抄録
本論文は,明治末期から昭和初期にかけての長野県を中心とする,図画教育に関わる言説, 事象を中心的な検討対象として,「自由画」教育に関わる言説と,その論者について整理を行い,それら議論の特徴と論者の変容について示す。その結果,繰り返し提示される自由画教育論は,臨画を廃し,写生画や想像画などを重視する点などに,多くの共通点を有する一方で, その中心的な論者は,いわゆる教育学者から美術専門家へと移り変わっていることが指摘できることがわかった。また,いずれも美術思想を基盤として提示される,白樺派教師による自由画教育論と,山本鼎によるものは,その基盤とする芸術観において根本的な違いがあること, そして山本鼎による自由画教育の主張は,素人美術家としての教師が美術教育の担い手となるフレームを形成したと結論した。