日本建築学会計画系論文集
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1870年から1940年のアレキパ・チリ川周辺の道路のタイポロジー
セバヨス カルロス出村 嘉史川崎 雅史樋口 忠彦
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2007 年 72 巻 618 号 p. 73-79

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抄録

南ペルーのアレキパは有数の魅力ある街である.この町を世界遺産に指定したユネスコが示すように,自然条件へ挑戦し,土地固有の影響を受け,征服と福音の過程を経た植民地時代の住処の例として,アレキパはその価値が認められている.しかしながら,これに指定されるのは,ごく限られた市街地の一角である.実際の都市としてアレキパを理解するためには,近代以降に市街中心部から周辺環境へ向かって展開した新たな町との組み合わせで都市を把握すべきだろう.本研究では,都市において人が風景を体験する場となる道に注目し,この空間のタイポロジーを理解することによって,都市構造の固有性を把握しようとするものである.道の景観のタイポロジーは,その歴史と空間の諸元から考察する必要があるため,史料を収集し,空間情報をCG等で再現した.その上で,歴史的中心市街地と周辺地域における道景観の類型化を通して,近代においてチリ川や郊外の田園風景に調和した道景観が周辺地域に形成されていった経緯を,次のように明らかにした.古い道空間の型を残す中心市街地は,概して中庭を囲んで壁面を道路側へ揃える石造建築が並ぶ形式であった(一階建の建築が並ぶヒスパニックタイプ、二階建て建築が並ぶリパブリカンタイプ).これは1540年スペインの支配下でスペイン人居住区として49区画の格子状市街地として建設されたものが原型であり,1821年のペルー独立後,格子状街路構成を保ったまま建築物が垂直に建て増しされた結果である.厳格なカトリック教徒であった彼らはメインスクエアの教会を中心として,周囲の自然環境を都市の背後とみなし接近を拒んだ.その後19世紀後半に経済的,社会的文化的に大きな変革期を向かえ,これが1900年以降の道の景観の変化の引き金となった.この時期に現れた中心市街地から郊外の新開発地へ伸びるような並木道の形式(ツリーラインドタイプ)は,沿道において,ペルー鉄道会社の雇用者であったイギリス人がヨーロピアンスタイルを現地の素材で建てた,前庭を持つ様式の建築によって道景観の開放感を増加させたのが特徴である.またチリ川に沿う歩行者用の道(リバーフロントプロムナードタイプ)の形式も現れた.都市の裏側と見なされていたチリ川の河岸の地域は,19世紀になって自然景観を得る絶好の視点場と捉えられるようになる.1888年のガル橋建設により人々の川への関心が高まり,20世紀にはリバーフロントプロムナードの建設が始まった.リバーフロントを重要な自然環境の軸と捉える考えは,1940に描かれたDe Riveroによるアレキパの最初のマスタープランに強調されている.これら道景観の型の分布と成立経緯を追うことにより,近代に現れた形式が,それぞれ都市の延長部に分布して,都市全体が周辺の田園や自然に対して調和するように拡大していった経緯が描き出された.

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© 2007 日本建築学会
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