日本地理学会発表要旨集
2007年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 417
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宮ヶ瀬ダム建設前後の中津川河川敷の変化
*須田 康平久保 純子
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抄録


■研究目的と方法
 ダム建設により、貯水部分の水没・堆砂のほか、下流部分の河床への影響が考えられる。本研究では神奈川県宮ヶ瀬ダム下流の河床の環境変化を、大縮尺地形図、空中写真判読、ききとり等により調査した。調査範囲は宮ヶ瀬ダムから相模川合流点までの区間(約 18 km)である。

■宮ヶ瀬ダム建設の経緯
 宮ヶ瀬ダムは神奈川県北西部に位置し、丹沢山地に発する相模川支流の中津川水系の多目的ダムである。宮ヶ瀬ダムの基本計画は1969年に当時の建設省により発表され、1987年ダム本体工事着工、1994年にダム本体が完成し、2001年より本格運用が開始された。
 宮ヶ瀬ダムは堤高156 mの重力式コンクリートダムで、有効貯水容量は1億8300万m3で、関東地方のダムの中では2番目に大きい。洪水調節、水道水供給、発電、河川流水の「正常な機能の維持」の4つが目的で、国土交通省が管理している。

■河川敷の現況(2005~2006年)
 1/2500地形図および空中写真判読、現地調査により河川敷の現況を調査した。
 全般的に低水敷が護岸により固定され、床止工なども数多くみられる。砂礫の露出する河原は少ない。一方、高水敷は運動公園として利用されている部分が多い。旧河道を利用した漁協の管理釣り場もみられる。
 河川敷は全般に植生でおおわれ、樹木の繁茂した部分も多い。

■河川敷の状況(1971~1985年)
 空中写真(1971年撮影)と大縮尺地形図(1985年)を利用してダム建設以前の河道の状況を調査した。
 河床礫採掘の影響もあるが、随所に砂礫からなる河原がみられ、中州が発達する部分も多い。低水護岸はあまりみられない。

■洪水流量とフラッシュ放流
 ダム建設前の中津川の計画高水流量は1700 m3/sであり、300 m3/s程度の流量が頻繁にみられたが、ダム建設後の2001年および2002年の宮ヶ瀬ダム放流量データをみると、年平均3回程度、100 m3/s以下の洪水調整放流があったほかは年間を通じて20 m3/s以下であった。
 宮ヶ瀬ダムでは、下流の中津川河床に繁茂する藻類の剥離や河床に堆積したシルトの掃流のため、年1~2回「フラッシュ放流」を実施しているが、その場合も最大100 m3/sで1~3時間である。

■ニセアカシアの伐採
 現在河川敷には外来植物のニセアカシアが繁茂し、周辺自治体からの要請で「防犯上の理由」から伐採が行われている。実際に河川敷で生活する人も目撃された。

■まとめ
 宮ヶ瀬ダムの建設により、中津川の洪水流量は建設前の1700 m3/sから最大100 m3/sへと激減した。これにより高水敷への氾濫はなくなり、低水路は護岸で固定されるとともに河原は植生で被覆されるようになった。氾濫の恐れのなくなった河川敷では高水敷にスポーツ公園が整備され、旧河道も管理釣り場として利用される一方、ニセアカシアの繁茂などの新たな課題も生じている。
 河川は水だけでなく土砂を移動させることで河道を維持してきたが、ダムの建設により河道は変化するものであるという本来の姿は失われた。このことは中津川に限らず全国の河川でみられる現象である。

(本発表は須田康平の2006年度早稲田大学教育学部卒業論文によるものである)

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