抄録
従来、少数言語は空間的に隔絶した地域で維持される場合が多く、都市は同化を促進する空間と考えられてきた。しかし、少数言語に対する制度的支援、具体的には少数言語の公用語化や少数言語を教授言語とする学校教育の整備が進んでいるなかで、多数言語が支配的な都市においても多数言語と少数言語の二言語話者が増加傾向にあることが指摘されている。本報告は、ノヴァスコシア州ハリファクスを事例に、カナダの英語圏都市におけるフランス語系住民の言語維持とその構造を明らかにすることを目的とする。
1951年から2001年までのセンサスを用いて、フランス語を母語とする人口と、英語とフランス語とを話せるとする人口(二言語話者人口)とを指標として実数と割合からノヴァスコシア州の言語人口学的状況を分析した。さらに、2001年センサスを用いて年齢と言語能力との関係を考察した。その結果、1951年にフランス語を母語とする人口がカウンティ人口の10%を超えていた「フランス語系カウンティ」におけるフランス語人口の脆弱さと対照的に、ハリファクス・カウンティのそれの健全さが浮き彫りになった。
2003年6月にフランス語系住民のコミュニティ・センターを通じて質問紙調査を実施し、その結果を、居住地移動、教育と就業に重点をおいて分析した。フランス語系住民はハリファクス以外の地域で出生しており、高校卒業まで出生した州にとどまる傾向が強い。ハリファクスへの移動は就業が最大の要因であるが、とくに女性の場合、家族の移動に従っての移動も多い。ケベック州出身者にはケベック州への帰還移動の意思を持っている者が多いのに対して、大西洋沿岸諸州出身者は出身コミュニティへの帰還移動には否定的である。全体として高学歴であり、半数以上が大学に進学している。
また、2003年6月と9月に、質問紙調査と並行して聞き取り調査を行った。調査対象者は、大学(英語系)進学や仕事の都合でハリファクスに移住し、多くの場合、フランス語ないしは英語とフランス語の両方を理解する必要のある職に就いている。ハリファクスで新たに職を見つける際にも、彼らのフランス語能力は貴重な武器となっている。英語が支配的な都市において子どもにフランス語を使わせることは容易ではなく、フランス語を教授言語とする学校に子どもを通学させるだけでなく、各家庭でも大いに努力している。
権利及び自由に関するカナダ憲章(1982年憲法)第23条の規定と連邦最高裁におけるマヘ判決(1990年)は少数公用語集団の教育の権利を保障するものであり、これを受けてカナダ各州の政府は少数公用語集団の教育制度を整備した。ハリファクスでは1991年にフランス語を教授言語とする学校(幼稚園_から_第12学年)が開校し、併設のコミュニティ・センターではさまざまなイベントが企画されるなど、学校を中心とするコミュニティ活動が充実しつつある。フランス語を教授言語とする学校に通う児童・生徒数は大幅に増加し、少なくとも学校教育という点ではフランス語系住民が制度的支援を十分に利用している。また、英語系の子弟を対象としてフランス語で教育を行うイマージョン・プログラムの選択率もハリファクスで比較的高くなっている。それには、英語系住民の二言語主義への関心の高まりとともに、フランス語系住民の存在が大きく作用していると考えられる。
これまで少数言語の維持に関する研究では、制度的支援が重視されており、本研究の事例でもその重要性は明らかである。しかし、1980年代以降のフランス語を教授言語とする学校教育の充実などの制度的支援は、すでに英語へのシフトと都市への人口流出が顕著であった農村地域の伝統的なフランス語系コミュニティには遅きに失したようにみえる。一方、ハリファクスでは住民の社会的特性が制度的支援を効果的なものにしているといえる。それが結果として都市においてフランス語が維持され、二言語話者が増加する要因になっている。