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クエリ検索: "近代化"
49,489件中 1-20の結果を表示しています
  • 島崎 昭
    環境技術
    1994年 23 巻 5 号 293-294
    発行日: 1994/05/30
    公開日: 2010/03/18
    ジャーナル フリー
  • 小林 輝一郎
    日本経営診断学会年報
    1970年 2 巻 56-70
    発行日: 1970/11/01
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
  • 褚 宏啓, 一見 真理子, 日暮 トモ子
    日本の教育史学
    2011年 54 巻 135-142
    発行日: 2011/10/01
    公開日: 2017/06/01
    ジャーナル フリー
    教育の
    近代化
    とは、教育形態の変遷に伴う近代性の不断の進展の歴史過程を指す。教育の近代性も社会発展につれて変化が生じている。というのも、ある種の近代性は不断に発展し深化しているし、新たなタイプの近代性、例えば教育の生涯化・国際化・情報化等が生じているからである。教育の伝統と近代性は必ずしも相対立はしないが、両者は相互に影響しあっている。教育
    近代化
    の先行者と後発者は同様ではない。教育の後発効果にはプラス面もマイナス面もあるが、前者を強め後者を弱めることに注意しなければならない。人間の発達と国家の発展は、教育
    近代化
    の2つの基本的な価値基準であり、教育の
    近代化
    は、人間の全面発達・人間の
    近代化
    ・経済の
    近代化
    ・政治の
    近代化
    などに貢献すべきである。世界の教育
    近代化
    過程においては中国・日本と韓国のいずれもが後発者に属している。ただし日本は「後発者の中の先行者」に属し、最前線を歩んだ。中国と韓国の
    近代化
    のプロセスは挫折に満ちていたが、現在はともに新たな順調な発展期に入っている。
  • 川口 清一
    紙パ技協誌
    1968年 22 巻 7 号 363-368
    発行日: 1968/07/01
    公開日: 2009/11/10
    ジャーナル フリー
  • 「下からの近代化」から「上からの近代化」へ
    北村 実
    日本の科学者
    2018年 53 巻 12 号 04-09
    発行日: 2018年
    公開日: 2023/12/28
    ジャーナル フリー
  • 綾目 広治
    日本文学
    2018年 67 巻 11 号 2-11
    発行日: 2018/11/10
    公開日: 2023/12/08
    ジャーナル フリー

    これまで〈

    近代化
    〉をめぐる言説では、西欧における〈
    近代化
    〉を理念型にして、日本の〈
    近代化
    〉の遅れや不徹底を批判的に見ようとする論が語られてきた。日本社会に関しては中途半端な近代社会だとされ、日本人の自我も独立自存の自我ではないとされてきた。しかし、どんな近代社会でも遅れた形態を内に含んでいること、また独立自存の自我というのもあり得ないことを指摘し、改めて〈
    近代化
    〉の問題を再考するべきだと論じた。

  • 昭和43年度実施計画を通じてみた第2次近代化への途
    河崎 隆明
    日本釀造協會雜誌
    1968年 63 巻 10 号 1015-1019
    発行日: 1968/10/15
    公開日: 2011/11/04
    ジャーナル フリー
    昭和43年度
    近代化
    実施計画が立てられ,
    近代化
    基本計画の目標年度を迎えるに至つた。そこで,
    近代化
    実施計画の要点を解説していただくとともに, 構造改善促進計画の内容についても触れていただいた。
  • 唐木 國彦
    日本体育学会大会号
    1985年 36 巻
    発行日: 1985/08/20
    公開日: 2017/08/25
    会議録・要旨集 フリー
  • 天野 郡寿
    日本体育学会大会号
    1982年 33 巻 15-1036-0571
    発行日: 1982/10/15
    公開日: 2017/08/25
    会議録・要旨集 フリー
  • 石崎 正和
    土木史研究
    1991年 11 巻 205-210
    発行日: 1991/06/05
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    わが国の科学技術は、明治期に入って急速に
    近代化
    を遂げたといわれる。その過程で重要な役割を果たしたのが、お雇い外国人技術者や欧米留学生であったが、一方では近世以来の技術者たちが高度に発達したわが国の伝統的な在来技術を駆使して各種の土木事業に活躍した。これまで
    近代化
    の担い手としてのお雇い外国人技術者に着目した研究は多いが、事業の実務面における在来技術者の役割及び在来技術の独自な発展に関する研究は少ない。そこで本稿では、急速な
    近代化
    が図られたといわれる明治期の水利事業に着目して、在来技術者による在来技術の継承とその技術的な発展について考察した。
    明治期は、西欧近代技術の導入が図られる一方で、わが国の伝統的な在来技術が独自な発展を見せた。それは
    近代化
    という時代的刺激を受けつつ、在来技術の旺盛な技術革新が図られたことを示している。特に安積疏水のような国営事業以外では、在来技術を基礎とした生産者的な水利事業が中心であった。それらは近代西欧技術の恩恵に浴することなく、在来技術の近代的な発展を背景として事業が進められた。明治期の
    近代化
    においては、西欧科学技術の導入のみならず、在来技術の発展をもたらしたことが注目される。
  • 石崎 正和
    土木史研究
    1990年 10 巻 185-189
    発行日: 1990/06/25
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    わが国の河川技術は、明治政府による西欧近代技術の積極的な導入を経て、在来技術と融合しつつ発展を遂げてきたといわれる。しかし、河川技術の
    近代化
    、とりわけ在来技術と西欧近代技術との関係、その後の河川技術の変化に関する研究は必ずしも十分とはいえない。わが国の現代河川技術の出発点が、明治の
    近代化
    にあるとするならば、河川技術の
    近代化
    の過程に関する研究が重要となる。
    本稿では、河川技術の
    近代化
    における西欧近代技術の果した役割とその後の河川技術の変容を明らかにするための基礎的な研究として、明治以降の技術移転に焦点を当てて、若干の考察を試みた。まず、オランダ人技師団の招聘の経緯とその背景については、これまで知られているA.F.ボードウァンのみならず、その弟のオランダ貿易会社駐日代理人であったA.J.ボードウァンも深く関与していたのではないかという点について言及した。次に招聘されたオランダ人技師に対するわが国の対応について、エッセル書翰と米欧回覧実記を中心として考察し、岩倉使節団帰国以降に対応の変化が見られることを指摘した。
  • 分析結果に基づく経営指標の実証的検証
    宮下 元秀
    日本経営診断学会年報
    1977年 9 巻 123-131
    発行日: 1977/11/10
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
  • 内藤 繁男, 寺沢 秀和, 村井 信仁
    土と微生物
    2000年 54 巻 2 号 166-
    発行日: 2000/10/01
    公開日: 2017/05/31
    ジャーナル フリー
  • *森嶋 俊行
    日本地理学会発表要旨集
    2014年 2014s 巻 523
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     本発表においては文化庁の
    近代化
    遺産総合調査を研究対象とし、
    近代化
    遺産とみなされる建造物群が全国的にどのような建造物から構成されているか明らかにしたい。そのために、これまでに行われてきた
    近代化
    遺産総合調査のうち、全数調査結果の入手が可能な都道府県の調査内容を対象とし、これらの
    近代化
    遺産がどのような産業、保存形態、活用形態、所有管理者属性を持っているかを数え上げ集計し、全国的な分布と類型を明らかにしたい。
    2.
    近代化
    遺産総合調査の概要
     
    近代化
    遺産総合調査は各都道府県の教育委員会を実施主体としつつ、総事業費の半分が文化庁より支出される補助事業である。事業は1990年に始まり、年度ごとに2~3都道府県で2~3年かけて行われ、2013年度までに43道府県で報告書が発行されている。 多くの都道府県においては、
    近代化
    遺産は形態と産業で分類されている。具体的な分類内容は道府県間で共通する部分と異なる部分があり、実際の分類方を見ると、先行して調査が行われた道府県を後発の道府県が参考にしつつ、地域の歴史的な産業の状況を加味し、独自の分類方法により調査を行ったことが推察される。そこで、本発表においては、分類方法を発表者の手により統一的に整理した上で、全国的な分布傾向、地域的な偏在の傾向を明らかにし、分布の仕方を決定づける要素を分析していきたい。
    3.
    近代化
    遺産の分布
     
    近代化
    遺産がその他の文化財に比べ分布において特徴的な点は、近代日本の地域的な産業構造の変化が分布に影響しているという点である。しかし、それは単に昔その産業が盛んであった地域に多くの関連
    近代化
    遺産が残るというだけの関係ではない。一つの地域で長期間にわたって一つの産業が継続発展した場合、連続的に同じ場所で設備投資がなされ、その過程で、残っていれば
    近代化
    遺産となるであろう建造物は取り壊されてしまうので、多くの
    近代化
    遺産が残る地域は、産業の発展過程において立地条件が大きく変わったり、基盤産業自体が大きく変わったりした地域であるということとなる。
     例として、図に、北関東における第二次産業に関連する
    近代化
    遺産について、広域市町村圏別の立地分布を示した。図を見ると、常磐や足尾の鉱業、そして両毛や信州の繊維業といった、もともと偏在して立地する産業に関連する
    近代化
    遺産は、やはり偏在して立地していることが読み取れる一方で、これらの産業が盛んであったにも関わらずあまり
    近代化
    遺産が残存していない地域もいくつかあることもわかる。対照的に醸造業は、歴史的に各地域にそれぞれある程度の産業基盤が成立していた産業であり、これに関連する
    近代化
    遺産もまた各地域にまんべんなく分布しているように見える。本発表においては、全国的な
    近代化
    産業遺産の分布傾向と日本産業の地域的な構造の変化について、さらなる考察を試みたい。

    図 北関東における第二次産業関連
    近代化
    遺産の分布
  • 清水 壹良
    日本釀造協會雜誌
    1971年 66 巻 4 号 295-298
    発行日: 1971/04/15
    公開日: 2011/11/04
    ジャーナル フリー
    三重県四日市地方は全国でもいち早く工業化の波風が立ち騒いだ所である。昭和40年味噌しょう油業が中小企業
    近代化
    促進指定業種となった時点で, すでに出資合同による
    近代化
    工場の新設を計画し, 実行に移した先進の地方でもある。その成果は, いま業界注目の的となっているが,
    近代化
    推進の立役者である著者に, 計画の全貌ならびに経過を述べていただいた。読者はここにしょう油を兼業とした味噌業の事例として
    近代化
    の具体像を見るばかりでなく, 同時に中小企業の
    近代化
    そのものとこれに関する行政とを鋭く追及してきた著者の熱情に共感されることと思う。
  • 高田 小三郎
    日本釀造協會雜誌
    1968年 63 巻 1 号 15-19
    発行日: 1968/01/15
    公開日: 2011/11/04
    ジャーナル フリー
    経営者であり技術者でもある筆者が, 自己の信念と綿密な科学的分析により
    近代化
    計画を断行し, 昭和42年度醸友会技術賞を得ら九た。ここにその
    近代化
    推進の経緯を7ランクに披露していただいた。経営規模, 内容に応じて種々条件の差はあろうが, 筆者の説く如く精神面の
    近代化
    をまずなしとげ,
    近代化
    合理化の道への一つの指標として熟読したいものである。後半のかなり厳しい提案も読者諸氏の真剣に考えるべき問題ではなかろうか。
  • 村瀬 佐太美
    近畿の産業遺産
    2012年 6 巻 9-16
    発行日: 2012/05/15
    公開日: 2023/05/31
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス
    日本海から瀬戸内海,畿内から山陽地方を結ぶ交通の要に当たる兵庫県には数々の歴史的橋梁が残されている.大半は管理保存状態も良い.本報では当地の
    近代化
    を担ってきている橋梁について紹介する. 兵庫県は1995年(平成7)1月17日兵庫県南部地震で大規模罹災し,その復興に傾注してきたために
    近代化
    遺産調査が遅くなった経緯がある.2005(平成17)年度までに実施された調査では新たな発見・発掘が行われた物件も数多い.本報ではこれらを基に最新情報を加味し,県域の
    近代化
    を支え,当地の歴史を携えてきた橋梁を紹介する.  ここに,
    近代化
    遺産とは,概ね幕末期から第二次世界大戦終了時までの間に,本邦の
    近代化
    を支えた,近代的手法を用いて建造された産業・交通・土木等に関わる土木構造物・建築物をいう.遺産とはいえ,現在もその機能を果たしていること,訪れた人々が直接触れられるのが最大の特徴であり,いわゆる文化財とは観点を違えている.
  • *松岡 恵悟, 轟 博志, 古川 正巳
    日本地理学会発表要旨集
    2008年 2008s 巻 P227
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
    会議録・要旨集 フリー

     近年、
    近代化
    遺産はその文化財的価値とともに、観光などの資源としての評価も高まってきた。
    近代化
    遺産1)とは、幕末から昭和初期にかけてのわが国の
    近代化
    過程において西洋の技術や様式を取り入れてつくられた学校、庁舎、教会、住宅、店舗、銀行、工場、ダム・発電所、橋梁、鉄道・港湾施設などの建築・土木建造物である。その多くは現役で使用される一方で、老朽化や再開発などを理由として撤去の危機にさらされている
    近代化
    遺産も多い。
     別府市は、国内有数の温泉観光都市として知られるが、その都市としての骨格形成は、日本の
    近代化
    と深く関連している。明治末期の関西・四国との海上航路開設や日豊本線の開通などを契機に、資本主義経済の進展により生じた余剰資金が様々な形で投下されることで、別府は観光産業を基盤として急速な発展を遂げた。その過程で商業建築や別荘など、多様かつ多数の西洋建築が建設されることとなった。加えて太平洋戦争の戦災をまぬがれたことから、比較的数多くの
    近代化
    遺産が残存することとなった。しかし近年では、市民からよく知られていた洋館が相次いで解体されるなど、
    近代化
    遺産の消失が進んでいる。
     そのような状況のなか、別府市において
    近代化
    遺産は、文化財保護の観点のみならず、とくに観光振興やまちづくりの資源として注目度が高まっている。そこで、本研究ではそれらの活動に資することを視野にいれた基礎的な情報基盤の整備を目的として、別府市に現存する
    近代化
    遺産の調査とGISを使用したデータベース化を行った。なお、この調査・研究は、立命館アジア太平洋大学(以下APUと表記)においては文科省の平成19年度現代GP(地元型)として採択を受けた「別府・泉都観光ルネサンス・プログラム」2)のカリキュラムに位置づけ、NPO法人の別府八湯トラストとの共同により進めている。
     
    近代化
    遺産の現地調査は、(1)出版物等を通じて既知の建物等のうち文化財指定・登録された物件や大分県
    近代化
    遺産総合調査3)で報告された物件を除く62件の現存確認、(2)過去に文献等で紹介されていない物件の探索、の二点に重点をおき、竣工年や構造などの情報取得は当該建物の所有者・利用者への聞き取りによることを基本とした。調査地区は、APUが古くから市街地化が進んで
    近代化
    遺産の分布密度が高い別府駅前地区と浜脇地区(右図)を担当し、それ以外の地区を別府八湯トラストが担当した。なお、調査に参加した学生の大半は調査活動の未経験者であったため、
    近代化
    遺産(とくに近代建築)の外観的特徴および、聞き取り調査の進め方について事前の講習を行った。
     2007年末時点での調査結果をまとめると、前述の調査内容(1)の62件のうち8件の消失が確認でき、また調査内容(2)に関してはAPUの担当地区において約50件の
    近代化
    遺産を発見できた。これらの
    近代化
    遺産調査の結果は、情報の維持・更新・共有における便宜や、将来のWebGIS等による公開を考慮して、GISを使用してデータベース化を図っている。
     また、今後の課題として、調査内容(2)の結果に関して精度の検証、代表的な
    近代化
    遺産の選定と公表(『別府
    近代化
    遺産50選(仮題)』の出版計画)、GIS上での
    近代化
    遺産以外の文化財や温泉施設などのデータとのオーバーレイなど、情報基盤の充実化の方策と、情報公開の方法について検討している。

    <注>
    1) 「
    近代化
    遺産」という言葉は、1990年に文化庁が全国で調査を始めた際に生まれたもので、「近代的手法によって造られた建造物で、産業・交通・土木に関わるもの」と定義づけられているが、多くの調査・研究報告や出版物では、商業建築や住宅などの従来は「近代建築」の枠組みで捉えられてきた建築も含めて扱っている。
    2) 正式な取組名称は「学生力を活用した地域への還元教育システム-地域と学生が一緒に創る、別府・泉都観光ルネサンス・プログラム-」である。この
    近代化
    遺産調査に参加した学生は学部2年次および3年次(TA含む)の47名である。
    3) 大分県教育委員会により1992年から実施され、一次調査結果として20件、最終(三次)調査結果として9件の
    近代化
    遺産が報告書に収録された。
  • 日暮 トモ子
    近代教育フォーラム
    2014年 23 巻 89-102
    発行日: 2014/10/11
    公開日: 2017/08/10
    ジャーナル フリー
    教育
    近代化
    の構造的特質を検討するさい、欧米に後れて教育
    近代化
    を成し遂げた東アジアの状況が参考になる。それは、「野蛮」や「非文明」とみなされたアジア(東洋)による、近代知の支配に対する対応のあり方を問うことにつながるためである。東アジアの教育
    近代化
    は、近代諸科学を始めとする近代知の受容の過程であった。だが同時にそれは、当該地域に内発的に発生した伝統文化を近代的な世界観、知識体系へと取り込む作用もあった。こうした特質を持つ教育
    近代化
    にあって、中国の場合、近代知の受容過程で少なからず葛藤が認められる。国家存亡の危機の回避が眼前の優先課題であり、この課題に基づき、西洋的な知を再解釈(=「中国化」)して用いた。それは、デューイの民主主義の教育を、当時の知識人によって大衆教育・民衆教育として解釈されたところに表れている。つまり、中国の教育
    近代化
    過程には、
    近代化
    への憧れだけでなく、近代知による文化支配への対抗を認めることができる。
  • 農村社会学の「近代化」論に対する批判
    河村 望
    社会学評論
    1965年 16 巻 2 号 83-109,134
    発行日: 1965/12/30
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
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