリー
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