抄録
本論は,1886(明治19)年頃から1907(明治40)年頃までの22年間を対象期間として,愛媛教育協会機関誌に見られる手工教育関係記事の調査から,愛媛県の尋常小学校及び高等小学校における手工科の成立及び展開過程を探った。その結果,愛媛教育協会が,中央及び全国の手工教育の動向を注視しつつ,手工教育の普及に取り組んでいた実態が明らかになった。特に,上原六四郎や岡山秀吉の学説や見解を基に,手工教育理論の普及と平行して,愛媛県の地域の実情等を考慮しながら,授業実践への具体化等を模索していたことが明確になった。一方で手工科が,実業教育科目か普通教育科目かで,教育関係者が動揺する様子が見られたが,最終的には,普通教育科目としての性格付けで決着した。