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クエリ検索: "鶴見線物語"
2件中 1-2の結果を表示しています
  • 横浜市京浜臨海部におけるレジャー空間・福利厚生空間の展開を中心に
    野原 卓
    都市計画論文集
    2010年 45.3 巻 181-186
    発行日: 2010/10/25
    公開日: 2017/01/01
    ジャーナル オープンアクセス
    人口減少時代を迎えた日本において、コンパクトな都市空間を実現するためには、既開発空間の再編が急務であるが、その対象の一つに、工業地帯がある。日本有数の大規模臨海工業地帯である京浜臨海工業地帯は、その生産活動を継続しながらも衰退を迎えており、空間再生が模索されている。また、京浜工業地帯内部の生活・活動環境について、レクリエーションの視点で捉えなおしてみると、戦前期の京浜臨海部では、工業空間とレジャー空間は共存していたが、戦後復興期を経ると、京浜臨海部は、工業生産専門の空間として発達しており、レクリエーションといえば、主に工場内部の福利厚生空間が中心に展開していた。70年代以降、こうした福利厚生空間は、工業地帯の周辺部へと立地を移動させていったが、近年では、周辺部の福利厚生空間は他用途へと転用されており、むしろ、工業地帯内部の福利厚生施設が現在でも継続的に利用されている。市街地エリアでも市民のレクリエーション施設は減少気味であることから、運用システムの検討により、工業地帯内部の福利厚生施設の市民開放を含めた弾力的運用による空間再編が期待される。
  • 島田 由香里
    経済地理学年報
    2000年 46 巻 3 号 266-280
    発行日: 2000/09/30
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル フリー
    本研究の目的は, 南米出身の日系人のもつエスニック・ネットワークの役割に注目して, 横浜市鶴見区に在住する日系人労働者の流入過程とその就業構造を検討することにある.1990年以降, 当地域では多数の日系人労働者が就業するようになる.その流入経路をみると, まず東海や北関東の工業都市で働き, その後鶴見区にやってくるケースと, はじめから鶴見区を目的地として来日するケースの2つのタイプが確認された.就業状況をみると, 建設・工事関係で日雇いとして働く日系人が多くみられたものの, 製造業, サービス業など, 多様な業種に就いていることも明らかになった.戦前・戦後を通じ, 沖縄から移民した人々が南米に形成した沖縄県出身者のコミュニティと, 仕事や生活の情報を提供する鶴見区の沖縄県出身者のコミュニティが結びつくことによって, 南米と日本を結ぶ広範なエスニック・ネットワークが形成されてきた.鶴見区に日系人が集まる背景には, こうしたネットワークが重要な役割を果たしているのである.
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