近年、
近代化
遺産はその文化財的価値とともに、観光などの資源としての評価も高まってきた。
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遺産
1)とは、幕末から昭和初期にかけてのわが国の
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過程において西洋の技術や様式を取り入れてつくられた学校、庁舎、教会、住宅、店舗、銀行、工場、ダム・発電所、橋梁、鉄道・港湾施設などの建築・土木建造物である。その多くは現役で使用される一方で、老朽化や再開発などを理由として撤去の危機にさらされている
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遺産も多い。
別府市は、国内有数の温泉観光都市として知られるが、その都市としての骨格形成は、日本の
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と深く関連している。明治末期の関西・四国との海上航路開設や日豊本線の開通などを契機に、資本主義経済の進展により生じた余剰資金が様々な形で投下されることで、別府は観光産業を基盤として急速な発展を遂げた。その過程で商業建築や別荘など、多様かつ多数の西洋建築が建設されることとなった。加えて太平洋戦争の戦災をまぬがれたことから、比較的数多くの
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遺産が残存することとなった。しかし近年では、市民からよく知られていた洋館が相次いで解体されるなど、
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遺産の消失が進んでいる。
そのような状況のなか、別府市において
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遺産は、文化財保護の観点のみならず、とくに観光振興やまちづくりの資源として注目度が高まっている。そこで、本研究ではそれらの活動に資することを視野にいれた基礎的な情報基盤の整備を目的として、別府市に現存する
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遺産の調査とGISを使用したデータベース化を行った。なお、この調査・研究は、立命館アジア太平洋大学(以下APUと表記)においては文科省の平成19年度現代GP(地元型)として採択を受けた「別府・泉都観光ルネサンス・プログラム」
2)のカリキュラムに位置づけ、NPO法人の別府八湯トラストとの共同により進めている。
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遺産の現地調査は、(1)出版物等を通じて既知の建物等のうち文化財指定・登録された物件や大分県
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遺産総合調査
3)で報告された物件を除く62件の現存確認、(2)過去に文献等で紹介されていない物件の探索、の二点に重点をおき、竣工年や構造などの情報取得は当該建物の所有者・利用者への聞き取りによることを基本とした。調査地区は、APUが古くから市街地化が進んで
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遺産の分布密度が高い別府駅前地区と浜脇地区(右図)を担当し、それ以外の地区を別府八湯トラストが担当した。なお、調査に参加した学生の大半は調査活動の未経験者であったため、
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遺産(とくに近代建築)の外観的特徴および、聞き取り調査の進め方について事前の講習を行った。
2007年末時点での調査結果をまとめると、前述の調査内容(1)の62件のうち8件の消失が確認でき、また調査内容(2)に関してはAPUの担当地区において約50件の
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遺産を発見できた。これらの
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遺産調査の結果は、情報の維持・更新・共有における便宜や、将来のWebGIS等による公開を考慮して、GISを使用してデータベース化を図っている。
また、今後の課題として、調査内容(2)の結果に関して精度の検証、代表的な
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遺産の選定と公表(『別府
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遺産50選(仮題)』の出版計画)、GIS上での
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遺産以外の文化財や温泉施設などのデータとのオーバーレイなど、情報基盤の充実化の方策と、情報公開の方法について検討している。
<注>
1) 「
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遺産」という言葉は、1990年に文化庁が全国で調査を始めた際に生まれたもので、「近代的手法によって造られた建造物で、産業・交通・土木に関わるもの」と定義づけられているが、多くの調査・研究報告や出版物では、商業建築や住宅などの従来は「近代建築」の枠組みで捉えられてきた建築も含めて扱っている。
2) 正式な取組名称は「学生力を活用した地域への還元教育システム-地域と学生が一緒に創る、別府・泉都観光ルネサンス・プログラム-」である。この
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遺産調査に参加した学生は学部2年次および3年次(TA含む)の47名である。
3) 大分県教育委員会により1992年から実施され、一次調査結果として20件、最終(三次)調査結果として9件の
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遺産が報告書に収録された。
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