抄録
はじめに 琵琶湖東岸地域は隆起する鈴鹿山脈と沈降する琵琶湖との間にあり,河成段丘は湖岸東方の沖積低地で埋没している.当該地域の段丘ではテフラのなどの対比指標が少ないため,湖岸段丘の編年は進んでいない.沖積面下ではATテフラとそれを挟む腐植土層や泥層が確認されることにより,低位段丘と湖底段丘との連続性が報告されている植村・横山(1983).本発表では植村(1979)や植村・横山(1983)以降に得られたボ_-_リングデ_-_タや河成段丘堆積物のデータから、琵琶湖東岸地域の地形発達史に関わる二、三の新知見について報告する.
チャネル堆積物・河道変遷 調査地域における沖積低地のボ_-_リングでは,類似した深度に腐植土層やシルトが連続的に確認され,これらの中にはテフラが挟在する(図1).このテフラには無色透明のバブルウォ_-_ル型火山ガラスが多量に含まれ,その屈折率からATテフラであることが確認できた.腐植土層の上位には部分的にチャネル堆積物とみられる砂礫層が存在する.ATテフラの層準から最終氷期後半以降における日野川の河道変遷がある程度推定できる.
埋没段丘と湖底段丘との連続性 河床縦断面図によると腐植土層の上位と下位の砂礫層は,日野川沖の湖底段丘との連続性がよく,埋没段丘礫層と考えられる.ATテフラより上位の砂礫層は2層に分かれ,下位の礫層は愛知川低位段丘_II_面と共に第2湖底段丘との連続性がよく(図1),上位の砂礫層は第3湖低段丘との連続性がよい.また,上位の砂礫層と同層準のシルト層中には,無色透明と淡茶褐色のバブルウォル型火山ガラスが混在し,これらはK-Ah由来の火山ガラスの可能性がある.以上のことから最終氷期後半や完新世に現在よりも湖面が低く,低位段丘や沖積段丘が現在の琵琶湖まで伸張していたことが推定できる.
湖底段丘・河成段丘からみた第四紀後期の地形発達 琵琶湖東岸地域における沖積低地のボ_-_リングデ_-_タと段丘堆積物との層序関係を細かく追うことによって,湖底段丘と河成段丘との関係,第四紀後期における地形発達史に関わる二・三の新知見を得た.すなわち,植村(1979)の日野川低位段丘_II_面はATテフラ降下以前に発達し,植村(1979)の愛知川低位_II_面よりもむしろ低位段丘1面に対比される可能性がある.また,日野川は現河口の北東方に第3湖底段丘を発達させ,その後,南西に流路を変え,現在の河口位置となったことが考えられる.ボ_-_リングデ_-_タからは既知のATテフラ以外にもいくつかのテフラが検出され,現在,その対比に関わる作業も進めている.これらのデータからさらに新たな時間軸が加われば,琵琶湖東岸地域の地形発達史の解明に役立つことが期待できる.