日本地理学会発表要旨集
2003年度日本地理学会秋季学術大会
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中国・内モンゴル自治区巴林右旗におけるモンゴル族と漢族の共存形態
*鄭 国全
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p. 32

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抄録

_I_ 問題の所在中国内モンゴル地域は,清国時代から激しい「蒙地開墾」によって農地化にされてきた.その結果,漢民族の農民が多く移住し,それにともなって,農耕地域が南部から北部へ拡大しっていた.一方、牧畜を営んできたモンゴル民族は,牧畜を営む条件を失ったために,より乾燥した北部のステップ地帯に移住した。また,移住しなかったモンゴル民族は伝統的な遊牧をやめ,農業に転じた.他方,移民してきた漢民族は,一部がモンゴル民族の去った牧地で独自の漢民族社会を形成すると同時に,他の部分が直接モンゴル民族居住地域に移住し,モンゴル民族社会にとけ込み,モンゴル民族の漢化を推し進めた.この結果,内モンゴル地域では,農耕村落が相次いで誕生し,伝統的な遊牧社会と異なる農耕社会が形成された.従来の牧畜地域は農耕地域の北進によって,農耕地域および「半農半牧」地域に変化してきた.こうして,内モンゴルは,モンゴル民族と漢民族などの多民族雑居地域となってきた.中華人民共和国の成立後,「中華人民共和国民族区域自治法」の施行,「改革開放政策」の実施などによって,内モンゴル自治区におけるモンゴル民族と漢民族の共存形態は,大きく変化してきた.本研究は,このような問題意識にたって,内モンゴル巴林右旗を事例に,同地域の蒙地開墾の歴史と移民社会の形成を解明したうえで,牧畜地域とする巴林右旗におけるモンゴル民族と漢民族の共存形態を,民族教育,民族間の往来および通婚、民族のアイデンティティーなどを中心にフィールドワークの成果を通して解明しようとするものである. 巴林右旗は,内モンゴル自治区赤峰市にあり,面積10,256㎢,人口17.5万(2002年),そのうちモンゴル民族が総人口の43%を占めており,4農業郷鎮と15牧畜業蘇木鎮を管轄している.経済的に見れば,巴林右旗は牧畜業を中心とする「半農半牧」地域である._II_ 結果1)モンゴル民族と漢民族の共存社会の形成 巴林右旗は,清国末期に実施した「移民実辺政策」および民国時期の開拓政策によって,多くの漢民族農民が移住し,従来の遊牧地域から「半農半牧」地域に転じ,モンゴル民族と漢民族の共存社会が形成された.2)モンゴル民族と漢民族の分布巴林右旗においては,モンゴルと漢民族は雑居しているが,モンゴル民族は牧畜地域とする蘇木鎮に集中しており,漢民族は農業地域とする郷鎮に居住している.モンゴル民族の大部分は牧畜業を生業とするのに対して,漢民族は農業および商業に従事している.3)民族言語と民族教育 モンゴル民族学生の多数は,モンゴル語で行う民族教育を受けている.民族学校では,モンゴル語,漢語,外国語という「三語併開」の教育を行っている.また,モンゴル語を学習しているモンゴル学生が減少する傾向が見られる.モンゴル語はモンゴル民族の単なるシンボルになりつつある.なお,モンゴル語を学習する漢民族はほとんど皆無に近い.4)民族間の交友関係および民族間の通婚 移民である漢民族は,新居住地に生活するために,モンゴル民族との交友が開放的である.これに対して,先住民のモンゴル民族は,漢民族移民の増加によって,人口の割合が低くなりつつあり,アイデンティティーを維持するために,漢民族との交友が内向的である.民族間の通婚については,モンゴル民族の場合は,若いモンゴル民族と漢民族との通婚率が高く,モンゴル民族幹部と漢民族の通婚率が低い.牧畜地域における漢民族の場合は,「計画生育」や教育などの民族の優遇政策などによって豊かなモンゴル民族との通婚を望んでいるとみられる.また,モンゴル民族と漢民族は,政治,経済,文化,言語および宗教などの多方面から見れば,差異が次第に無くなっている.これは,モンゴル民族と漢民族の通婚率が高まる重要な要因である.同時に,民族間の通婚は民族理解,民族交流,民族団結を促した.5)民族のアイデンティティー 巴林右旗においては,モンゴル民族が集中している地域がみられ,モンゴル民族のアイデンティティーが強いといえ,モンゴル民族の言語,風習,行事などを維持している.一方,漢民族は人口の多数を占めているが,民族のアイデンティティーを維持しながら,モンゴル民族の生活習慣も吸収している. 以上のように,牧畜地域においては,モンゴル民族と漢民族の差異が小さくなっており,民族の共存が進んでいる.

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