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クエリ検索: "高峰三枝子"
18件中 1-18の結果を表示しています
  • 1950年代のスクリーンにおける観客の欲望モードの文化的変遷
    北村 匡平
    社会学評論
    2017年 68 巻 2 号 230-247
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/09/30
    ジャーナル フリー

    敗戦から1950年代にかけて, 大衆娯楽として最も隆盛していた映画は, 多くの国民的スターを輩出した. この時代のスターダムにおけるスターイメージの変遷とそれを価値づける言説に, 大衆の欲望モードの変化がみられるのが1955年頃である. 本稿は, 原節子と

    高峰三枝子
    に代表される占領期的な欲望を体現する‹理想化の時代›から, 1955年以降の若尾文子を代表とする‹日常性の時代›への推移を見取り図として, 映画スターに対する大衆の欲望モードの偏差を浮上させることを目的とする.

    この転換期, 大衆の集合的欲望を最も引き受けていたのは若尾文子であった. 超俗的な美貌をもった占領期のスター女優とは異なり, 若尾文子を価値づける言説は, 「庶民的」「親近感」「平凡」であり, 大衆の‹日常性›を体現するペルソナを呈示していたからこそ彼女はスターダムの頂点にのぼりつめることができた. 本稿は, 娯楽雑誌におけるスターの語られ方を分析することによって, 経済発展だけでは説明できない言説空間の変容を捉える. そこで見出されるのは, 占領期の‹理想化›された社会を象徴するスターへの反動として, 大衆文化を具現する‹日常›の体現者を称揚する言説構成である. スターを媒介にして自己を見つめ返すようなまなざしの構造が生成する1950年代中頃, 若尾文子は「平均的」であることによって大衆の‹日常性›を演じ, 若者の「リアリティ」を体現したのである.

  • 占領期における原節子のスターペルソナ
    北村 匡平
    映像学
    2016年 96 巻 68-88
    発行日: 2016/07/25
    公開日: 2016/08/19
    ジャーナル フリー

    【要旨】

     本稿の目的は、占領期のスターダムのなかでなぜ原節子の価値が最も高まり、どのような大衆の欲望によって彼女のペルソナが構築されたのかを、敗戦後の社会・文化的条件に即して実証的に明らかにすることにある。これまでスターを対象とする研究は映画の表象に傾斜した分析が多かったが、スター研究の視座から、スターを取り巻く言説、とりわけファン雑誌におけるイメージやテクストと映画との関係を重視し、複数のメディア・テクストにおける原節子の個性的アイデンティティ構築が、占領期のジェンダー・セクシュアリティ規範のなかでいかなる価値を形成していたのかを探究する。

     原節子は、敗戦後に求められる理想的な女性像としての「理知的」で「意志」の強い主体的なイメージを戦中から準備し、戦前と戦後の連続性を引き受けることで、占領期に最も人気の高いスターとなった。彼女の映画のパフォーマンスと、雑誌のパーソナリティに通底する他者の身体から「離れている」ペルソナは、日本女性の身体をめぐるアメリカと日本の占領の言説において、文化的価値を高めることになった。彼女は戦後に現れた敗戦の歴史的トラウマを喚起するパンパンなどの「敗者の身体」とは決して重なることない〈離接的身体〉としての理想的ペルソナを言説によって構築していたのである。本稿では、占領期という歴史的コンテクストのなかで原節子がいかに価値づけされ、欲望されているのかを分析し、アメリカへの抵抗を可能にする原節子のスターペルソナを通して大衆の戦後意識を解明する。

  • ─日本映画に見られる起居様式と家具に関する研究(1)
    石村 眞一
    デザイン学研究
    2015年 62 巻 4 号 4_25-4_34
    発行日: 2015/11/30
    公開日: 2016/04/15
    ジャーナル フリー
     鋼管製カンチレバー構造の椅子は,ヨーロッパで1927 年に開発され,日本では1931 年あたりから国産製品が販売されている。ところが,使用実態を示す資料が少ないことから,本論では初期の使用実態を戦前期の映画に求め,その特徴を考察することを目的とした。調査の結果,次のことが明らかになった。①1932年あたりから東京の都心で使用され始めた初期の鋼管製カンチレバーの椅子は,映画には一切登場しない。②映画に初めて鋼管製カンチレバーの椅子が登場するのは1935 年で,1938年まで9作品の中に見られる。③鋼管製カンチレバーの椅子は,自宅で使用する場面と,商品の売り場,ホテルのラウンジ,ダンスホール,医院の待合室といったパブリックスペースで使用する場合とがある。④使用者の階層は特に富裕層とは限らず,ヨーロッパから発信されたモダニズムを,上手に日本社会へ取り込んでいる。鋼管製カンチレバーの椅子の使用を通して,日本の戦前期におけるモダニズムの一端を垣間見ることができる。
  • 阪本 博志
    出版研究
    2002年 33 巻 107-146
    発行日: 2003/03/20
    公開日: 2020/03/31
    ジャーナル フリー

    Heibon (published by Magazine House) was founded as a literary magazine in 1945, but it changed into a popular magazine for amusement in 1948. It had two main elements-photogravures and stories. Being tied up with both radio and cinema in many ways, it enlarged its circulation during the first half of the 1950's. However, with the spread of TV during the 1960's, Heibon changed into a magazine whose main element was photogravures featuring TV celebrities. By doing so, it expanded its circulation again during the first half of the 1970's, but was finally discontinued in 1987.

    The discontinuation of the magazine may be explained by three factors influencing each other. First, the change from the age of radio and cinema into that of TV diminished the role of Heibon. Second, Myojo (published by Shueisha) gained more popularity than Heibon since the 1970's. Third, Magazine House changed into a company mainly publishing ‘lifestyle-magazines’ which depend heavily on income from advertisements.

    The three changes about Heibon - two changes of itself and one change of its publisher are very important when we examine popular magazines in post-war Japan.

  • 成瀬巳喜男作品から
    中川 成美
    昭和文学研究
    1989年 18 巻 78-87
    発行日: 1989年
    公開日: 2023/05/15
    ジャーナル フリー
  • 速川 和男
    日本英語教育史研究
    1997年 12 巻 49-63
    発行日: 1997/05/10
    公開日: 2012/10/29
    ジャーナル フリー
  • 坂本 勝比古
    コンクリート工学
    1989年 27 巻 9 号 4-12
    発行日: 1989/09/01
    公開日: 2013/04/26
    ジャーナル フリー
  • 森 年恵
    映像学
    2022年 108 巻 206-225
    発行日: 2022/08/25
    公開日: 2022/09/25
    ジャーナル フリー

    本論は、溝口健二作品の中でまだ十分に考察されていない『噂の女』(1954年、大映)を、『ジェニイの家』(マルセル・カルネ監督、1936年)のリメイク作品として検討する。本映画は、舞台をパリのナイトクラブから京都島原の廓、井筒屋に移し、母娘と男性の三角関係などの基本プロットを受け継ぐ。ただし、三角関係に娘も恋人も気づかないまま母の元を去る原作と異なり、『噂の女』はそれに気づいた上での三者の激しい衝突を経て、男性による女性の搾取を認識することで被害者として母娘が連帯するに至る。リメイク過程の詳細な検討から、川口松太郎による小説へのアダプテーションが甘い「母もの」であったことが、製作過程に困難をもたらしたことが見える。女性の搾取という溝口の一貫した主題が導入されたものの、廓の経営者の母娘の和解が搾取への批判を弱くしたことが同時代の低評価となった。しかし、群像を描くカルネの世界を受け継ぎながら、時代を超えた搾取構造の全体を井筒屋の内部に集約したところに本映画の成果を見ることができる。原作の制約の中で新たな表現を生むリメイク映画の創造性の一例と考えられる。

  • 大道 晴香
    宗教研究
    2013年 87 巻 1 号 105-129
    発行日: 2013/06/30
    公開日: 2017/07/14
    ジャーナル フリー
    イタコは青森県から秋田県・岩手県に分布する民間巫者であり、マス・メディアによって、今やその存在は全国に知れわたっている。しかし、そうした認知度の高さとは裏腹に、民俗文化としてのイタコと、マス・メディアによって形成される大衆文化としての<イタコ>との間には、少なからず隔たりが存在している。本稿は活字メディアによって作られた言説を分析することで、一九七〇年代〜八〇年代における<イタコ>の実相について、特にオカルトブームとの関連から論じている。七〇年代に始まる日本のオカルトブームは、それまで「他者」の領域に追いやられてきた<イタコ>の宗教性を「オカルト」として再発見することで、「我々」の領域へと編入した。これは価値の転換であると同時に、<イタコ>の宗教性が大衆の消費対象化したことを意味する。こうした宗教性の大衆化こそが、大衆文化としての<イタコ>の定着において非常に重要な役割を果たしたと考えられる。
  • 吉田 司雄
    日本文学
    1999年 48 巻 11 号 54-68
    発行日: 1999/11/10
    公開日: 2017/08/01
    ジャーナル フリー
    菊池寛の『日本競馬読本』は、馬の血統、記録を研究する大切さを語ることで競馬を「ばくち打」の所業と峻別する一方、「情報信ずべし、然も亦信ずべからず」との名言をもって、勝ち負けを不可知的な領域に置いた。『日本競馬読本』刊行と同じ昭和一一年に結成された日本競馬会は、政府の言論統制を受ける形で一六年に機関誌「優駿」を創刊。多くの文学者の言説が競馬の文化的・不可知的側面を補完するようになった時期、中河與一「愛戀無限」や片岡鉄兵「朱と緑」においては、競馬の偶然性が物語の進行を円滑にすすめるための経済的原理として導入されていた。
  • 石村 眞一
    生活学論叢
    2017年 32 巻 16-29
    発行日: 2017年
    公開日: 2021/05/14
    ジャーナル フリー

    This research explores the use of Cantilever chairs as seen in Japanese films between 1945 and 1952. These chairs were used in 19 out of 107 selected films. Several conclusions may be drawn from a comparison of the types of chairs and the scenes in which they were used in, in their respective films during World War II: 1) Two films in 1946 and 1947 depict scenes featuring Cantilever chairs in pre-war and wartime periods. 2) One may conjecture that the Cantilever chairs used in films after 1947 ware manufactured after the war; however, bamboo plywood chairs emulating pre-war design appeared more frequently than expected in post-war films. 3) When compared to films from the pre-war period, the chairs are mostly depicted in scenes within commercial establishments, especially downtown entertainment venues such as cabaret clubs and dance halls. There is, however, just one instance of the use of Cantilever chairs in wealthy family’s private residence. 4) The use of Cantilever chairs in films reached its peak in 1949 and subsequently dwindled. From this information, we can surmise that the pre-war sense of modernism prevailed until around the 1950s.

  • 東京・丸の内地区を事例として
    松橋 達矢
    日本都市社会学会年報
    2008年 2008 巻 26 号 169-185
    発行日: 2008/09/12
    公開日: 2011/02/07
    ジャーナル フリー
    This article proposes to explicate the economic and socio-cultural forces involved in the provision of space in central Tokyo as a factor in the development of the area. There were several arguments over landscaping. The appreciative attitude of the socio-cultural forces toward the Imperial Palace and their collective historical sentiments of modern Japan prevailed until recent times and were opposed to the verticalization of Marunouchi. However, such a feeling has weakened with the generational changes at Mitsubishi and the Mitsubishi Estate in the 1980s, and since then, development has been steered towards rapid verticalization. Furthermore, having recently experienced the demolition and redevelopment of Marunouchi Building, our attention is drawn to the research data, which illustrates the regional difference-that is meaningful-between 2-Chome and 3-Chome in the level of ascribed and retained that is being generated with regard to the selection and preservation of symbolism that spatially expresses the “Sense of Marunouchi”.
  • がん集検への期待
    行天 良雄
    消化器集団検診
    1990年 1990 巻 88 号 83-93
    発行日: 1990/09/15
    公開日: 2012/12/11
    ジャーナル フリー
  • 『挽歌』と『女であること』における久我美子
    徐 玉
    映画研究
    2021年 16 巻 4-26
    発行日: 2021/12/04
    公開日: 2022/07/05
    ジャーナル オープンアクセス
    本稿は、久我美子が主演した文芸映画『挽歌』と『女であること』における疑似母娘関係に着目し、原作小説とも比較しながら、〈母性〉を介した女同士の親密な関係の映画的表現の特色を考察した。また、久我美子のスター・ペルソナとこれらの作品の関係を探った。『挽歌』については、怜子という新しい女性像、および怜子のヴォイス・オーヴァーをはじめとする女たちの「声」の分析などを通して、怜子とあき子の親密さが原作以上に強調されていることを検証した。『女であること』については、さかえのセクシュアリティの揺らぎを表現するにあたって、川島雄三の独特な空間がもたらす効果を論じたうえで、映画ではさかえの欲望がつねに市子に向けられていることを指摘した。さらに、『雪夫人絵図』以降の久我のイメージを辿り、『挽歌』と『女であること』において疑似母娘関係が強化されたことが、「特殊児童」という久我のスター・ペルソナと結びついていることを確認した。
  • 自生音の発現
    宮田 章
    放送研究と調査
    2024年 74 巻 2 号 60-77
    発行日: 2024/02/01
    公開日: 2024/02/20
    研究報告書・技術報告書 フリー
    日本のテレビドキュメンタリーの基礎を築いたとされる『日本の素顔』(NHK、1957~64)の制作技法の変遷を描く第6回目の後編である。先月号に掲載した前編に続いて『素顔』最後の2年間となった62~63年度の展開を分析し考察する。『素顔』末期に特筆すべき技法が生まれている。それは、情動的強度に秀でた映像と自生音を用いた、「その時その場」の「リアル」な描写である。「問題」について論じるテレビドキュメンタリーから、「問題」を超えて取材対象を活写するテレビドキュメンタリーへ、この技法変化を支える音声形式として、ナレーションやインタビューではなく、自生音が自己を主張し始めている。『素顔』末期のテクストに自生音を生み出す技法を見いだすとともに、この技法が『素顔』終了後の新たなドキュメンタリー番組『ある人生』に継承されたことを示す。
  • 「風俗映画」としての渋谷実『自由学校』と「虚脱」状態の両義性
    角尾 宣信
    映像学
    2019年 101 巻 92-113
    発行日: 2019/01/25
    公開日: 2019/06/25
    ジャーナル フリー
    【要旨】
     敗戦後から1960年代前半にかけて、「風俗映画」と呼称される多くの作品が登場した。その特徴は、同時代のライフスタイルや風景などを記録し、そこから人々の思想や価値観を捉えるものと指摘されてきた。本論文は、総合的な「風俗映画」の研究に向けた一歩として、「風俗映画作家」と言われていた渋谷実の『自由学校』(1951年)を取り上げ、原作小説および吉村公三郎による同名翻案(1951年)と比較し、その「風俗映画」としての映画史的・社会史的意義と可能性を考察する。
     渋谷作品のスタイル上の特徴として、戦争および敗戦のトラウマの継続と、人物表象および心理描写両面での奥行きの無さの二点が指摘されてきた。本論文は、この二点を結ぶ線上において、本作品の特徴である男性主人公の「平面に寝ころぶ」という繰り返し現れる身ぶりを考察する。また、本作品での平面性というスタイルが、愛情や行動意欲の欠如と、ジェンダー的および物理的な平等性という二重の意味をもつことを指摘する。そして、この身ぶりの繰り返しを通じて描かれる、行動意欲を徹底して欠いた男性主人公の心理状態を、敗戦直後における日本社会全体の「虚脱」状態から歴史的に位置づける。さらに、本作品では、この「虚脱」状態を核として、「風俗映画」と見なしうる同時代の記録が構成されており、それが同時代における「虚脱」状態の逆説的かつ肯定的解釈と通じ合うことを示し、敗戦後の社会的心理状態から「風俗映画」を考察する必要性を指摘する。
  • 佐藤 貢
    順天堂医学
    1959年 5 巻 1 号 1-18
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/11/22
    ジャーナル フリー
    The status of the primary group, predisposition (intelligence and character) and the view of life and world and the logics of the prostitute and non-prostitute Inmate in Women's Rehabilitations Home in Japan after World War II are studied. 2. On the primary group it is found that its status is more or less similar to that of Geishagirl and “Waitress” rather thau “legal” prostitutes in prewar Japan. 3. Intelligence of the Inmates in these Home on the average is more or less lower than the average intelligence grade of Japenese women of the same age groups. Also the intelligence is lower in the prostitute groups than in non prostitute groups. 4. The proportion of the persons with abnormal character is greater in these Inmates than in the average Japanese women but no difference between these two Inmate-groups is found. 5. The logics and the view of life and world of these women are not consistent and this tendency is stronger in the home, where the christian discipline is adopted. 6. The results of these researches indicate the necessity of psychiatric examination of personality (including the grade of intelligence of Inmates) at the time of their entrance to Homes.
  • 松尾 直
    高岡法科大学紀要
    2011年 22 巻 19-110
    発行日: 2011年
    公開日: 2019/07/28
    ジャーナル フリー
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