抄録
18世紀来、中国貴州の山岳地帯における少数民族であるミャオ族は、東南部清水江流域で杉樹を栽培していた。このように計画的に育成された山林を「人工林」と称する。「人工林」は13世紀から芽生え、明清時期に繁盛してきた。ミャオ族は恵まれた天然環境の中、造林→保護→伐採→運送→販売という生産システムを自然的に生成され、林産物取引を通じて漢人の経済活動に参与した。漢民族との接触が拡大の中、一部の少数民族は漢民族の通貨経済システムに参与した。中には衝撃を受けて、土地を失った人が少なくなかった。結局、林業は錦屏県のミャオ族にとって、生計維持だけではなく、漢人からの影響を遮断できる後ろ盾のような存在であった。
本稿はこれらの内部契約文書を分析することによって、少数民族であるミャオ族は漢民族を中心とする貨幣経済活動に参与する過程を明らかにし、また、どのように林業の生産・販売システムを通じて自分の地域社会の経済能力を作り上げるかを解明するものである。
独自の生活形態特色を持つ少数民族は、とりわけ貨幣経済活動に関しては、文字の記録がないため、地方史や金融史に軽視されている。貴州の山林契約文書で辺境の山岳地帯の経済行為を山林的さらに金融的視点から分析することによって、軽視されている少数民族と漢民族との融合過程を補足することができる。