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クエリ検索: "高橋惠子"
695件中 1-20の結果を表示しています
  • 大学・高校生との比較における中学生女子の依存性
    高橋 恵子
    教育心理学研究
    1970年 18 巻 2 号 65-75
    発行日: 1970/06/30
    公開日: 2013/02/19
    ジャーナル フリー
    本研究は, すでに報告した大学・高校生の結果と比較しつつ中学生の依存性の様相をとらえ, 青年期における依存性の発達的変容を考える資料を得ようとするものであった。その結果, 明らかにされたのは次の点であった。
    1) 依存構造
    対象間の機能分化の程度は, 一般的にいえば中学生では, 高校・大学生に比べ明確ではなかった。その証拠としては, まず第1に対象間の機能分化がすすみ, よく構造化された, 単一の焦点を持つF型は中学生では25%でしかなく, 高校・大学生に比べて少ない。そして, 第2に, F型と判定される場合にも他の型における同じ対象よりはという相対的な意味では, 焦点となっている対象が中核的とはいえるが, 大学生の同じ型にくらべれば, 機能分化が明確でないと思われる型がみられた。たとえば, 愛情の対象型では, 得点からいえば焦点と判定される愛情の対象であるが, たしかに, 他の型における愛情の対象とは明らかに機能が異なり, 中核的であるとはいえ親友もまた重視されていて, 〈愛情の対象-親友〉型という2F型的な特徴をもっていたのである。また, 親友型でも, 親友よりも母親の方がより中核的と思われるところがあった, という具合である。また, 依存構造の発達の指標のひとつとして, 依存の対象の数の増加・範囲の拡大ということが考えられたのであるが (高橋, 尊1968a), 中学生では, 高校一大学生に比べ, 愛情の対象, 敬する人などに対しての無答が多いことが注目された。つまり, F型でも, そして同じ焦点のF型でも, また型としてのよい構造的特性をそなえていても, 中学生ではそこに含まれる要素がまだ少なく, 発達につれて変化する可能性があるといえるのである。
    2) 依存要求の強度
    依存要求の強度は予想どおり, 中学生が高校・大学生に比べて高いということはなかった。母親型が上位・下位群に同程度出現するのに対し, 愛情の対象は上位群でのみ出現しやすいということからすれば, 依存要求の強度は, 幼少時に獲得されたものが一定不変であるとか, 成長につれて減少していくとか考えるのは妥当ではなく, むしろ, ある対象, たとえば愛情の対象に出会ったということにより, 逆にそれ以前より依存要求が強くなるということすらあると考えられよう。
    3) 中学生女子における依存性
    依存構造の内容についてみれば, 中学生における依存の対象には次のような特徴がみられた。
    (1) 単一の焦点となる対象としては, 中学生では, 母親が特に多く, 次が愛情の対象, ついで親友が多く, 父親, きょうだいは焦点になりにくい。 (母親は女子においては一貫して重要な依存行動のむけられる対象であるが, 中学生ではまたいちだんとそうである。
    (3) 逆に, 父親は女子においては一貫して依存行動をひきおこしにくい対象であるが, 中学生では大学生や高校生, とくに後者に比べれば, かなり重要な対象に近いといえる。しかし, この傾向も, 1年生で顕著なだけで学年の上昇につれて父一娘間には心理的な距離がでてくるし, また, 母親とともになら対象になりうるという高校生でみられた特徴がやはりすでに現われている。父親はなぜ単一では依存の対象になりにくいのであろうか。ひとつには, 父親が「たよりにしている」とか, 様式 (4) とかの道具的あるいは間接的ニュアンスの強い依存行動の向けられる対象になることを考えると, 父親は情緒的な依存行動の対象にはもともとなりにくいのかもしれない。父一娘関係は依存行動というものではなく, 別の角度からとらえることがふさわしいものとも考えられる。が, また一方では, 母親とともにしか対象になりにくいということが, 母一娘関係の中に, 母・父の夫婦関係が微妙に影響していることを示唆していると思われる。
    (4) MFないし準MF型でも, 母親は対象のうちのひとりになることがもっとも多く, また, 2F, 準2F型では<母親-父親>という組合わせが, また, 3F, 準3F 型では<母親-父親-X>というものが多くなっており, 中学生では依存行動の対象としては, なによりも母親が, そして母親に伴なわれるという条件つきで父親が, 重要だといえる。
    (5) 親友は, 高校生にくらべ全般的には中学生ではあまり重要な対象ではない。焦点となった親友の場合でも, 必ずしも中核的とはいえないものもあった。
    (6}愛情の対象は, 中学1年生からすでにわずかながら出現している。が, 全般的には, 現実にもいないし, いると仮定もできないというものが多い。そして, 愛情の対象が焦点になった型においても, 愛情の対象は, 次に重要な親友とともに中核になっているという未熟さをもっていた。
  • 山田 剛史
    教育心理学年報
    2022年 61 巻 Pref00_1
    発行日: 2022/03/30
    公開日: 2022/11/11
    ジャーナル フリー
  • 波多野 誼余夫, 高橋 恵子
    日本教育心理学会総会発表論文集
    1997年 39 巻
    発行日: 1997/09/24
    公開日: 2017/03/30
    会議録・要旨集 フリー
  • 鹿毛 雅治, 森 敏昭, 波多野 誼余夫, 田丸 敏高, 落合 幸子, 佐藤 学, 池野 範男, 高橋 恵子
    日本教育心理学会総会発表論文集
    1997年 39 巻
    発行日: 1997/09/24
    公開日: 2017/03/30
    会議録・要旨集 フリー
  • [記載なし]
    日本教育心理学会総会発表論文集
    1992年 34 巻
    発行日: 1992/08/25
    公開日: 2017/03/30
    会議録・要旨集 フリー
  • 柏木 惠子
    日本教育心理学会総会発表論文集
    1993年 35 巻
    発行日: 1993/10/08
    公開日: 2017/03/30
    会議録・要旨集 フリー
  • 伊藤 裕子, 北島 順子
    教育心理学研究
    1980年 28 巻 4 号 319-323
    発行日: 1980/12/30
    公開日: 2013/02/19
    ジャーナル フリー
    本研究は, 女性の発達の一過程として既婚女性の依存性の様相を解明し, 高橋 (1968a, 1968b, 1970) の調査した中学生から大学生までの結果との比較により, 青年期以降の依存性の発達的変容を検討した。質問票及び分析法は全て高橋に準じた。被験者は幼児を持つ母親213 名であった。結果は以下のようにまとめられる。
    1) 既婚女性では夫を焦点とする単一焦点型が圧倒的に多く, 高橋の指摘する「発達の方向としてのF型化傾向」は既婚女性においても確認された。
    2) 中学生から大学生にかけての愛情の対象型の増加傾向は, 既婚女性における大多数の夫への依存で完結される。
    3) 既婚女性にとって母親は夫に次いで重要な依存の対象ではあるが, 単一の焦点としてではなく, 心の支えとしての機能を果たす。
    4) 依存要求の強度は, 高橋の中学生から大学生までの結果と比べて, 既婚女性の方が弱いということはなかった。
    5) 既婚女性では子どもを生きがいとする者が多く, 依存行動のパタンの違いにかかわらず見られる傾向であった。
    6) 既婚女性における依存構造のパタンは就業意識とは独立であった。
  • 政治学と心理学の架橋
    大塚 雄作, 三浦 まり, 高橋 惠子, 金子 雅臣
    日本教育心理学会総会発表論文集
    2018年 60 巻
    発行日: 2018年
    公開日: 2021/02/10
    会議録・要旨集 フリー
  • 高橋 恵子
    教育心理学研究
    1974年 22 巻 1 号 1-10
    発行日: 1974/03/31
    公開日: 2013/02/19
    ジャーナル フリー
    生活史の分析の結果, 次のようなことが指摘された。
    1質問紙で判定された依存構造の焦点の類型によって, それぞれ型ごとに異なる対人関係をもっていることがうかがわれた。すなわち, 母親型では母親を焦点とし, 愛情の対象型では愛情の対象を焦点とするといった具合に, くわしく分析した18ケースのうち17ケースまでが質問紙調査の結果に一致するものであった。ただし, 愛情の対象型, 4ケース中1ケースでは, 質問紙ではそれを焦点としていると判定されたが, 生活史の記述によれば焦点とは認めがたいというずれがみられた。
    2質問紙調査である型を示すものが, 過去にもったと報告する対人行動は, 焦点の類型ごとに少なからず共通点があった。現在ある型を示すものは, 突然にその型になるのではなく, かなり幼い頃から, そうなる傾向をもちながら成長してきたらしいのである。前述の真に愛情の対象が焦点とはいえないとみなされた愛情の対象型はその意味でも例外であった。この例外については2通りの見方が考えられよう。1つは, 質問紙か生活史かどちらかが虚構ではないかというものである。そして他は, 発達が不連続のようではあるが,(まるで木に竹をつぐように, それまでの発達とは不連続に, 突然愛情の対象を見合いで得たのであった。) これも真の愛情の対象型なのではないか, というものである。多くの発達は連続であろうが, 時には, 急激に変ることもありうる, その例とみるべきかもしれないという見方である。
    生活史によれば, 依存構造の型は, 大きく家族型 (母親型, 母親一父親型, 母親一兄型などの家族を焦点とする型) と他人型 (親友型, 愛情の対象型などの家族以外の人を焦点とする型) に分けられる。家族型では一般に幼児期から社会的行動における消極的な傾向がすでに顕著に報告されていいて, 大学生に至るまで変っていない。かれらは, 幼稚園においてすでに友人がもてず, それぞれの学校生活においても適応していくことに困難をおぼえている。他人型のものが幼い頃から積極的な対人行動をしており, 友人との生活をさかんに記述している中学・高校時代にも, 家族型のものは, 友人をもてないで, 家族をたよる。他人型のものでは, 中学・高校時代の記述では家族がほとんど出現していないのに対して, 家族型では中心的記述が家族にある。大学進学の決定などにおいても, 家族型が家族に相談し影響をうけるのに対し, 他人型では家族に決定の結果を報告するといった相違がみられる。同じ型に共通で, 型が異なれば異なるように思える項目はTABLE1のようになった。
    3従来の実証的な資料によって指摘されてきた依存の対象の発達に関する一般的な傾向は生活史においてもみられた。すなわち, 母親は一般には幼児期と小学生時代の中心であり, それ以後は友人が中心的になり続ける。友人が中心に移ったことによって, 母親が不必要であったとするケースもあるほどである。愛情の対象は, はじめは友人一般の中に入っている。愛情の対象を現在もつものでは友人関係の発達が青年前期から著しい。男女の区別なく友人とっきあえたものが, 愛情の対象をやがてもっといえそうである。父親は幼い頃から, 「こわい人」といった印象で語られ, 生活史の中でも一貫してくわしくは描かれない。両親は, 大学生になると, 人間として見直され, 青年前期の疎の関係から親和の関係に変化する。ただし, これらの発達を顕著にたどるのはさきの他人型のものであった。家族型のものでは一貫して中心は家族にあり, 青年期には, 友人との交渉が増大しながらも, そのことによって家族の果す機能がゆるがずに, 現在においても, 家族が中核にある。
    生活史を分析していくと, 「どの個人として同じ個人はいない」 (Allport, 1942) といいながらも, その中にまた多くの共通項もあるのだということがわかる。生活史は, 現在からの回顧なのであり, 現実の心理過程が反映されているとは必ずしもいえないが, 発達の仮説を得るには, 有効な方法だと思われた。
    従来の資料によれば, 依存の対象の選択は広い範囲の対象から自由にそのっどなされていたような印象をうけるのであるが, 実際には, それぞれが, 家族型, 他人型といった傾向をすでに幼児期からもって, 一般にはその傾向を持ちっづけることになりがちだといってよいように思われるのである。だからといってこれが幼児期決定説の証拠になるというのではない。ある構造をもっものの発達は, その構造に媒介されていくために, 幼い頃から一貫性が保たれたような結果になるのであろう。しかし, その構造自体が, それぞれの段階で変化していく可能性を認めているが故に, これは幼児期決定説とは根本的に立場を異にするといえよう。
    家族型と他人型のどちらがよりのぞましいかを一概に語ることはできないであろうが, 家族型では, ややもすると次のような問題が生じる度合が, 他人型のものにくらべ大きいのではないかと思われる。第1に, 家族型では生活史の中にみられたように, 対人関係における積極性が乏しい場合が多くなることが予想される。かれらは, 多くの場合, 対人行動の上での冒険をしなくなりがちだと思われる。対人行動の上で臆病で, かっ, それが下手である。そのために, よりよい機能を果すものをとるといった積極性に欠ける場合が出てくるのではないかということである。第2に, 家族型では, 血縁関係にしばられてしまい, 自己の実現性をはばまれることが多くなりがちだという問題も重大であろう。たとえば, 母親型のものでは, 自分の意に満たぬのではあるが, 家業を継ぐことをいやいやひきうけているケースや, 結婚ゐ目的が, 母親に孫を抱かせることであったり, 両親を安心させるためであったりするものがある。家制度が精神的には存続しているわが国の文化においては, 家族型が多くなりやすいし, そのために自己実現化が妨害されることも多くなりがちだと思われる。
  • 心理学の最前線を中心にして
    田中 敏隆
    学術の動向
    2002年 7 巻 10 号 74-75
    発行日: 2002/10/01
    公開日: 2010/03/15
    ジャーナル フリー
  • 高橋 惠子, 波多野 誼余夫
    心理学評論
    1996年 39 巻 1 号 21-30
    発行日: 1996年
    公開日: 2019/07/06
    ジャーナル フリー
  • -聖路加看護大学看護実践開発研究センターの実践-
    菱沼 典子
    日本看護研究学会雑誌
    2009年 32 巻 3 号 3_82-3_83
    発行日: 2009/07/03
    公開日: 2019/09/30
    ジャーナル フリー
  • 高橋 恵子
    教育心理学研究
    1973年 21 巻 4 号 242-247
    発行日: 1973/12/31
    公開日: 2013/02/19
    ジャーナル フリー
    同年齢, 同性のきょうだいを持つという特殊な状況にある双生児の依存では, 次のような特徴が指摘された。
    1 依存構造
    双生児が一般児にくらべ, 理論的にもっともよい構造とみなされるF型の出現率が低いということはなかった。しかし, 双生児では得点 (調査Iの) からは親友型, 愛情の対象型などとみなされたものでも, 調査IIによればそれらが真の焦点としての機能を果たしているとはいえず, 対の相手や母親が真実は中核的機能を担っているかたちになっていた。これらの対の相手や母親が機能分化された上での焦点といえるか, 未分化な“中心”であるのかについての問題が残されている。
    2 依存要求の強度
    双生児が一般児にくらべ依存要求が強い, あるいは弱いということはなかった。
    3 依存構造の内容
    双生児においては, 何よりも対の相手が依存の対象として重視されている。双生児の相手は単独で, あるいは, 複数の中の1人として焦点になることが多いしまた, どの型においても重要な対象である。そして, 次に重要な対象は母親であった。父親はさして重要な対象とはされていないが, これは一般児の傾向と同様である。対の相手や, 母親が重視される半面, 同性の友人や愛情の対象, あるいは尊敬する人は重要とされないのが一般的傾向であった。この傾向は対の相手との結びつきが強いほど顕著であった。
    4 発達に伴なう内容の変化
    2年間おいた2時点でみてみると, 双生児の対の相手との結びつきは, わずかながら, 成長につれて同性の友人や愛情の対象とのそれに移行していく傾向がみられたが, 一般児ほど顕著ではない。
    このような双生児の依存の状態は, われわれの依存の発達の理論に対して, 次のようなことを示唆していると思われる。
    第1に, 依存の対象の交替は, よく似た機能をよりよく果たすものが選ばれるという原理にしたがうであろうということである。その証拠としては, 双生児においては, きょうだいでありながら, 同年齢, 同性で, いつも側にいるという対の相手が, 多くの場合, 同性の友人が果たす機能をある時期実際の友人よりもよく果たすために, 友人関係の発達が遅滞してしまうと考えられること, そして, 対の相手とは異なる機能をもつ母親や父親への依存行動は双生児の相手の存在とは関係がないために一般児と変わらないこと (三木ほか, 1969), があげられる。
    第2に, 双生児の依存の対象として同性の友人よりもさらに発達がおくれているとみられたのは, 愛情の対象や尊敬する人への依存行動であった点は興味深い。われわれの文化における依存の対象の変化は一般には, 家族→仲間, 友人→愛情の対象へと, 依存行動のむけられる対象の範囲が拡大していくと考えてきた。そして一般児でいえば, 高校生段階は, 仲間・友人にむけられる依存行動が多いのである。
    双生児の資料によれば, 再びこの発達の規則性が確認されたばかりか, どこかで発達がつまづくと, 次の段階への移行が困難であるという新しい規則性が見出されたと思われる。すなわち, 典型的には双生児型にみられるような対の相手と母親を重視していて仲間を必要としない場合には, それを媒介にして発達していく愛情の対象との関係がスムーズにはいかないらしいのである。治療, 教育という面で考えれば, ある関係がつまついている時には, その以前の関係から調整する必要があるということになろう。
    第3に, 依存構造の類型は, 大きくわければ双生児型に典型的にみられるいわゆる家族中心型 (一般児では母親型) と, 親友や愛情の対象を焦点とする他人型にわけられるであろう。われわれが得てきた資料では, どの型がより望ましいかについての知見は得られないのであるが, 双生児の資料は, 家族型における問題を示唆してはいないであろうか。
    すなわち, 家族型の場合には, 単に焦点が家族であるだけにとどまらず, この型では, 愛情の対象や尊敬する人が実際に存在もしないし, 仮定することもできないといった問題がある。このことは次のような点で問題だと考えられないであろうか。すなわち双生児であるといえども対の相手との分離が成長につれておこること, 一般児でも双生児でも母親からの離脱もやがておこることを考えると, 大部分の人々においてはいつまでも家族がすべての機能を果たしうるとはいえないであろう。双生児の対の相手が親友の機能を代替しうるといってもそれは一時期でしかない。だとすれば, 家族以外の対象に依存行動を向け難いという家族型では, 家族がその機能を代替的に果たすには無理な時期にきても, 交代する対象を求めることが難しいという問題がおこる。それは対象がみつからないという意味でも, また, 家族以外の対象へ依存要求をむけるための適当な行動様式の学習の機会がないという意味でも, 困難になろう。したがって, 家族型ではある時期をすぎると, 依存行動の発達がおくれ, ひいてはそれを通じて「自我」の発達が困難になりかねない, と考えられる。
  • 大学生との此較における高校生女子の依存性
    高橋 恵子
    教育心理学研究
    1968年 16 巻 4 号 216-226,252
    発行日: 1968/12/15
    公開日: 2013/02/19
    ジャーナル フリー
    本研究は, さきに報告した大学生女子の結果と比較しつつ, 高校生女子における依存性の様相を, 依存構造というモデルを用いて見, 青年中期から後期にかけての依存性の発達的変容に関する示唆を得るためのものであった。その結果, 明らかにされたのは次のような点である。
    1) 依存構造: 大学生同様, 高校生においても相対的に強く依存要求を向けられ存在を友える機能を果たす焦点と焦点以外の幾人かの対象が互いに機能的に分化し, その意味において相互関連的な依存の対象の集合を持つことが明らかになった。これらを大学生同様の基準を用いて, 焦点が何かによってみると, 高校生においてもF型, MF型, 準ME型に分かれ, DF型というどの基準にも合致しないものは349ケース中11ケースにすぎなかった。しかし, その分布は大学生のそれとは異なり, 高校生ではF型が3割弱でより少なかった。
    また, 対象間の機能分化は大学生においてより明確になっていると思われた。その証拠としてはまず第1に, MF型, 準MF型よりも分化が進んでいると考えられるF型の出現率が, 上記のように高校生では低いことである。そして第2にF型においても分化の程度が低いことがあげられる。たとえば, F型の中では殊に愛情の対象型や親友型などではそれがみられた。それは, 操作的には, 調査I (依存得点) の結果とそれとは独立の調査II (SCT形式の記述) の結果が, 大学生におけるほど一致していないことを意味する。愛情の対象型では, 得点からは愛情の対象が焦点とみなされ, たしかにこの場合の愛情の対象は他のケースにおけるそれとは異なり, 依存行動を相対的に強くひきおこしていると考えられるが, 存在を支える主な対象となりえているかというと, -調査IIの記述の中に愛情の対象が出現するのはこの型においてだけではあるが-必ずしも愛情の対象だけではなく, 親友, 母親もかなりの頻度で出現している。また, 親友型では, むしろ母親の方がより中核的な機能を果たしているとも予想された。
    2) 高校生女子における依存性: 大学生にくらべ高校生において顕著に異なるのは次の諸点であった。両者の差異は, 従来の依存性の考え方からすれば, 高校生は大学生よりも依存要求が強いということになるであろう。しかし, 本研究の結果では両群においては強度の差異はむしろなく, それは次のようなものであった。
    (1) 単一の焦点となる対象としては, 高校生では母親, 愛情の対象, 親友などが多く, きょうだい, 父親はほとんどなり得ない。
    2) 女子青年と母親との結合の強さは従来しばしば指摘されるところであり, さきの大学生の資料でもそれがみられたが, 高校生においては, 母親はより一層強く依存行動をひきおこす重要な対象であった。母親は前述の如く単一の焦点となることも多いし, ほぼどのケースにおいても依存得点が高かった。また, 高校生では得点上の基準からは焦点とならない母親でも, 機能の記述で出現する頻度が大学生の場合よりも高く, 母親が調査IとIIの結果のズレがもっとも大きく, この点から高校生における構造の明確さの欠如が指摘された。
    (3) 高校生においては同性の親友が依存行動を生起せしめることが大学生にくらべはるかに多かった。親友は単一の焦点となる場合も多いし, 全般的にも得点からすれば母親をしのぐケースが多かった。しかし, 親友型は他のF型と比較すると特徴がさほど明確でなく, 母親型の変形とも, 愛情の対象型への移行型ともいうべきものを含むようであった。
    (4) MFないし準MF型は, 大学生におけるように母親型の変形とみるよりはひとつの発達の途上にあり, まだ焦点が明確化されていない, いわば移行型とみる方がよいようであった。
    (5) MFないし準MF型のうちで典型的な移行型とみなされたのは, 2Fおよび準2F型の中で顕著に多い 〈愛情の対象-親友〉 という組み合わせであった。この型はその特徴からいって愛情の対象型に近く, それへ移行しつっある型とみてよいようであった。
    (6) 父親は大学生にくらべ依存行動をひきおこしにくい対象であり, 1年よりは2年という具合に, 学年の上昇につれてその傾向が強くなっていた。父親はあたかも母親の付随物のように, 両親の1人としてなら依存行動をひきおこせるが, 単独では例外的にしか強くひきおこすことがないのであった。特に, 大学生同様1尊敬する人型ではこれと競合する傾向があった。父親は依存の対象として受容される場合でも, 様式 (4)(保証を求める) や, 機能の記述では「たよりにしている」など, 道具的な色彩の強い依存行動をひきおこす対象であった。
    本研究の資料は横断的なものであり, かっここで用いたサンプルはさきの大学生のサンプルとの同質性が保証されていないので, 結果は限定的に考えねばなるまい。しかし現段階において女子における高校生から大学生への依存性の発達に関して得られた試み的な仮説は次のようなものである。
    1°青年中期から後期にかけての依存性の発達は, 従来考えられていたような単に依存要求の強度の低下などにあるのではない。それは依存の対象の種類の変化, 対象間の分化の進歩, 各対象に対する依存の様式の変化, 依存要求の強度の変化などについて記述する方が望ましいほど複雑である。この結果からすればある個人の持つ一般的な依存要求というものは想定しにくいと思われる。実際ある対象への依存行動の強度が, 大学生になって逆に高くなることも予想された。すなわち, 大学生になって増加する愛情の対象型は, そのほとんどが上位群に属しているのであった。これは, もともと依存要求の強度が大のものが愛情の対象を持ったと考えるよりは, 逆に愛情の対象の出現がそれを強めたと考える方が自然のように思われる。おそらく, 従来考えられていたように, 幼児期に獲得されるコンスタントな一般的な依存要求量が, 各対象に分配されるのではなく, ある対象の出現によって依存要求が新たに強くひきおこされることもあるという考え方を支持する証拠になると思われる。
    2°依存性の発達の重要な徴標のひとつは, 対象間の機能分化の程度にあると思われる。これは操作的には依存構造がMF型からF型になることである。そして, このF型は青年中期の高校生期には少数ながら出現する。
    3°われわれは依存性の発達をある対象への中心化から脱中心化していくと考えてきたのであるが, 2°の結果から脱中心化した後.
  • 高橋 恵子, 井上 嘉彦, 松田 治, 武村 民子, 吉村 吾志夫
    日本腎臓学会誌
    2000年 42 巻 5 号 394-398
    発行日: 2000/07/25
    公開日: 2010/07/05
    ジャーナル フリー
    Myasthenia gravis is caused by antibodies against acetylcholine receptors and is treated with inhibition or elimination of antibody production. We report a 58-year-old woman who had been suffering from myasthenia gravis and underwent thymectomy in July 1995. Her myasthenic symptoms improved with immunosuppressive treatment using corticosteroid (100 mg/day) and azathioprine (100 mg/day). However she presented edema with massive proteinuria (7.54 g/day) and was admitted to our hospital on July 1997. She was diagnosed as having nephrotic syndrome and a renal biopsy was performed. The histological findings showed minimal change nephrotic syndrome. After pulse therapy with methylprednisolone (1 g/day × 3 days) following oral administration of prednisolone (60 mg/day), proteinuria disappeard after one month. Nephrotic syndrome is a rare complication in patients with myasthenia gravis. The increase in lymphokine production caused by thymectomy may be closely associated with the occurrence of nephrotic syndrome in spite of intensive immunosuppressive treatment in the present case. In this report, we also summarized reported cases of minimal change nephrotic syndrome with thymoma and myasthenia gravis.
  • 栗原 久
    社会科教育研究
    1992年 1992 巻 66 号 1-14
    発行日: 1992年
    公開日: 2016/12/01
    ジャーナル オープンアクセス
  • ― 女性にも,男性にも,不都合なジェンダー問題を明らかにする ―
    後藤 宗理, 柏木 惠子, 内田 伸子, 大野 久, 金井 篤子, 高橋 惠子
    教育心理学年報
    2012年 51 巻 231-247
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/01/16
    ジャーナル フリー
  • 臼井 博, 子安 増生, 内田 伸子, 高橋 惠子, 里見 実, 中垣 啓, 守屋 慶子
    日本教育心理学会総会発表論文集
    2002年 44 巻
    発行日: 2002/08/09
    公開日: 2017/03/30
    会議録・要旨集 フリー
  • 学校・友人・家族
    教育心理学年報
    1970年 9 巻 46-48
    発行日: 1970/03/30
    公開日: 2012/12/11
    ジャーナル フリー
  • 平野 哲司
    関西病虫害研究会報
    2007年 49 巻 41-42
    発行日: 2007年
    公開日: 2011/06/13
    ジャーナル フリー
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