日本地理学会発表要旨集
2005年度日本地理学会秋季学術大会
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近世農村における天然痘の空間的拡散過程
*渡辺 理絵
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p. 73

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抄録

ウイルス性の感染病のうち、麻疹についてはCliffとHaggett(1988)による詳細な検討がある。一方で麻疹とよく似た天然痘については、種痘などの予防方法がはやくから普及したため、伝統社会における天然痘の伝播や流行パターンは、これまで未解明のままであった。日本の天然痘の流行については、Suda・Soekawa(1983)、小林(2000)などがアプローチし、これらから日本本土と離島では天然痘の伝播や流行の諸相が大きく異なることが示唆される。本報告は、本土における天然痘の流行を検討するため、未だ種痘が導入されていない地域の感染記録から、近世村落間における天然痘の空間的拡散過程について検討する。
資料の特色18世紀末に米沢藩領中津川郷14ヶ村をおそった天然痘の感染記録がある。寛政7(1795)年10月25日と翌年2月、14ヶ村の大肝煎小田切清左衛門は、全村の第1感染者が確認された日時(感染日時とする)を確認し、その時点での未罹患者(Susceptible)の氏名、年齢を調査した。つぎに翌年2月にも同様の調査を行った。中津川郷はもっとも小規模な村で世帯数10、人口31人であり、最大でも世帯数48、人口223人にとどまる(天明期)。村人口と未罹患者数の相関は、r=0.95である。
感染の拡大と距離との関係14ヶ村の感染日時は、4つの時期に区分され、第1感染村からの道路距離と強い相関(r=0.72)を持つ。また、次の村に感染するまで、約1_から_1.5ヶ月ほど要している。杉浦(1978)によれば、おかげ参りは、拡散開始地点の山城からおよそ2ヶ月弱で西日本全域まで拡散したという。情報の伝播と本事例を単純に比較することはできないが、最近隣村までの距離が2kmに満たず、潜伏期間(約15日)を考慮しても、天然痘の伝播は非常に緩慢なものであったと言える。これは罹患者の大半が後述のとおり子どもであり、彼らのモビリティが大きく影響していると考えられる。
各村における感染者数の増大と感染率寛政7年10月時点での各村の感染状況は、2回目の感染者の増減から、すでに感染のピークを終えた村(収束村)4ヶ村、感染者が増加し続けている村(進行村)4ヶ村、今後感染者が激増する村(開始村)5ヶ村が混在し、感染状態に時間差が生じている。収束村の罹患率の平均は86%となる。このうち全村平均18.2%が死亡した。
感染者の年齢14ヶ村86名の感染者の年齢をみると9歳で感染者が急減しており、全感染者に占める9歳児までの割合は68.6%である。さらに6歳児まででは48.8%にのぼる。ただし、9歳以上の村民もこの流行で感染しており、未感染者と考えられる2名(17歳)は死亡している。
重力モデルによる隣接村間の伝播の検討本事例のような近接的伝播では、流行を伝播させる未感染者と感染者の人数が、拡散現象を規定すると考え得る。そこで、重力モデルの各項を次のように定義し、感受性者数と感染者数および距離の効果を定式化したい。Yj=R・Xj・Yi / dijα(X:未感染者数、Y:この流行で感染した人数、i村→j村に伝播、R:定数、α:距離パラメーター)、村落間の感染経路についてはスパイダーダイアグラムによって確定した。ただし、7ヶ村については、流行終了時のYjの値が得られず、与えられた値で入力すると、r=0.47と有意な相関は見られない。そこで、寛政8年2月時点で、すでに感染のピークが終わった村7ヶ村の平均感染率(90.0%)を、これら以外の村の未罹患者数(寛政7年)に乗じたものをYjとした。この結果、Yj=44.3・Xj・Yi / dij0.78(r=0.69、2.5%水準で有意)となった。以上から、感染の拡大は巨視的にみれば距離に規定されるが、隣接村落間の伝播における距離はそれほど大きな意味を持たない。むしろ天然痘の拡散は、流行地域における感染者数と未罹患者数によって説明されると結論づけられる。今後は、村落内での伝播における検討を行いたい。

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