抄録
ジャガイモは南米・アンデス山脈を起源地とするが、現在では世界中に伝播し、さまざまな地域で食生活に取り入れられている。ジャガイモを植え付けるまえには、堆肥や厩肥を入れて土をやわらかくし、やや深めに耕し、丁寧に土のかたまりを砕き、透水性と通気性の良い土壌にするのが推奨されている。また、植物の三大元素である窒素やリン酸、カリウムを多く必要とし、収量を上げるためには肥料を多めに投入するのが良いという。ジャガイモは三大元素のなかでも、とくにカリウムを多く吸収することが知られている。このようなジャガイモの特性は、どこから来ているのだろうか。アンデス山脈でフィールドワークをしてきた経験から、ジャガイモの野生種がどこに生育しているのかを紹介し、ジャガイモの特性の謎を解き明かしていきたい。
発表者は2002年にペルー共和国アヤクーチョ県パンパ・ガレーラスにて、ビクーニャ(Vicugna vicugna)の生態調査を開始した。パンパ・ガレーラスでは6か村がビクーニャを保護・管理し、それぞれの村が政府の許可のもとで年に1度、毛を刈り、販売している。そのうちの1村(ワユワ村)の監視小屋(標高3980m)に住み込み、その周囲において気象観測や植生調査、ビクーニャの生態を調査している。ビクーニャは群れを形成する。群れには、”familia(家族群)”、”tropilla(若オス群)”、”solitario(はぐれオス)”の3種類がある。家族群は単雄単雌あるいは単雄複雌であり、すべてのメスは家族群に属している。オスは1才までの幼少期を母とともに家族群で過ごし、若オス群に移る。若オス群は10-80頭の集団を形成し、離合集散を繰り返す。若オスは群れに属しながら、メスとつがいになる機会をうかがい、7-9才までのあいだに家族群を形成する。そしてオスは10-11才になると、家族群から追い出され、はぐれオスとなる。ビクーニャの寿命は13-15才である。ビクーニャは決まった場所に糞を排泄する習性をもち、複数の糞場を囲むように行動圏をもつ。夜間には、糞場のちかくで寝ることが多い。調査域(6.8km2)には3398カ所の糞場があった。
パンパ・ガレーラスでは、60種ほどの草本(うち同定種50種)が生育している。ウシノケグサ属、ノガリヤス属、スティパ属などのイネ科草本が優占し、パンパ草原を形成しているが、ビクーニャの糞場周辺には特異な植物群落がみられる。この糞場には1m2あたり7.7-28.7kgの糞が4-13cmの厚さで蓄積し、1カ所に216kgの糞が蓄積することもある。糞場には窒素や炭素、カリウムやマグネシウム、カルシウム、リンなどの土壌養分が大量に集積し、ジャガイモの野生型であるSolanum acauleが群落を形成する。
S. acauleは4倍体のジャガイモで、ペルー、ボリビア、アルゼンチンに自生する。生育域は4000-5000mの間で、ビクーニャの生息域と一致する。S. acauleが栽培化された交雑種S. juzepczukiiは3倍体で、S.acauleと同様にアルカロイド性の有毒成分ソラニンを含む。人びとはS. juzepczukiiの塊茎を凍結、脱汁、乾燥することで、苦みをとりのぞいている。この加工食品は一般にチューニョと呼ばれる。
S. acauleは地上部に茎がなく、葉が地面のうえに広がって、漿果を保護している。塊茎は9-14mm、重さ0.2-2.3gと非常に小さく、この大きさは糞に由来する土壌層の厚さと関係がある。また、野生型ジャガイモは人間のゴミ捨て場やトイレの近くに自生するばかりではなく、ジャガイモ畑の雑草としても生育する。しかしS. acauleは、一定の場所に糞をするというビクーニャの生態とむすびつき、人間が南米大陸に到来する以前には、ラクダ科動物の糞場を生育場所としていたのではないかと考えられる。