抄録
従来,地形,地質,気候,土地利用といった流域の諸特性と河川の懸濁物質濃度との関係が検討されてきた.特に近年の人為作用の増大が懸濁物質濃度に与えた影響が注目されているが,日本ではこの課題はほとんど検討されていない.本研究では,関東および中部日本の河川における1970年代末期以降の懸濁物質濃度のデータを,人間活動の影響に注目して分析した.懸濁物質濃度,地形,人口,水文,および土地利用のデータをGISに入力し,懸濁物質濃度の空間・時間的変化と懸濁物質濃度を規定する要因を検討した.本研究では阿賀野川,那珂川,荒川,多摩川,利根川,信濃川,天竜川,富士川の流域を取り上げた.環境省が整備した1970年代末もしくは1980年代初頭以降の懸濁物質濃度データを解析した.データの典型的な計測頻度は一ヶ月に一回と比較的低いため,このデータは洪水時よりも平水時の状況を強く反映している.また,上記の8流域にある57ヶ所の流量観測所に最も近い懸濁物質濃度の観測地点を選択し,流量と懸濁物質濃度との関係を検討した.調査流域のDEMを国土地理院のデータから編集した.また,各観測地点の上流域と,上流域のうち観測点からの距離が20 km未満の近隣域を抽出した.各上流域と近隣域の面積,平均標高,平均傾斜をDEMから算出し,土地利用比率を環境省のデータから求めた.また,総務庁統計局のデータを用いて上流域と近隣域における1980年と1995年の人口密度を求め,この期間の人口増加率を算出した.各地点の懸濁物質濃度の平均値は,上流域・近隣域の人口密度,農地の比率,居住地の比率と正の相関を持ち,傾斜および森林の比率とは負の相関を持つ.したがって,調査地域における平水時の懸濁物質の主要な供給源は,自然の侵食ではなく農地や居住域における人間活動と判断される.ただし,多摩川下流域の1地点では,居住地比率と人口密度が非常に高いが懸濁物質濃度がやや低い.各地点の懸濁物質濃度と流量の間に有意な正の相関が認められ,流量が多くなると物質運搬が活発となる効果を反映している.そこで,流量には依存しない懸濁物質濃度の変化の抽出を試みた.各地点における懸濁物質濃度の対数値を時間軸に沿ってプロットし,懸濁物質濃度の時系列変化を二次式の回帰線で近似したところ,年周期を反映するピークやトラフとは無関係な平水時の状況の長期的な変化傾向を抽出できた.同様の解析を流量に関しても行った.その結果,約2/3の地点では平水時の懸濁物質濃度が時間とともに減少したと判定され,約3/4の地点では平水時の流量が観測期間を通じてほぼ一定であったと判定された.このことは,河川への細粒物質の供給が時間とともに減少した例が多いことを示唆する.しかし,懸濁物質濃度と流量の時系列変化の傾向が上記とは異なり,細粒物質供給の減少が不明瞭な場合もある.前者の一般的な傾向を持つ地点をタイプA,後者の一般的な傾向とは異なる地点をタイプBと呼ぶ.タイプAとタイプBの上流域および近隣域の人口変化率を調べたところ,人口増加率が負の場合にはタイプAが多く,人口増加率が高い場合にはタイプBが多いことが判明した.懸濁物質の主要な給源は農地と居住地であるが,1970年代中期以降の日本では農地が概して減少しており,これが河川への細粒物質の供給を減少させた一因と考えられる.宅地や工業用地からの細粒物質の供給も,1971年の水質汚濁防止法の施行以降における水処理施設の設置などにより減少している.さらに,護岸・治山工事による流域の改変も,侵食による細粒土砂の供給を減少させたと思われる.なお,ダムの建設に起因する懸濁物質濃度の減少は,観測期間のダム湖の堆砂量からみて無視可能である.人口増加率が負の場合にタイプAが多いことは,人口が減少した流域では農業や汚水の排出といった人間活動が減少したことを反映する.人口増加率が非常に高い場合にタイプBが多いことは,汚水の排出の急増や都市化の際の建設工事に起因する土砂生産の増加に起因すると考えられる.都市化は農地の減少をもたらすため,農地からの細粒物質の供給は減少した可能性が高いが,都市化が極めて早く進行した場合には,汚水の増加や建設工事の影響が農地の減少の効果を凌ぐと判断される.ただし,上流域の人口増加率が最も高い多摩川下流の1地点はタイプAに属する.この地点は居住地の比率に対する農地の比率が非常に低く,急速な都市化に伴う農地の減少が非常に顕著であったために河川への細粒物質の供給が減少したと考えられる.さらに,多摩ニュータウンの建設に伴う大規模な宅地造成の規模が時間ととともに縮小したことも,土砂流出の減少をもたらした一因であろう.