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全文: "高峰三枝子"
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  • 北村 匡平
    映像学
    2016年 96 巻 68-88
    発行日: 2016/07/25
    公開日: 2016/08/19
    ジャーナル フリー

    【要旨】

     本稿の目的は、占領期のスターダムのなかでなぜ原節子の価値が最も高まり、どのような大衆の欲望によって彼女のペルソナが構築されたのかを、敗戦後の社会・文化的条件に即して実証的に明らかにすることにある。これまでスターを対象とする研究は映画の表象に傾斜した分析が多かったが、スター研究の視座から、スターを取り巻く言説、とりわけファン雑誌におけるイメージやテクストと映画との関係を重視し、複数のメディア・テクストにおける原節子の個性的アイデンティティ構築が、占領期のジェンダー・セクシュアリティ規範のなかでいかなる価値を形成していたのかを探究する。

     原節子は、敗戦後に求められる理想的な女性像としての「理知的」で「意志」の強い主体的なイメージを戦中から準備し、戦前と戦後の連続性を引き受けることで、占領期に最も人気の高いスターとなった。彼女の映画のパフォーマンスと、雑誌のパーソナリティに通底する他者の身体から「離れている」ペルソナは、日本女性の身体をめぐるアメリカと日本の占領の言説において、文化的価値を高めることになった。彼女は戦後に現れた敗戦の歴史的トラウマを喚起するパンパンなどの「敗者の身体」とは決して重なることない〈離接的身体〉としての理想的ペルソナを言説によって構築していたのである。本稿では、占領期という歴史的コンテクストのなかで原節子がいかに価値づけされ、欲望されているのかを分析し、アメリカへの抵抗を可能にする原節子のスターペルソナを通して大衆の戦後意識を解明する。

  • 北村 匡平
    社会学評論
    2017年 68 巻 2 号 230-247
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/09/30
    ジャーナル フリー

    敗戦から1950年代にかけて, 大衆娯楽として最も隆盛していた映画は, 多くの国民的スターを輩出した. この時代のスターダムにおけるスターイメージの変遷とそれを価値づける言説に, 大衆の欲望モードの変化がみられるのが1955年頃である. 本稿は, 原節子と高峰三枝子に代表される占領期的な欲望を体現する‹理想化の時代›から, 1955年以降の若尾文子を代表とする‹日常性の時代›への推移を見取り図として, 映画スターに対する大衆の欲望モードの偏差を浮上させることを目的とする.

    この転換期, 大衆の集合的欲望を最も引き受けていたのは若尾文子であった. 超俗的な美貌をもった占領期のスター女優とは異なり, 若尾文子を価値づける言説は, 「庶民的」「親近感」「平凡」であり, 大衆の‹日常性›を体現するペルソナを呈示していたからこそ彼女はスターダムの頂点にのぼりつめることができた. 本稿は, 娯楽雑誌におけるスターの語られ方を分析することによって, 経済発展だけでは説明できない言説空間の変容を捉える. そこで見出されるのは, 占領期の‹理想化›された社会を象徴するスターへの反動として, 大衆文化を具現する‹日常›の体現者を称揚する言説構成である. スターを媒介にして自己を見つめ返すようなまなざしの構造が生成する1950年代中頃, 若尾文子は「平均的」であることによって大衆の‹日常性›を演じ, 若者の「リアリティ」を体現したのである.

  • 石村 眞一
    デザイン学研究
    2015年 62 巻 4 号 4_25-4_34
    発行日: 2015/11/30
    公開日: 2016/04/15
    ジャーナル フリー
     鋼管製カンチレバー構造の椅子は,ヨーロッパで1927 年に開発され,日本では1931 年あたりから国産製品が販売されている。ところが,使用実態を示す資料が少ないことから,本論では初期の使用実態を戦前期の映画に求め,その特徴を考察することを目的とした。調査の結果,次のことが明らかになった。①1932年あたりから東京の都心で使用され始めた初期の鋼管製カンチレバーの椅子は,映画には一切登場しない。②映画に初めて鋼管製カンチレバーの椅子が登場するのは1935 年で,1938年まで9作品の中に見られる。③鋼管製カンチレバーの椅子は,自宅で使用する場面と,商品の売り場,ホテルのラウンジ,ダンスホール,医院の待合室といったパブリックスペースで使用する場合とがある。④使用者の階層は特に富裕層とは限らず,ヨーロッパから発信されたモダニズムを,上手に日本社会へ取り込んでいる。鋼管製カンチレバーの椅子の使用を通して,日本の戦前期におけるモダニズムの一端を垣間見ることができる。
  • 坂本 勝比古
    コンクリート工学
    1989年 27 巻 9 号 4-12
    発行日: 1989/09/01
    公開日: 2013/04/26
    ジャーナル フリー
  • 速川 和男
    日本英語教育史研究
    1997年 12 巻 49-63
    発行日: 1997/05/10
    公開日: 2012/10/29
    ジャーナル フリー
  • 松橋 達矢
    日本都市社会学会年報
    2008年 2008 巻 26 号 169-185
    発行日: 2008/09/12
    公開日: 2011/02/07
    ジャーナル フリー
    This article proposes to explicate the economic and socio-cultural forces involved in the provision of space in central Tokyo as a factor in the development of the area. There were several arguments over landscaping. The appreciative attitude of the socio-cultural forces toward the Imperial Palace and their collective historical sentiments of modern Japan prevailed until recent times and were opposed to the verticalization of Marunouchi. However, such a feeling has weakened with the generational changes at Mitsubishi and the Mitsubishi Estate in the 1980s, and since then, development has been steered towards rapid verticalization. Furthermore, having recently experienced the demolition and redevelopment of Marunouchi Building, our attention is drawn to the research data, which illustrates the regional difference-that is meaningful-between 2-Chome and 3-Chome in the level of ascribed and retained that is being generated with regard to the selection and preservation of symbolism that spatially expresses the “Sense of Marunouchi”.
  • 行天 良雄
    消化器集団検診
    1990年 1990 巻 88 号 83-93
    発行日: 1990/09/15
    公開日: 2012/12/11
    ジャーナル フリー
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