抄録
1.はじめに
高度経済成長期以降、全国の里地里山は人々の社会活動の変化の中で大きく変貌し、このことがイノシシなど野生動物による深刻な農業被害を出す要因となっている。都市部への人口流出や減反政策によって、里地では耕作放棄された田畑がササやクズ・ススキなどの藪地に変化した。里地と里山の間に植栽されて、タケノコ畑や竹材林として管理されてきた、モウソウチク・ハチク・マダケ林の多くが、石油製品の普及や安価な海外産タケノコの大量輸入を受けて各地で放置されている。
このような藪地と化した耕作放棄地、管理されなくなり下栄えが生じた薪炭林・植林、放置された竹林がイノシシの潜伏場所・移動経路・餌場となっている問題が指摘されている。筆者が03-04年に行ったイノシシのラジオテレメトリー調査では、調査個体がタケノコの季節に活動時間の多くを放置竹林内で過ごしているのを捉えた。また同時に行った複数個所の放置竹林の踏査では、多数のイノシシによるタケノコ食痕を確認したことから、放置竹林に生じるタケノコがイノシシにとっての主要な食料のひとつと思われる。本研究ではモウソウチク・ハチク・マダケの放置竹林内に調査区を設置し、年間を通じたタケノコ食痕カウントを行い両者の関係を定量的に分析していく。
2.対象地域と調査方法
対象地域である滋賀県大津市北部は琵琶湖西岸に位置し、比良山地の麓に広がる丘陵地に立地している。高度経済成長期までは谷の末端に至るまで棚田が広がり、尾根には人手によって管理された薪炭林や小規模な竹林が分布していた。しかし1970年代以降、多くの棚田が耕作放棄地され藪地に変化し、管理されなくなった竹林が分布を大きく拡大させ、現存する耕作地と隣りあわせで存在している。近年イノシシによる農業被害が深刻な問題となっており、滋賀県内でも対象地域付近が最も被害金額が大きくなっている。
調査方法は放置竹林に設置した調査区を、約2週間置きに年間を通じて踏査し、数取器を用いてタケノコ食痕に残る残渣を正確にカウントした。カウント後のタケノコの残渣は、カウントの重複を防ぐため全て回収した。この際、イノシシによる食痕と、それ以外の動物による食痕では違いが認められたため、別々に記載した。イノシシによるタケノコ食痕がどの時期にどれくらいの量発生するのかを測定するため、総食痕数を前回調査日から今回の調査日までの日数で除した日平均食痕数を算出した。
調査区内において目視で発筍を確認した全てのタケノコには、割り箸に調査日ごとに色の違う油性ペンを用いて、1番から始まる番号札を添えた。発筍がどの時期にどれくらいの量で発生するのかを測定するために、総発筍数を前回調査日から今回の調査日までの日数で除した日平均発筍数を算出した。
3.結果と考察
年間を通じた調査の結果、タケの種類によってタケノコが摂食される期間の長さや時期、タケノコの状態が違うことが明らかとなった(図)。モウソウチクは10月下旬より地中のタケノコが掘り起こされ摂食を受け、最も食痕が多くなるのは3月中旬であった。4月に入り発筍期になると食痕が減少し、発筍が終了した6月には食痕がみられなくなった。ハチクは発筍期以外の季節では食痕は殆どみられず、5月中旬に発筍を確認した後の5月下旬から6月上旬にかけて最も食痕がみられた。マダケもハチクと同様に発筍期以外の季節では食痕は殆どみられず、5月下旬に発筍を確認した後の6月から7月にかけて食痕がみられた。モウソウチク・ハチク・マダケの放置竹林が近接して存在する地域では、年間の多くの時期でタケノコの摂食が可能であり、イノシシが引き寄せられている。これらが現存する耕作地に近接していることから、農業被害が発生する要因になっていると思われる。
