日本地理学会発表要旨集
2007年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 214
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筑波山における明治初期以降の土地利用変化
*岩崎 亘典スプレイグ デイビッド
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抄録

1.はじめに
 筑波山は関東平野の北東部,茨城県のつくば市にあり,茨城県の八溝山地の南端の筑波山塊に位置する.
 古くは万葉集にも詠まれており,最近ではつくばエクスプレスの開通により,首都圏における新たな登山スポットとしても賑わっている.また霊峰としても知られ,筑波山神社が著名である.山頂付近のブナ林など貴重な植生も存在している.一方で,化学肥料や化石燃料が普及する前の農村においては,周辺の山林は自然資源の供給源として重要な役割を果たしていた.筑波山周辺では,このように文化的な背景と農業的な営みの両者の関係によって,土地利用が規定されていたと考えられる.
 本研究では,筑波山周辺を対象都市として,伝統的な土地利用形態が残っていたと考えられる明治初期から現代までの土地利用の変化を明らかにする.

2.方法
 調査対象範囲は,筑波山塊南部の標高50m以上と,湯袋峠を通る県道150号線で囲まれる地域とした(図1).
 土地利用図は1880,1910,1960,2000年の各年代について作成した.土地利用図の作成に当たっては,1880年代は迅速測図を,1910年代は1/50,000地形図,1960年代及び,2000年代については,1/25,000地形図を元にした.土地利用項目は,樹林地,草地・荒地,水田,畑,果樹園,住宅地,土手・崖,水面とした.また,1910年以降は,樹林地は,広葉樹林地,針葉樹林地,竹林に細分した.

3.結果及び考察
 各年代毎の土地利用割合を表1に示す.
 1880年代の土地利用は,草地・荒地が大きな割合を示すのが特徴である.また,森林の空間分布を見ると,低標高地帯と,筑波山の山頂に集中して分布していた.これらの空間配置は,当時の山林利用形態を反映すると共に,筑波山神社の参道や境内として森林が保持されていたことを示すと考えられる.
 1910年代以降は,森林の占める割合は,ほぼ変わらない.ただし,針葉樹が増加し,広葉樹が減少傾向にあることが認められる.しかし,これらの針葉樹の樹種構成は不明なので,今後の検討が必要となる.
 草地・荒地については,1910年代までは一定規模の草地が保持されていたが,1960年代以降は小規模なものが分散して存在する傾向が認められた.2000年代には7.7%まで草地面積が増加しているが,これらの中には耕作放棄地やゴルフ場も含まれるため,過去に存在する草地とは,質的に異なると考えられる.
 今後は特に,樹林地,特に針葉樹の樹種構成に注目する必要がある.
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© 2007 公益社団法人 日本地理学会
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