抄録
1.はじめに
近年、日本国内における災害危険度を想定したハザードマップの整備は、各種自然災害で国家プロジェクトとして急速に進められている。しかし1997年1月2日未明のロシア船ナホトカ号による油流出事故以降、油流出事故を想定したハザードマップの使用方法等についての十分な検討は行われていない。米国(NOAA HAZMAT)では油流出に対する沿岸の脆弱性を評価したESIマップが早期から作成され、油防除活動の支援手段の一つとして効果をあげている。米国のNOAAが作成したESIマップには、海岸形態情報、生物資源情報および社会施設情報の各種情報が、記号および色分けにより示されている。いずれの情報も油防除の活動方針を検討するための判断材料とされる。ESIマップは地震災害の場合の地震危険度マップに相当し、防災マニュアルおよび地域防災計画とともに、油防除作業の意志決定に寄与するものであるが、日本でESIマップの使用方法に関する検討はほとんどなされていない。日本の沿岸域は、都市的機能や産業活動が集積しており、上記ESIマップの自然環境を指標とした脆弱性評価は、日本の社会事情に常に適合するとは言い難い。そのため、漁業者による沿岸域の利用実態をESIマップに重ねて表示することは、社会的影響の脆弱性を検討することにつながる。現在、北海道の北方、サハリン島北東部オホーツク海沿岸で本格的な原油生産を開始している。本研究では、油防除活動の支援手段の一つであるESIマップの使用方法について検討することを目的とする。
2.漁場情報を加えたESIマップの試作
北海道網走漁業協同組合の総漁獲量は52,085t、総生産額は約86億1,700万円である(網走市2002)。ホタテ貝、スケトウダラ、サケの漁獲量が全体の64.8%を占める。網走沿岸域は、ホタテ貝の養殖を中心とした沿岸漁業の重要な海域である。沿岸域における漁場名の存在は、当該海域に漁業者の生活様式が長年培われてきたことの証左である。網走漁協の漁業形態は、沿岸、機船、および沖合に大別される。沿岸および機船による操業海域には、定置網、ホタテ地撒きの他、漁業者により「6マイル」および「8マイル」と呼称される漁場がある。この漁場名は、能取岬を起点とした離岸距離に由来する。ESIマップ上に漁業者の沿岸域利用の実態を重ね合わせ作図した結果、以下のことが明らかになった。第一にESIマップで使用される「断崖・防波堤」、「波食台・傾斜護岸」、「細・中砂海岸」、「粗砂海岸」などの脆弱性の低い海岸性状は、能取岬周辺、網走港周辺、藻琴湖以東に確認した。第二に網走沖ではケガニ、ホッケ、カレイ、タコを対象とする漁場利用、網走沿岸ではサケ、ホタテの他、ウニ、シマエビ、ホッキガイを対象とする漁場利用をそれぞれ確認した。ウニは能取岬および網走港周辺の岩礁、ホッキガイは藻琴湖以東の砂地で漁獲されている。上記の漁場では、各魚種の主漁期にあたる期間中、漁業生産が見込まれる。漁業者の季節別・魚種別の沿岸域利用に関する漁場情報をESI マップにプロットすることで、従来の油防除の評価に漁場情報が加味され、油流出時のリスク・コミュニケーションを支援する情報図になることを確認した。
3.まとめ
ESIマップは、油流出事故による被害を最小限に抑えることを目的に作成され、油防除活動の支援手段として活用されることが望まれる。今後、油流出事故時のステークホルダーの「心」を表す漁場情報を防災マニュアルに生かしていく工夫が必要である。このことは、科学的な知見を踏まえた防災業務の効率的運用につながることであり、社会技術的に検討しなければならない問題であると考える。このため、本研究では、網走漁港周辺の沿岸海域をフィールドとし、統計資料およびヒアリングにより漁業者の漁場利用の実態について把握した。その結果、一例ではあるが、漁業者の季節別・魚種別の沿岸域利用の漁場情報をESI マップにプロットすることで、従来の油防除の評価ランクが補正され、沿岸の利用実態に即した情報図になることを確認した。効率的で合理的な油防除の活動計画を検討する場合、ESIマップによる沿岸の脆弱性指標の評価とともに漁場情報を考慮する必要がある。漁場情報を付加することによる沿岸域の評価ランクの変動は、とくに、ESIマップのコンセンサスを得る際の重要な要素になると考えられる。また、操業時以外の時期の事故を想定した流氷下の油防除対策の意思決定は、更に複雑になると考えられ、今後の検討課題としたい。