日本地理学会発表要旨集
2007年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: S105
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バンダアチェにおける大津波災害からの復興の課題
*高橋 誠田中 重好田渕 六郎木村 玲欧
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抄録

 2004年12月26日、日曜日の朝8時頃、インドネシアのスマトラ島西海岸沖スンダ海溝のプレート境界で起こったマグニチュード9.2の超巨大地震は、インド洋沿岸に大きな津波をもたらし、死者行方不明者22万人以上、被災者200万人以上の史上まれに見る大災害を引き起こした。とりわけスマトラ島北西端に位置する、インドネシア、アングロ・アチェ・ダルサラーム州(NAD)の被害は甚大で、死者行方不明者は17万人ほど、被害額は州内総生産の5%に当たる12億米ドルと試算された。
 NADの州都バンダアチェでは、地震自体の被害は大きくなかったが(震度5程度と推定)、8時15分頃から数次にわたって大津波に襲われ、市政府によれば登録人口約26万人のうち6万人あまりが死亡し、全半壊家屋2万戸近くを数えた。津波は最大10mの高さに達し、海岸から5kmほど内陸に到達したと推測されている。海岸線は10m以上後退し、海岸付近の地区では、津波前にあった街は跡形もなくなり、土地自体が消失したところも少なくなく、死亡率は90%に達した。
 名古屋大学環境学研究科では、地震学、測地学、地理学、社会学、人類学、心理学、経済学、法律学などの研究者によって文理連携型の調査隊を結成し、地元のシャクアラ大学やバンドン工科大学と共同で、この災害の全貌を理解するために総合的な学術調査を行ってきた(名古屋大学環境学研究科,2005, 2006;木股ほか,2006)。社会科学チームは、これまで4回(2005年2月、2005年8~9月、2005年11~12月、2006年11~12月)にわたってバンダアチェに入り、地震・津波の人的・社会的被害、被災後の復旧・復興過程などを明らかにするために、現地観察や資料収集のほか、被災者へのインタビューやアンケート調査、地域コミュニティ・NGO・国際機関・政府機関等でのインタビュー調査などを行ってきたが、いわゆるアチェ問題の影響もあり、被災前のアチェの社会・文化構造も含めた全貌解明に至るには、もっと調査が必要である。
 被災から2年が経過し、インドネシア政府の当初の復興計画、あるいは各NGOのスキームでは、緊急復旧段階から住宅・インフラそして生活復興段階の時期に入っている。しかし、復興のスピードは驚くほど遅く、またかなりの地域差が見られる(一説では、必要量の25%の住宅しか供給されていない)。住民が財産のほとんどを消失し、また地方政府自体が機能停止に追い込まれたために、復興には外からの支援が不可欠であり、そこで期待されているのが国際機関や国際的NGOの役割である。そして、実際、それらの地元側の受け皿となり、住民間の利害を調整しながらイニシアチブを発揮してきたのが、地域コミュニティのインフォーマルな仕組みである。
 なぜ、かくも復興が遅いのか。ここでは、住宅・集落復興に事例に、それらのアクターの役割と限界、そしてアクター間の関係に焦点を置きながら、私たちが考えたことの中間的なまとめを報告する。結論的に言えば、現在のバンダアチェはいわばNGOインフレの状況にあり、調整メカニズムがうまく機能していない。バンダアチェの教訓は、災害復興に対して第三セクターの役割がますます重視されるなかで、国際的な災害復興支援のあり方も含め、多くのことを示唆している。
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© 2007 公益社団法人 日本地理学会
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