日本地理学会発表要旨集
2007年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 412
会議情報

ラオスにおける集落再編にともなう移住と生計活動の変化
*中辻 享
著者情報
会議録・要旨集 フリー

詳細
抄録


 ラオス人民民主共和国(以下、ラオスと略称)では現在、農村から都市への移動よりも農村内部の移動、特に、高地から低地への移動が最も重要な人口移動である。山がちなラオスでは、現在でも徒歩でしかたどり着けないような高地の村落が多い。そのような高地村落の住民が、盆地や河川沿いの低地に移住し、既存村落に合流したり、新たに村落を形成したりする例が近年非常に多くなっているのである。
 これにはラオス政府の農村開発政策が深くかかわっている。ラオス政府は各郡の低地を中心に、重点的農村開発地区(focal site)を指定し、この地区を中心に主に国際機関の援助による、インフラ整備、農業技術普及、教育、医療など、総合的な農村開発プロジェクトを導入する方針を採っている。この地区では既存の低地村落のほか、周辺の高地村落の住民をも移転・集住させ、彼/彼女らも開発の対象とすることが目指されている。このように、ラオス政府の農村開発政策は低地中心であり、高地に開発をもたらすのではなく、むしろ高地住民を開発の場に近づけることで、開発の効果を彼/彼女らに行き渡らせようとするものであり、それが、ラオス農村で高地から低地への人口移動が激化している大きな要因である。
 一方、高地住民の最も重要な生計手段である焼畑稲作に関しては、政府は森林保護の観点から近年その抑制策を強めている。また、彼/彼女らの最大の現金収入源であったケシ栽培に関しては厳しい根絶策が取られている。焼畑やケシ栽培の代替農業として政府が奨励するのは水田稲作や常畑での換金作物栽培である。これらはいずれも低地でしか不可能か、あるいは低地のほうが有利な農業活動である。このような政策も高地での生活を困難にさせ、高地住民の低地への移住を促す要因となっている。
 発表者がこれまで調査を継続してきたルアンパバーン県シェンヌン郡カン川流域地区においても、1990年代以降はカン川沿いの低地の村落を中心に農村開発が進められてきた。具体的には、既存の幹線道路の拡幅、医療施設や共同水道の建設、小中学校の新設と改築、電気の配電など、さまざまな開発事業が主に国際機関の援助により実施されてきた。さらに、政府や国際機関の奨励もあって、ハトムギなど換金作物の栽培も進み、低地村落では現在、現金収入の重要性も高い。このような開発を行うと同時に、政府はカン川の両岸にそびえる山地中腹にあった高地村落に低地への移転を働きかけ、現在、この地区の高地村落のほとんどが低地に移転した。そのため、この地区の幹線道路沿いの村落の人口は1997年から2005年の8年間で1.5倍もの急増を見たのである。
 それでは、高地から低地への移住によって、人々の生活は以前よりもよくなったのであろうか。本発表は、このことを低地に移住した世帯と高地村落にとどまった世帯の生計活動と土地利用を比較することで明らかにしたい。その上で、政府の農村開発政策や焼畑抑制政策の意義と問題点を考察したい。
 調査対象村落はカン川流域地区のフアイペーン村とフアイカン村である。フアイペーン村はこの地域に古くからある高地村落(標高830m)であるが、2000年ごろから人口流出が激しくなり、現在人口は半減している。一方、フアイカン村は幹線道路沿いの低地村落(標高350m)であり、住民の多くはフアイペーン村の離村者で占められ、やはり2000年ごろから人口が増大している。発表では、両村落の土地利用やコメ収支、生計活動の内容などを比較したい。

著者関連情報
© 2007 公益社団法人 日本地理学会
前の記事 次の記事
feedback
Top