抄録
2015 年,台東県鹿野郷龍田村で,日本統治時代に日本人移民村で建てられ,戦後まもなく
取り壊された神社が,中央政府の地方機関の主導により,「鹿野神社」として再建された。本
稿では,宗教施設としてではなく,各集団を象徴し,政治的な意味をも含有する「遺産」と
して復元された鹿野神社に対して,地域社会における各アクターが有する多面的な捉え方を
明らかにしようと試みた。その結果,龍田村に流入してきた時期によって構成される3 つの
コミュニティが,各コミュニティの由来や背景の違いによって,既有の政治的権力を視覚化
するものとして位置付けたり,村内政治における台頭の機会として位置付ける場合もあれば,
特別な意味を持たない場合もあることが明らかになった。それは,日本統治時代の神社の再
建が「親日台湾言説」で説明できないことを示すと同時に,台湾社会において地元住民が遺
産に対して意味を見出だすメカニズムを明らかにするものである。