抄録
1. はじめに
2005年8月11日に,日本有数の人気登山ルートである白馬大雪渓において,落石事故が発生した.白馬大雪渓右岸の杓子岳の岩壁斜面から,最大で長辺10 mの巨礫を含む,総量約8000 m3の岩屑が,約200 m落下し,登山者1名が亡くなっている.さらに,昨年の2006年8月27日にも落石により登山者2名が亡くなる事故が発生している.登山愛好家が増え,各地の山岳地域に多くの登山者が訪れている現在,このような事故を軽減するために,山岳自然公園における災害リスクの評価が必要である.そのためには,斜面変動が発生した場所の実体解明と,発生しうる場所のスクリーニングが必要である.しかし,山岳地域の地形・地質構造は大変複雑であり,調査も困難を極めるため,基本的な情報の集積が十分になされていない.現在,筆者らの共同研究グループでは,白馬大雪渓をフィールドとして災害履歴図や斜面変動の素因となる地形・地質条件図の作成をすすめている.その活動の一環として,筆者は,落石や岩盤崩壊の素因となる岩盤の性状について調査を行ったので,その結果を報告する.
2. 白馬大雪渓周辺の地形と地質構造
姫川支流の北股入最上流部は,白馬岳山頂の南側にある葱平圏谷と杓子岳圏谷を源流とし,白馬沢合流地点(白馬尻)までの長さ約2 km,谷幅約300 mの谷が存在する.この流路沿いに氷成堆積物が記載されており,更新世後期には谷氷河は発達していたと考えられている(小疇ほか1974).
白馬大雪渓の谷壁斜面を構成する岩盤は,火成岩である珪長岩,超苦鉄質岩,変成岩の泥岩ホルンフェルスなどである(中野ほか 2002. 5万分の1地質図幅「白馬岳」).杓子岳は,主にこの珪長岩で構成されている.珪長岩は,緻密な非晶質で節理が発達している.
3. 岩盤に発達する節理
白馬大雪渓周辺の岩盤斜面では,珪長岩が分布している範囲が広い.その珪長岩の斜面では,褐色に変色している節理が発達している.また,数は少ないが褐色の変色を伴わないものもある.褐色を伴わないものは,わずかに開口していた.観察されたのは,標高約1800 m の左岸斜面1箇所である.一方,褐色に変色している節理は,2005年の落石事故の原因となった落石箇所をはじめとして,珪長岩が裸岩となっている場所では,多数観察することができる.残雪上の落石や,前述の2005年に発生した落石を見ると,礫の一面が褐色に変色しているものが多く観察された.これは,褐色に変色している節理で岩盤が割れて落石を起こしていることを示している.
泥岩ホルンフェルスの岩盤では,岩盤に卓越する節理系と斜行する節理が標高約1700 mの左岸斜面で観察される.ただし,確認できたのは,この一箇所である.
4. 熱水変質による珪長岩の岩盤劣化
珪長岩の礫が褐色に変色しているのは,酸化鉄によるものである.そして,この礫には径1 cm未満の空隙が存在する.また,礫には,黄鉄鉱と黄銅鉱が存在する.この鉱物の生成条件から,少なくとも地下600~700 mの場所で節理に沿って250~270℃の熱水が流れ,鉱物が生成されていたことがわかる.現在は,山体の隆起と長期的な削剥により,それが地表付近に現れている.このような状況と,礫の観察結果から,黄鉄鉱が酸化鉄と硫黄に分解され,硫黄は硫酸となって雨水に溶けて流れ出し,その結果,礫の多孔化が進んで,空隙が形成されたことが考えられる.また,鉱脈周辺の多くの場所で,粘土化変質が進んでいることが予想される.節理での粘土鉱物の存在は,岩盤斜面の安定性に大きく影響する.以上の岩盤劣化と粘土鉱物の生成が珪長岩の岩盤斜面の不安定性を高めていると考えられる.
珪長岩の褐色にしている箇所では,部分的に周囲より盛り上がっている場所がある.これは,前述の粘土化変質と同時に起こる珪化変質によるものと考えられる.熱水鉱床の周囲に珪素が集積することにより相対的に岩盤が強固になり,侵食されにくくなっている.