抄録
1.場鎮調査
中国の農民が語る個人史について、その生活空間に着目すると、豊かな重層性を持ってきたことが浮かび上がってくる。重層的に展開する生活空間を、定住・農耕空間、市場・親族空間、労働・権力空間、生存・認知空間という4つのスケールに統合する試みを、私は行ったことがある(小島 2001)。
既往の研究群と照らし合わせると、この整理は、通文化的に農村一般に認められる側面を有すると同時に、中国農村独自の空間編成を示す側面を持っていることがわかる。とくに市場圏が持つ重要性については、地理学のみならず、中国農村を対象とした人類学・歴史学において、つとに語られてきたものでもある。
市場圏はその基底において機能的に編成された空間であり、中心に市場町を有している。四川農村においては市場町は“場鎮”(Changzhen)と称される。このローカルな語彙は、市場町の機能的な要素である定期市を示す“場”と景観的な要素である街区を示す“鎮”が組み合わされたものである。
本報告は、近3年間、中国内陸の四川農村において、断続的に行ってきたフィールド調査に基づいて、この市場圏を再考することを目的とする。フィールド調査の重点が市場町におかれたことから、以下、場鎮調査と呼ぶこととする。
2.多面的な場鎮像
場鎮調査においては2種類のアプローチが採用された。一つは場鎮における聞き取り調査や景観観察であり、もう一つは1980年代に編纂された《郷鎮志》を利用した歴史地理学的接近である。
結論を提示する段階には至っていないが、場鎮調査を進める中で次第に焦点を結んでいった場鎮像は、予想していたものよりも多面的であった(小島 2006)。
まず経済については、局地的取引の中心として場鎮が担ってきた経済機能は、市場経済の深化に直面しても、定期市という従来の方式をかたくなに守っている。その多くは10日に3回の九斎市というリズムを農民の生活にもたらしている。
政治については、民国期以降、すなわち20世紀に入って進められた基層空間の国家への取り込みの中で、場鎮の政治機能は一貫して強化されてきた。とくに人民共和国期の行政機能の肥大化によって、政治的機能が場鎮の発展を規定する主要な要素になっていることは、場鎮理解のためにはより注目されるべきであろう。
社会については、散居を主たる居住形態とする四川農民にとって、場鎮が結衆の原点となってきたことが指摘される。民国期に自生的な結社として農民間でひろく組織された“袍哥”が、場鎮と不可分の存在であったことはその象徴と言えよう。
さらに文化について、言語や度量衡をめぐってしばしば語られる市場圏の固有性をもたらすのは、情報の結節点としての場鎮の機能と考えられる。それは定期市ごとに賑わう多くの茶館として視角化されるものである。
3.生活空間論における市場圏
水津(1980)の提示する生活空間論は、多くの含意をもち、その理解は多元的でありうるが、ここでは2つの貢献に着目する。それは、空間と社会の相互作用を対象としたことと、重層的な空間構成から基礎地域を抽出したことである。
前者については、空間の実在を前提としている点で論争を呼ぶものであるが、空間が社会を創り出すという理路そのものは、地理学的想像力を喚起してやまない。場鎮調査によって明らかとなった場鎮の多面性は、市場圏が農民にとって不可欠の社会空間となってゆく過程を示唆している。
四川農民の生活空間において市場圏は確かに特別であるが、あくまで重層性の中に定位されるべきものでもある。それは村落を基礎地域として抽出することに違和感を差し挟まない日本的バイアスの存在を気づかせる。中国農村研究において、かつて村落共同体の存否が議論されたことや、市場圏社会論が代替的に扱われてきたことも、同様の日本的バイアスに結びついていると言えよう。