日本地理学会発表要旨集
2004年度日本地理学会春季学術大会
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栂池高原における民宿地域の維持構造
*内川 啓
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キーワード: 民宿, スキー, 共有地, 栂池高原
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p. 221

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抄録
1. 研究の目的
1990年代後半からの経済活動の停滞に伴う観光活動の支出の抑制や,国民の余暇活動の多様化は,既存の観光地域に対して大きな影響を与えている。とくにスキー観光においては,観光客の減少が著しく進んでいる。このため民宿地域では,宿泊客に対するサービスの向上やインターネットを活用した情報の発信などを行って,積極的な観光客の確保に努めている。
本研究では、栂池高原の民宿地域の変容と,スキー客の大幅に減少する中で,民宿地域がどのように維持されているのかを明らかにすることを目的とした。
本研究で用いる民宿については,民宿が宿泊施設の中心となって発達し,そのことが観光地の特色となって形成された地域にある宿泊施設の全てを民宿として扱った。

2.栂池高原における民宿地域の形成
栂池高原では,1961年に村外資本の導入を図り,共有地を利用してリフトが架設された。1970年までにリフト会社3社が参入してスキー場開発が行われた結果,日本でも有力なスキー場が形成された。
スキー場の開発を契機として,それまで冬季には養蚕や出稼ぎなどに従事していた地元住民によって宿泊業が開始された。1970年代に入り,広大な共有地が分割されると地元住民により,栂池高原への移住が急速に進み,また県外出身者の民宿も建築され,1980年代前半までには,現在の様相と変わらない民宿地域が形成された。

3.栂池高原における民宿地域の変容
1980年代に入るとリフト会社では,ゴンドラリフトの建設や高速リフトの架設を行って,増加するスキー客に対応した。こうしたスキー場施設の拡充とともに民宿の規模も拡大した。民宿規模の拡大は,土地所有形態が大きく係わっていた。すなわち,共有地内に建てられた民宿は,分割された土地が広くなかったため規模の拡大が進まなかった。一方,主に私有地に建設された大規模民宿では,土産物屋や食堂などを併設し,民宿施設の複合化を進めた。
1990年中頃になるとスキー客が大幅に減少したため,廃業する民宿がみられるようになっている。しかし栂池高原では,スキー客が増加した時期に民宿への設備投資が小さかったため,他の地域と比べて廃業する民宿はそれほど多くない。また廃業する民宿の多くは他の民宿へと売却されているため,民宿を複数所有する経営者が出てきている。

4.栂池高原における民宿地域の維持形態
観光客の減少を受けて,民宿経営は従来のような受身の経営から一転して,インターネットなどを活用して集客活動に努め,宿泊客に対するサービスの向上にも積極的に取り組んでいる。また客室構造の改築が行われ,とくに大規模民宿では,各部屋にトイレ・シャワーを設置し,多様な宿泊客の志向に応じられるように整備している。
民宿経営者の就業構造をみると,大規模民宿では,夏季にツアー客の受け入れを行って,冬季のスキー客の減少分を補完し,経営の安定の確保に努めている。一方,小・中規模民宿では,夏季観光に積極的に取り組んでいない。家族内には,農業を行ったり土木関係のパートなどの就業に就いたりする者が多く,若い世代は会社員など他の職業に従事している。

5.おわりに
栂池高原では,多くの民宿経営が1980年後半のスキー客が増加した時期に,宿泊施設への投資を過剰に行わなかったことで,民宿経営がよかった時期の蓄えを活かしながら民宿経営が維持されている。また大規模民宿のように,スキー客を中心とした経営から夏季の宿泊客を受け入れたり,小・中規模民宿にみられるように,夏季に他の就業を組み合わせたりしている。すなわち,スキー客の減少に伴って夏季に新たな収入源を見出すように変化することで,民宿地域が維持されている。
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© 2004 公益社団法人 日本地理学会
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