抄録
1.はじめに
宮城県北西部の花山村は奥羽脊梁山脈に隣接する丘陵地帯に位置する。丘陵斜面の植生は、大部分がミズナラを主とする二次林および戦後に植栽されたスギの造林地からなる。演者らは、同村沼山地区の地すべり地内にみられる大沼湿原および周辺丘陵地の地形・表層堆積物をもとに、過去約千数百年間の丘陵地の植生および景観の変遷について調査を行っている。本発表では、この丘陵地で数百年前に起こったとみられる二次林化とその要因について、主に人間活動との関わりという観点から検討する。
2.沼山の堆積物と微地形
(1)花粉分析結果
花山村沼山地区に位置する大沼湿原の堆積物についてその層序や堆積構造を明らかにし、堆積物について年代測定と花粉分析を行った。その結果、約400年前頃にブナの優占する冷温帯落葉広葉樹林からミズナラ・コナラを主とする二次林へと周辺丘陵地の植生が変化したことがわかった。
(2)表層堆積物中の炭化木片
地すべり地形からなる沼山地区には多数の小凹地が分布している。そのいくつかにおいて凹地を埋める堆積物を観察した結果、地表面下数10cmの層準にしばしば多数の炭化木片が含まれることがわかった。こうした炭化木片を採取し14C年代測定を行ったところ、もっとも古いもので約600年前を示す年代値が得られた。
(3)炭焼き窯跡
花山村の丘陵地では、かつて木炭生産が盛んに行われていた。統計資料によれば、明治30_から_40年代に1万俵前後だった年間の製炭高が昭和10年代には10万俵を突破、昭和20年代には20万俵を超えた年もあった。昭和30年代以降、急速に木炭生産は衰退するが、丘陵地内には、過去に利用されていた炭焼き窯の跡が現在でも多数認められる。この地域で使用されていた炭焼き窯は楕円形状の平面形(長径約4m、短径3m弱)を有するドーム状の構造をなしていたとされる。現在では、こうした炭焼き窯跡は、楕円形状に窪んだ微地形(以下、窯跡)として残っている。窯跡の周囲、とくに炊き口と呼ばれる窯の入口付近の表土中には、多数の炭化木片が含まれる。大沼湿原の周囲にも、使用されていた時代は不詳ながら、同様の特徴をもつ窯跡が複数確認された。
3.考察
花粉分析の結果から、花山村沼山地区の丘陵地で400年前頃に二次林化が進んだことは明らかである。また自然的要因による山火事の可能性を別にすると、表層堆積物中に含まれる多量の炭化木片は、火入れまたは木炭と関係した過去の人間活動を示唆するものであろう。そのような人間活動により丘陵植生の二次林化が促されたものと考えられる。また丘陵斜面内に多数の窯跡がみられることや、上記のような木炭生産が少なくとも藩政時代には始まっていたとする見解(花山村史編纂委員会, 1978)をも考慮すると、その人間活動とは丘陵地の森林を利用した木炭生産であった可能性が高い。