日本地理学会発表要旨集
2004年度日本地理学会秋季学術大会
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タイにおける日系自動車企業の立地展開と部品取引特性
*宇根 義己
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p. 153

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抄録
1.研究目的日本自動車企業による生産機能の海外展開は,1950年代後半から東南アジアを中心とする発展途上国において開始されたが,極めて小さい地位しか与えられておらず(松橋・松田,1992),輸出による海外市場への対応が支配的であった.ところが,1970年代後半からの急激な輸出拡大による貿易摩擦と,1985年のプラザ合意を契機とした円高により,日本自動車企業は海外市場に対して全面的に輸出から現地生産へと転換していった.1990年代においては,アジアを中心として日系組立企業の進出・生産能力強化と,日系部品企業の生産機能の進出が加速した.東南アジアは欧米自動車企業と比較して,日系自動車企業が早い段階から進出しており,その中でもタイへの進出が顕著である.タイ自動車産業は1997年のアジア経済危機時を契機として,それまでの国内市場対応型から輸出指向型に大きく転換し,タイの日系自動車組立工場は1トンピックアップトラックの世界的生産拠点として位置付けられるようになっている. このような背景を踏まえて,本発表ではタイに進出している日系自動車企業の立地展開と部品取引特性を明らかにすることを目的とする.2.日系自動車企業の立地展開日系自動車企業によるタイへの進出は,1960年代前半に政府機関である投資委員会(Board of Investment)による工業化政策に対応して開始された.日系自動車企業の立地は,1960年代から1980年代までバンコク大都市圏を中心に展開していたが,1990年代に入り,バンコク都から東に約100km離れた東部臨海地域の工業団地に移動・新規立地していった.東部臨海地域は,1980年代後半からタイ政府・民間が中心となって工業団地・高速道路・貿易港の造成が進み,インフラの整備が重点的に行われた地域である.さらに同地域では,投資委員会によって製造業のバンコク大都市圏郊外進出に対する税制優遇措置が行われている.このように,タイにおける日系自動車企業の展開は,タイ政府による工業化政策に連動した動きをみせている.3.部品取引特性 日系組立企業の部品調達は,大部分がタイ国内の日系部品企業から行われており,ローカル企業からの調達や輸入による調達は少ない.タイ国内の日系部品企業の多くは,特定県の特定工業団地内に集積しており,ローカル企業の大部分はバンコク大都市圏内に立地している.ただし,日系組立企業の中には,ローカル企業を自社工場の周辺に立地させ,それらとの取引を行うことによりローカル企業の育成と部品調達率の達成を図る企業も存在する. 日系部品企業による部品調達先は,日系組立企業に比べてローカル企業からの調達割合が高い.日系自動車企業によるサプライヤー選定は,品質・コストを重視するが,ローカル企業から購買する部品はさほど品質が重要視されない部品に限定されている.日系部品企業の部品納入活動に関しては,日本の親会社による系列関係がタイにおいても踏襲されていることが確認された.このような系列関係にある日系部品企業は,系列上のトップにあたる組立企業の現地組立工場の立地地点を重視した立地選定を行っている.一方,比較的生産台数の少ない組立企業の系列下にある日系部品企業は,生産規模を確保するために系列を超えた取引を行っている. 本発表では,これら日系自動車企業の部品取引特性の詳細について,聞取り調査を行った日系自動車企業の事例から報告したい.[文献]松橋公治・松田 孝 1992.産業の「空洞化」と自動車工業地域の再編成?海外現地生産の拡大と国内生産体制の再編成を中心に?.明治大学人文科学研究所紀要 31:37-74.
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© 2004 公益社団法人 日本地理学会
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