1.はしがき
日本の農村は1990年代に大きく変化した。その1つの重要な側面として、これまで基本的に農業生産の場としてみなされてきた農村が、農業生産のみならず、余暇や癒し、文化的・教育的価値、環境保全などの機能をもつ場として捉えられることが多くなったことがあげられる。現代の農村空間は、生産空間という性格が相対的に低下し、消費空間という性格が強くなっている。これを「農村空間の商品化」とみなすことができる(Ilbery and Bowler, 1998)。農村空間の商品化にかかわる活動のなかには様々なものが含まれるが、最も視覚に訴え、目立つのがレクリエーションと観光である(Wood, 2005)。この報告は、既存の観光地が、農村空間の商品化、すなわち農村資源を活用することで、発展する可能性を、栃木県
那須
地域で検討する。ここで取り上げる
那須
地域とは、栃木県北部の
那須
高原、塩原温泉、そしてその中間に位置する
那須
扇状地を含む範囲である。
2.塩原温泉と那須
高原における観光地域の変遷
古くから地元の湯治場として知られていた塩原温泉であるが、明治期に入って国道6号線や東北本線の開通によって、関東一円からの長期滞在者を集める湯治場として栄えるようになった。夏目漱石や尾崎紅葉などの文筆家が滞在し、小説や紀行文で塩原温泉を取り上げることでその知名度はさらに向上した。第2次世界大戦後には、湯治場から温泉観光地に移行し、その性格は基本的に現在まで続いている。しかし、バブル経済崩壊以降、観光客数が減少し、しかも日帰り客の増加によって宿泊施設の利用が減少するという傾向がでてきた。これに対して、足湯や立ち寄り湯を設置したり、温泉公園を建設するといった試みのほか、史跡や碑文の整備、ハイキングコースの設定、そして農産物の直売所や観光農園の開設など、地域資源を活用した観光地の活性化が試みられている。
他方、
那須高原も那須
湯本を中心とした湯治場・温泉観光地として発展してきたが、1925年の
那須
御用邸の建設以降、別荘地として注目されるようになり、1960年代からの高度経済成長によってさらに別荘地開発は加熱化した。この時期にはまた、ペンションがつくられ、各種の美術館や
那須
ハイランドパークのような外部資本による観光施設や南ヶ丘牧場のように地元農民による観光開発も進んだ。
那須
高原は、温泉客や別荘客、美術館見学者、牧場観光客、サファリーパークやハイランドパークなどの利用者、登山客などを引きつける複合的な観光地として発展した。しかし、ここでもバブル経済の崩壊や
那須
水害などを契機に、観光各が減少傾向にある。それに対して、観光農園や体験牧場、そして道の駅での農産物の直売など、農業と観光を結びつける試みが行われている。
3.那須
扇状地における農村資源を活用した観光の発展
塩原温泉と
那須高原の中間に広がる広大な那須
扇状地の大部分は、明治期以降、
那須
疎水などの開削により新たに開拓された。農林水産省と地方自治体の共同事業として全国で実施さている「田園空間整備事業」の一環として、2000年から2006年まで「
那須
野が原田園空間博物館」が整備された。これは、
那須
疎水や蟇沼用水などによる農地開拓、明治の元勲や地元有志による農場開発など、農業的な地域資産や地域の個性を生かして、
那須
野が原で新たな文化を創造し、それを外部に発信しようとするものである。これは元来観光開発という性格をもっていなかった事業であるが、観光のために活用できる大きな可能性を秘めている。
4.農村空間の商品化による観光地域発展の可能性
塩原温泉や
那須
高原など既存の観光地では、ハイキングコースの整備や体験農園や農産物直売所、地元の食材を提供するレストランの設置など、いわゆる農村空間の商品化による観光開発が現在の停滞した観光地の状況から脱却する方策として考えられている。このような農村空間の商品化とも言える試みは、従来からの個々の観光地の観光活動を多様化するとともに、活動に面的な広がりを与えることができる。さらには、その中間に位置する
那須
扇状地全体を田園空間博物館とする事業によって、個々の観光地が結合され、広域的・複合的な新たな観光地が形成され、それが
那須
地域全体の一層の観光発展に結びつく可能性がある。
文献
安達曜理・高山宗之・酒川 準(2006):
那須
扇状地とその周辺地域における広域観光エリア形成の可能性. 自然とくらし, 13, 1-24.
井口 梓・田林 明・トム=ワルデチュック(2008):石垣イチゴ地域にみる農村空間の商品化-静岡県増地区を事例として-. 新地理, 55(印刷中).
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