抄録
1.はじめに 狭い谷間にも人家や田畑のある我が国においては、洪水の被害は避けがたい面がある。生活基盤である所有地を失うことは代替地をどうするかという問題でもあり解決までに時間を要する。一方、2000年に施行された地方分権一括法は国と地方との関係を見直し、住民に身近な行政はできるだけ地方公共団体にゆだねること、地方自治体の自律性が発揮されることなどを基本としてつくられており、土地問題にも深く関わっている。 本研究では69年前の洪水で土地が流出し、住民が旧河道地を占有し続けたにもかかわらず、2000年の同法施行まで未解決であった事例を取り上げる。 とくに次の点について検討する。・ 洪水の状況・ 住民が売却した現河道地・ 住民が購入した旧河道地・ 地方分権一括法の関わり2.対象地区の概要 岡山県川上町地頭の暮畑・成畑地区は吉備高原を流れる高梁川水系の三沢川沿いにある。この川は南から北へと流れており対象地区は狭い谷底平野上にあって右岸に集落と耕地がある。左岸は山がせまっており比高約50mの尾根が走行している。この付近の地質は地頭層とよばれる泥岩からなり、中生代の貝化石を産する。3.洪水 1934年9月21日に岡山県を直撃した室戸台風は県中北部に約300mmの降雨をもたらした。高梁川では各所で洪水が発生した。対象地区では左岸の斜面が崩壊し、土砂は三沢川を埋め右岸の山裾まで達した。このとき形成された天然ダムは、水位を基に推定したところ堰き止め高5.3m、堰き止め幅106m、堰き止め長70mであった。この値から、貯留した水の湛水高は5.3m以下、湛水面積14,830平方m以下、湛水量26,200立方m以下であったものと推定された。 堰き止めた土砂は3日後に除去されたが、耕地であった所に新しい流路が刻まれた。土地を失った住民は埋積した旧河道上を占有して耕作や牛の飼育を行った。4.代替地を得るまでの過程 使用不能となった所有地を手放し、代わりに占有し続けている旧河道地を国から譲与してもらいたいとの住民の要望は1988年頃からしだいに強まった。それには土地登記ができない、護岸工事ができないなどの理由があった。このため町は国へ願い出たが事態は進展しなかった。 1993年、国会で地方分権の推進に関する決議がなされた。これに先だって町は測量を開始するなど動きを本格化させた。そして1999年、町は所有者から現河道を50円/平方mで買い上げて同法施行に備えた。 2000年4月に施行された同法により国有財産特別措置法が一部改正され、法定外公共物(里道、水路など)の自治体への譲与が促進された。これを適用することで旧河道は町の財産に組み入れることができた(2001年)。そして現に住民に利用されている部分は町から住民へ50円/平方mで売却され代替地を得ることができた。現在、土地登記は既に終了し護岸工事が進行中である。5.まとめ 長期間を要した問題であったが同法の適用により解決した。 対象が国有財産であるため譲与が困難であろうと見込まれた場合、自治体は譲与申請をためらうこともあるといわれる。今回の国有財産特別措置法の改正では申請期限が2005年までとなっている。期限後も住民の実状に即した法の整備と運用の行われることが望まれる。
