抄録
1.はじめに
2005年現在、国内に約300ある生活航路(離島航路・半島航路)のうち、3分の1が離島航路整備法の適用対象である国庫補助航路として国と地方自治体から欠損補助を受けている。国庫補助航路に関する研究は、主に財政面からの検討が中心であり、地理学サイドからの検討は極めて少ない。
本報告では、離島航路補助政策の展開を、国庫補助航路を事例に、法律面や財政面だけでなく、航路の補助航路化の空間的拡大および補助航路の運航回数の変化といった側面からも検討する。その上で、最も航路維持に困難な課題を抱えるとみられる瀬戸内海の小規模な航路を事例として航路維持の現状と課題をみていく。これらにより、周辺地域における交通整備の観点から、離島航路補助政策の展開と特徴を示し、補助航路の現状と課題を把握することを目的とする。
2.離島航路補助政策の概観
まず、離島航路維持には、交通整備と国土整備の2つの政策的側面があることに留意する必要がある。前者においては、戦後、1949年制定の海上運送法による運航費補助が行われていたが、欠損補助は不十分な状況にあったため、1952年に離島航路整備法が制定され、1959年には国内旅客船公団が設立され、これらを軸とした航路維持体制が構築された。一方、国土整備の面では、離島振興法が1953年に制定され、交通確保もその範疇に含まれた。現在、不採算航路は主に、これらの単独もしくは複数の施策の運用により維持されている。
次いで、離島航路整備法に関する主な動向をみてみる。1966年、現行の補助形態の基礎となる補助要綱が制定された。この時から、航路欠損は国と地方自治体により全額補助されることとなった。1993年までは国と地方自治体による定率協調補助が展開されてきたが、1994年に補助要綱は改定され、この協調補助体制は廃止された。1994年以降、国の補助規模は相対的に縮小してきている。
3.国庫補助航路の拡大とサービス内容の変化
離島航路補助政策の展開を地理的な視点から明らかにするために、全国を対象とした国庫補助航路の指定範囲の拡大過程や、瀬戸内海航路を中心とした運航回数の分析を行った。
まず、国庫補助航路数を概観しておくと、1952年以降順次増加し1981年には132航路となり、その後はほぼ横ばいで推移している。
次いで、国庫補助航路化の空間的拡大過程をみてみると、離島航路整備法の制定当初は長距離の外洋航路を中心に補助航路化が行われていたが、1966年以降、瀬戸内海を中心に短距離航路へと指定範囲が順次拡大したことがわかる。さらに、瀬戸内海の国庫補助航路について、運航回数の動向をみると、1966年以降1990年代半ばまでに概ね現行体制が形成され、今後は運航回数の維持が課題となろう。これらが戦後日本における、離島航路補助政策の展開と特徴であると考えられる。
4.瀬戸内海における小規模な離島航路の維持状況
以上の離島航路補助政策の動向を踏まえ、瀬戸内海にある国庫補助航路10航路、これに比較材料として地方補助航路2航路、行政連絡船1航路も加えた13の航路を対象として、それらの維持状況を考察した。これらは途中寄港島がない上、船が就航する島の人口が150人以下と少なく、事業規模が小さい点に特徴がある。本報告では便宜上、これらを小規模な離島航路と呼ぶことにする。考察結果を以下にまとめる。
国庫補助航路および他の航路においても運航回数の維持が、利便性の確保における課題とされている。経営状況を見ると、収支率は低く補助金依存型の構造にある。費用面では人件費の占める割合が高いが、さらなる人員削減が難しいという問題点を抱えている。そこで複数の航路では、費用抑制のために諸費用の廉価な小型船舶を使用している。また、公営航路を中心に各自治体の財政支出を抑制するために、船員の非正規雇用化を進めてきた。他方、船員が高齢化している航路、従前の島内からの人材確保が難しくなり、発地を本土側に設置もしくは変更した航路も出現している点も注目され、船員の確保の経路には変化が生じつつあると考えられる。
このように、補助航路の維持においては、船員の確保に関する問題を抱えてきたとみられる。
5.おわりに
1952年の離島航路整備法制定以降、離島航路補助政策は拡大路線にあったが、昨今においては、現状維持路線へとシフトしてきた。これらが離島航路補助政策の展開と特徴であると考えられる。瀬戸内海の小規模な離島航路においても、運航回数の維持が利便性確保における課題とされている。また、当該航路の運営においては、補助金削減や島内住民の高齢化によって、船員の確保に関する問題を抱えてきた。